
フランツ・トスト
人物データ
名前 | フランツ・トスト / Franz Tost |
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国籍 | オーストリア |
出身地 | トリンス |
生年月日 | 1956年01月20日 / 69歳 |
フランツ・トスト(Franz Tost)はオーストラリア出身のチームマネージャーで、2006年から17年間に渡ってスクーデリア・トロロッソ、スクーデリア・アルファタウリを名乗った伊ファエンツァのチームのチーム代表を務めた。
完走できない事を最も嫌がり、仮にチーム代表でなかったとしてもモータースポーツ関連の運営に関わっていただろうと語る根っからのレースマンで、1983年にはオーストリア・フォーミュラ・フォード選手権でチャンピオンに輝いた事もある元レーシングドライバーだ。
インスブルック大学とウィーン大学でスポーツ科学及びスポーツマネジメントを学んだ後、フォーミュラフォード2000、F3等にドライバーとして参戦。1983年にはフォーミュラ・フォード1600で王座を手にした。同郷のローランド・ラッツェンバーガーと親友で、寝袋片手にサーキットを転戦する若き日を過ごした。
マネジメントの道を歩み始めたのは、1985年にウォルター・レヒナー・レーシング・スクールでチームマネジャーとして働き始めて以降の事だった。
1993年にミハエル・シューマッハのマネジメントを担当していたウィリー・ウェーバー・マネジメントに加入。日本のフォーミュラ・ニッポンに参戦していたキャリア初期のラルフ・シューマッハのマネジメントを務める等、日本との関係は深い。
F1に関与し始めたのは2000年。ラルフのF1昇格に付き添う形でBMWウィリアムズF1のトラック・オペレーション・マネージャーに就任した。6年に渡ってレース機材の管理監督責任者を務めた後の2006年1月、ミナルディを買収し誕生したトロ・ロッソのチーム代表としてレッドブルが抜擢した。
F1でのチーム代表キャリアの中でのハイライトは2008年。第14戦イタリアGPでエイドリアン・ニューウェイがデザインしたSTR2B駆るセバスチャン・ベッテルが史上最年少ポール・表彰台・初優勝の歴史的偉業を成し遂げた。
2021年にアルファタウリでデビューした角田裕毅はトストにとっての最後の教え子となった。
ドライバー人事に最も大きな影響力を持っていたのはレッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコだが、トスト体制の下で解雇されたドライバーは数知れない。スコット・スピード、セバスチャン・ブルデー、セバスチャン・ブエミ、ハイメ・アルグエルスアリ、ダニール・クビアト…。トスト曰く、チーム代表として最も難しい決断はドライバーの解雇だった。
主なキャリア
- 1978-82年
- インスブルック大学スポーツ科学修士
- 1982-85年
- ウィーン大学スポーツマネジメント修士
- 1979-85年
- フォーミュラフォード1600・2000、F3に参戦。83年オーストリア・フォーミュラフォード1600王者
- 1985-88年
- ウォルター・レヒナー・レーシング・スクールでディレクター兼インストラクター、ウォルター・レヒナー・レーシング チーム責任者
- 1989-91年
- エーフラ・レーシング チーム責任者
- 1992-93年
- ウィーン・レーシング副マネージャー
- 1993-95年
- WTSフォーミュラ3チーム責任者
- 1995-00年
- ウェーバー・マネジメント マーケティング責任者
- 2000-05年
- BMWウィリアムズF1 レーストラック・オペレーション責任者
- 2006年-
- スクーデリア・トロ・ロッソチーム代表