角田裕毅
人物データ
名前 | 角田裕毅 / Yuki Tsunoda |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県相模原市緑区二本松 |
居住地 | イタリア |
生年月日 | 2000年05月11日 / 24歳 |
身長 | 161cm |
体重 | 53kg |
F1デビュー | 2021年 |
カーナンバー | 22 |
WEBサイト | www.yukitsunoda.com |
SNS | twitter facebook instagram |
角田裕毅(つのだゆうき)は神奈川県相模原市緑区二本松出身のレーシングドライバー。レッドブルとホンダ双方から支援を受け、FIA-F3選手権とFIA-F2選手権などを経て、2021年にアルファタウリ・ホンダからFIA-F1世界選手権デビューを果たした。
2000年代生まれとしては始めてF1に参戦したドライバーであり、また、日本人F1ドライバー史上最年少(20歳10か月17日)デビュー記録を塗り替えた。日本人F1ドライバーの誕生は2014年の小林可夢偉以来となる7年ぶり。
2020年には、FIA管轄の各チャンピオンシップにフル参戦したすべてのルーキードライバーを対象に最優秀ドライバー1名を選出する「FIAルーキー・オブ・ザ・イヤー」を日本人として初めて受賞した。
2024年現在、ダニエル・リカルドをチームメイトとしてビザ・キャッシュアップRBフォーミュラ1チーム(旧トロロッソ、旧アルファタウリ)からF1に参戦している。
- 衝撃F1デビューに「次期王者」の声
- 人物
- ドライバーとしての強みと魅力
- ホンダの支援受け世界へ
- 登竜門F2を1年で卒業
- F1に向けた準備とスーパーライセンス
- 異例のスピード出世でF1に到達
- チーム無線での暴言
- 主なキャリアと成績
- 写真
衝撃F1デビューに「次期王者」の声
注目のF1初戦となった2021年開幕バーレーンGPでは、予選Q1で2番手タイムをマーク。Q2ではミディアムタイヤを履いた事が裏目となり13番グリッドからスタートしたものの、キミ・ライコネンやセバスチャン・ベッテル、フェルナンド・アロンソら歴代F1ワールドチャンピオン達を次々と抜き去り、見事9位入賞を飾った。
デビュー戦でポイントを獲得したドライバーとしてはF1歴代65人目の記録。これまでにF1でポイントを獲得した日本人ドライバーは中野信治、片山右京、鈴木亜久里、中嶋一貴、中嶋悟手、佐藤琢磨、小林可夢偉の7名のみ(日本人ドライバーのデビュー戦最高位は中嶋悟、中野信治の7位だが当時は6位までがポイント対象)だが、初戦でこれを達成したのは角田裕毅が初めて。まさに快挙だった。
アルファタウリのボス、フランツ・トスト代表は「デビュー入賞を飾った初の日本人ドライバーという結果を共にできて最高だ」と角田裕毅を絶賛。また、ミハエル・シューマッハと共にフェラーリ黄金時代を築き上げた名将ロス・ブラウンは「近年のF1におけるベストルーキー」と称賛した。
更に角田裕毅の初戦を振り返ったレッドブル・レーシングのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコは”角田裕毅は日本初のF1ワールドチャンピオンになると思うか?”との問いに対して「間違いない」と答えた。
人物
モータースポーツ好きの父親の影響もあり、4歳の時(2005年)に父の信彰氏がジムカーナに出場する様を見て触発され、中井インターサーキットでのレーシングカート体験を経て、REONキッズカートスクール神奈川校に入校。キャリアをスタートさせた。
信彰氏はJAF全日本ジムカーナ選手権で活躍したドライバーで、保険代理店業を営む会社を経営している。
父をメカニックとして国内で数々のカート競技に出場した後、15歳(2016年)でSRS-Formulaに入校。ホンダの支援を受けてFIA-F4選手権でシングルシーターデビューを果たした。
身長は160cm、体重は53kgと小柄で、趣味はロードサイクル、スキー、スノーボード、カラオケ、水泳、ウェイクボード。好きな色はオレンジで、好きな音楽は日本のポップミュージック。英検準2級を取得しており、英語でのコミュニケーションは得意だという。
ゲームが好きでエーペックス・レジェンズやコール・オブ・デューティなどのシューティングゲームを好んでプレイする。ただし「リアルではないから」との事でレースゲームはプレイしない。
ホンダ系ドライバーではないが、同じく海外を舞台に戦う佐藤万璃音と親交がある。
F1を初めて生で観戦したのは富士スピードウェイで行われた2007年のF1日本GP(当時7歳)だった。
ドライバーとしての強みと魅力
角田裕毅の魅力・強みの一つは、本人も絶対の自信を持つブレーキングとオーバーテイクだが、ホンダF1の山本雅史マネージング・ディレクターは俯瞰的な認識能力と反応速度、そして人一倍の努力を付け加える。
山本MDは角田裕毅のオーバーテイク能力の根源は「レース展開を俯瞰視して他車の動きを想定できる」点にあると主張。驚くべきは「目の前で起きた事象に反応してダイレクトに身体が動くような感じで全く迷いがない」という反応速度で、こうした資質はマックス・フェルスタッペンやルイス・ハミルトンといった一流ドライバーの共通するものだとしている。
ホンダの支援受け世界へ
合格できなければキャリアを諦める、との覚悟で臨んだ鈴鹿サーキットが運営するレーシングスクール「SRS-Formula」の2016年スカラシップ選考会で、主席の大湯都史樹、次席の笹原右京に次ぐ3位に終わった。角田裕毅はこの出来事を「キャリア最悪の瞬間」として振り返っている。
しかしながら、当時の校長でシケイン脇から走りを見守っていた中嶋悟が才能を買い、翌2017年のHondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)の一員として推薦。その結果として参戦が叶った同年のFIA-F4日本選手権で角田裕毅はランキング3位を獲得すると、翌2018年にはポールポジション9回、優勝7回を記録してチャンピオンの座をつかみ取った。
レッドブル育成入り
ホンダとレッドブルのF1での提携が決まった縁もあり、ホンダの推薦でハンガロリンクで行われた2018年のF3合同テストに参加。すると、海外の有望な若手を抑えて全体のトップタイムをマークした。フェルスタッペンや4度のF1王者セバスチャン・ベッテルを輩出した事でも知られる屈指の若手育成機関、レッドブル・ジュニアチームのドライバー達を上回る速さだった。
これがきっかけでヘルムート・マルコのお眼鏡に適い、角田裕毅は2019年に黒田吉隆に次ぐ日本人2人目となるレッドブル・ジュニアに抜擢され、舞台は日本から世界へと広がった。
未来のF1ワールドチャンピオンの発掘を目的に、2001年にヘルムート・マルコによって設立された育成プログラム「レッドブル・ジュニアチーム」は、これまでにマックス・フェルスタッペン、セバスチャン・ベッテル、アレックス・アルボン、ピエール・ガスリー、ダニエル・リカルド、カルロス・サインツ、ダニール・クビアトら7名のF1ドライバーを輩出している。角田裕毅は8人目だ。
パワー、制動力、ダウンフォース、車重…F3マシンは角田裕毅が慣れ親しんできたF4とは全く別の上位マシンで、乗りこなすには多くの時間を要するが、ハンガロリンクテスト前にF3マシンで走行したのは僅か「2回」のみだった。
2019年は欧州のコースを知るためにモトパークからユーロフォーミュラ・オープンに参戦する傍ら、イェンツァー・モータースポーツからFIA-F3選手権に参戦した。
ヨーロッパに渡った角田裕毅はチームのボス、アンドレアス・イェンツァーにスイスの拠点近くにアパートを用意してもらい、著名なスポーツコーチング会社「ヒンツァ・パフォーマンス」のダン・シムズの指導の元、徹底的に体を作り上げていった。シムズはロマン・グロージャンのパフォーマンスコーチを務めた事でも知られる。
F3ではモンツァのレース1で3位を獲得すると、レース2では初勝利を掴み、競争力劣るマシンながらも優勝1回、表彰台3回を獲得してランキング9位につけた。本人はモンツァでの優勝が「キャリア最高の瞬間」でありターニングポイントになったと語っている。
ハイテックからマカオGPに参戦 / © FIA FORMULA 3 series media service
登竜門F2を1年で卒業
レッドブルとホンダは僅か1年で角田裕毅をステップアップさせる事を決め、2020年はF1の登竜門であるFIA-F2選手権へ参戦させた。所属先はカーリン・モータースポーツだ。
チーム創設者のトレバー・カーリンは初対面の場でいきなり角田裕毅との契約を結んだと明かしている。2018年末にアブダビで行われたGP3テストの際に隣のガレージのいた無名の日本人ドライバーに感銘を受けていたためだった。
第2戦オーストリアでいきなりポールポジションを獲得すると、第5戦シルバーストンのレース2で初優勝を飾った。なおこの年のチャンピオンには215点でミック・シューマッハ(プレマ)が輝いた。
シーズンを通して優勝3回、ポールポジション4回、表彰台7回を獲得した角田裕毅は、参戦初年度にして、2位カラム・アイロット(ユニ・ヴィルトゥオーシ)に1点差のドライバーズランキング3位に輝いた。
更に、シーズンを通して最も上手くタイヤを使ったドライバーに贈られる「ピレリ賞」と、F2の最優秀新人賞である「アントワーヌ・ユベール・アワード」を受賞。また、「FIAルーキー・オブ・ザ・イヤー」を日本人として初めて受賞した。
2020年FIA-F2選手権スパ・レース1で優勝して表彰台に上る角田裕毅 / © Formula Motorsport Limited
この結果、ヘルムート・マルコから課せられていた「チャンピオンシップ4位以内」のノルマを達成。F1参戦に際して必要となるFIAスーパーライセンスの発給要件を満たし、アルファタウリ・ホンダは2020年12月16日に角田裕毅との契約を発表した。
なおカーリンによると、チームメイトのユアン・ダルバラとの関係は非常に良好だったという。
F1に向けた準備とスーパーライセンス
デビューに先立ってチームは幾度ものプライベートテストを用意し、入念に準備に取り組ませた。
F1出走要件であるスーパーライセンス取得のため、F2でのランキング5位以上が最低条件という中、アルファタウリ・ホンダは2020年11月4日にイタリア・イモラ・サーキットに2018年型F1マシン「STR13」を持ち込み、角田裕毅にステアリングを握らせた。当日は路面の一部にウェットパッチが残るコンディションだった。
初のF1マシンでのドライビングに臨んだ角田裕毅は計72周(約350km)を走り込み、フリー走行限定ライセンスの発給要件を満たした。この日のラップタイムは非公開だが、本人は同年6月に同じSTR13をイモラで走らせたピエール・ガスリー並びにダニール・クビアトと比較して、コンマ3・4秒落ちだったと明かした。
F1最終戦後の12月15日に行われたヤス・マリーナ・サーキットでのF1若手テストでは、2019年のユーロフォーミュラ・オープン時代のチームメイトである佐藤万璃音と共に現行型のAT01をドライブ。123周を走り込み、この日の最速を刻んだフェルナンド・アロンソから1.224秒落ちの5番手タイムを記録した。
© Red Bull Content Pool
デビュー直前の2月・3月にはイモラとミサノで再度テストを実施。開幕前プレシーズンテストまでに数千キロメートルのマイレージを稼いだ。
異例のスピード出世でF1に到達
角田裕毅は戦いの地をヨーロッパに移して以降、F1に至るまでに僅か2年でF1に到達。1つのシリーズで2年以上を過ごした事がない。
レッドブルからF1へと至る道筋を示された角田裕毅は、2019年に欧州へと戦いの場を移しFIA-F3選手権を経て翌年にFIA-F2選手権へのステップアップを果たし、2021年のデビューチケットを掴み取った。
ヘルムート・マルコは僅か1年でのF2への昇格について「F3を1勝のみで終えた事で時期尚早との声もあったが、結果的に翌年にF2に挑戦させるという判断は正しかった」と振り返っている。
レッドブルジュニアの中でも異例のスピード出世でF1に達した角田裕毅は、2人のトップドライバーを彷彿とさせる。
一人目はマックス・フェルスタッペンだ。2013年までカート競技に取り組んだ後、2014年にヨーロッパF3でシングルシーターデビューを果たすと同時にF1デビューが決まり、2015年にスクーデリア・トロロッソで初陣を迎え、今や次世代のワールドチャンピオン筆頭候補に挙げられている。
二人目は、2007年のF1ワールドチャンピオン、キミ・ライコネンだ。
1999年にフォーミュラ・ルノーで数戦に参戦した後、初めてフルシーズンを戦った2000年に勝率7割という支配的な強さでチャンピオンを獲得すると、翌2001年にレッドブル・ザウバーでF1デビューを果たした。シングルシーターでのレース経験は僅か23戦しかない。
チーム無線での暴言
角田裕毅のデビュー戦はポイント獲得という高パフォーマンスだけでなく、悪態をつくチーム無線でも大きな話題となった。
海外ファンの中には見た目と発言内容のギャップを面白がる風潮もあったが、第4戦スペインGP予選での「このクルマは信頼してドライブできない!」発言は自身のパフォーマンス不振を棚に置いたチーム批判と受け取られ物議を醸した。
ジェンソン・バトンは「言葉に気をつけるように」と手厳しく指摘。海外メディアの多くも批判的にこれを伝え角田裕毅は謝罪。自制が効かないところが「弱点」と認めた後はチームからたしなめられる場面も減った。
F2時代も似たようなものだった。カーリンは「彼はコース上で妨害されたり邪魔されたり、酷い運転するドライバーを腹立たしく思い、ラジオで吐き出してしまうんだ」と回顧した。
ヘルムート・マルコは無線での角田裕毅の発言について「彼が口にする言葉は全く日本的じゃない。あれでは日本での評判が悪くなってしまう。本人が意味を理解しているかどうかは分からないが」と指摘している。
主なキャリアと成績
F1参戦に際しては、パーマネント・カーナンバーにかつてジェンソン・バトンが掲げていた「22」を選んだ。
第一希望は自身の誕生日であり、また、幼少期にレースデビューを果たした「11」であったが、セルジオ・ペレスが使用していた事から、各々に「1」を加算して「22」とした。
年 | 概要 |
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2013 | LCA国際小学校卒 |
2016 | スーパーFJ 日本一決定戦︰優勝 |
FIA-F4 第11戦鈴鹿 スポット参戦︰2位(史上最年少表彰台) | |
全日本カート選手権KFクラス︰4位 | |
SRS-Formulaに入校 | |
2017 | FIA-F4日本選手権、ポール4回、優勝3回︰3位 |
2018 | FIA-F4日本選手権、ポール9回、優勝7回︰チャンピオン |
2019 | 日本体育大学スポーツマネージメント学部入学 |
レッドブル・ジュニアチームに加入 | |
FIA-F3選手権(イェンツァー)、優勝1回、表彰台3回︰9位 | |
ユーロフォーミュラ・オープン(モトパーク)、優勝1回、表彰台6回︰4位 | |
F3マカオGP(ハイテック)︰11位 | |
2020 | FIA-F2選手権(カーリン)、優勝3回、ポール4回、表彰台7回:3位 |
トヨタ・レーシングシリーズ(M2コンペティション)︰4位 | |
アルファタウリ・ホンダからF1アブダビテストに参加 | |
2021 | アルファタウリ・ホンダからF1デビュー |
F1ドライバーズ・ランキング14位(32点) | |
最高位4位(第22戦アブダビGP)、入賞7回 | |
2022 | F1ドライバーズ・ランキング17位(12点) |
最高位7位(第4戦エミリアロマーニャGP)、入賞4回 | |
2023 | F1ドライバーズ・ランキング14位(17点) |
最高位8位(第19戦アメリカGP、第23戦アブダビGP)、入賞7回(スプリント含む) | |
ファステストラップ(第19戦アメリカGP)、ドライバーオブザデイ(第23戦アブダビGP) |
写真
2020年F1サクヒール レース1で表彰台に上がった角田裕毅、ニキータ・マゼピン、周冠宇
2020年FIA-F2選手権 第5戦イギリス決勝レース2にて
ポールポジションを獲得した2020年FIA-F2選手権第2戦オーストリアにて
2019年FIA-F3選手権第7戦イタリア レース2
2020年FIA-F2選手権第3戦ハンガリー予選