アルファタウリ・ホンダのチームウェアを着る角田裕毅、2020年F1アブダビGPにて
copyright Red Bull Content Pool

角田裕毅、日本人F1ドライバーとしての重圧・キャリア最悪の瞬間を救った中嶋悟を語る

  • Published:

イモラ・サーキットでの2日間のテストを終えたアルファタウリ・ホンダの角田裕毅が、F1へと至るこれまでの道のりや、文化の異なるヨーロッパでの生活、小林可夢偉以来となる7年ぶりの日本人F1ドライバーとしてのプレッシャー、キャリア最悪の瞬間を救った中嶋悟の存在などについて語った。

キャリアのきっかけとなった父の存在

角田裕毅は4歳の時、父親が出場したジムカーナに触発されてカートでキャリアをスタートさせ、2016年には全日本選手権KFクラスでシリーズ4位を獲得した。

キャリア初期を支えてきたのは父親だった。角田裕毅はチームとのインタビューの中で「14、15歳くらいまでは父がメカニックをしてくれていました。これまでの成功に関しては父に感謝しなければなりません。父は僕がより良いドライバーへと成長するのを手助けしてくれました」と語った。

「一番の教えはブレーキングに関するものでした。コーナリング時に素早くクルマの方向を変える事ができればライバルより早くアクセルを踏めるという点で、コーナー進入時のブレーキングが如何に重要かを教わりました」

「カート時代はこの部分を一生懸命に練習しました。自信になりましたし、この時に学んだ事は今も活きています」

キャリア最悪の瞬間を救った中嶋悟

運命の分かれ道は2016年にあった。鈴鹿サーキットが運営するレーシングスクール「SRS-Formula」のスカラシップ選考会で角田裕毅は3位に終わった。主席は大湯都史樹、次席は笹原右京だった。

ジャンプスタートやコースアウトなどのミスが大きく響いた。角田裕毅は「キャリア最悪の思い出は2016年ですね」と当時を振り返る。

「ホンダは例年、ホンダジュニアドライバーテストの上位2名のドライバーをF4にステップアップさせるのですが、僕は3位になってしまったんです」

「事前に父と相談していて、もしテストに通らなかったらレースを諦めると決めていました」

「でもその時の担当が元F1ドライバーの中嶋悟さんで、僕の走りをシケインの外から見ていて僕をホンダ側に推薦してくださったんです。これがきっかけでF4に参戦する事になりました。全ては中嶋悟さんのおかけでした」

当時校長を務めていた日本人初のF1ドライバー、中嶋悟は角田裕毅の才能を見抜き、翌年にホンダ育成ドライバーとしてのF4参戦を進言した。

角田裕毅はその思いを無碍にせず、2017年のFIA-F4選手権でシングルシーターデビューを果たしランキング3位を獲得。2018年にはポールポジション9回、優勝7回を記録してチャンピオンの座をつかみ取り、ヨーロッパへの道を切り開いた。

欧州への挑戦と取り組み

ホンダは成長続ける角田裕毅を評価し、レッドブル・レーシングのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコに対して、将来有望な若手日本人ドライバーの一人として紹介した。

その後2018年にハンガロリンクで行われたテストを経てヘルムート・マルコに認められた角田裕毅は、若手育成で定評があるレッドブル・ジュニアチームに加入した。

レッドブルの支援を受けた角田裕毅は2019年に欧州へと戦いの場を移し、イェンツァー・モータースポーツからFIA-F3選手権に参戦。競争力劣るマシンながらも優勝1回、表彰台3回を獲得してランキング9位を獲得した。

2019 FIA-F3 第7戦 イタリア レース2で角田裕毅が6番手スタートからFIA-F3初優勝を飾る
2019年FIA-F3 第7戦イタリア レース2にて優勝を飾った角田裕毅

ホンダとレッドブルは僅か1年のF3を経て、翌2020年にF2に挑戦させる事を選んだ。カーリンから初のF2に挑んだ角田裕毅は、優勝3回、表彰台7回、ポールポジション4回を獲得してミック・シューマッハとカラム・アイロットに次ぐランキング3位でシーズンを締め括り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝くと共に、アルファタウリ・ホンダF1のシートを掴み取った。

角田裕毅はヨーロッパでのジュニアカテゴリでのレースについて「毎年少しずつ成長できていますし、参戦したすべてのカテゴリーで優勝することができました。勝つ事は簡単なことではありませんので自信に繋がりました」と振り返った。

「F3に関して言えば、ヨーロッパで生活するのは初めてでしたし、全く走った事がないコースが4つあったので、勝てるとは思っていませんでした。ヨーロッパの多くのドライバー達は、これらのサーキットで多くの経験を積んでいますので」

角田裕毅はキャリア最高の思い出として2019年のF3モンツァを挙げた。

「あの優勝がなければ翌年にF2に参戦する事はなかったと思います。ヨーロッパでの初優勝でしたし、あの日以降、たくさんの良い思い出を作る事ができています」

ヨーロッパでの生活で一番大変だったことは何か?と問われた角田裕毅は「食べ物ですね!それと言葉です」と答えた。

「最初にヨーロッパに移住した際はスイスに住んでいたのですが、みんなフランス語を話すので大変でした。寿司や和食が好きな事もあり、食生活を変えなければならなかった事は少しストレスでした。異なる文化での生活は大変でしたが、チームとトレーナーがサポートしてくれましたし、最終的には上手く対処できるようになりました」

「僕としてはコースやチーム、文化に慣れる事を優先に取り組みました。最終的にモンツァで優勝する事ができ、これにはマルコ博士も喜んでくれました。そしてその事がF2へのステップアップに繋がりました」

「昨年はドライビングだけでなく、レースへの取り組み方についての精神的・心理的な部分を含めてあらゆる面で大きく成長する事ができました。僕のレースキャリアの中でも最高のシーズンになったと思います」

「シーズン序盤の段階からすでにペースも良かったですし、手強いライバルたちと競い合うことができていましたが、一貫性に欠けていたため序盤のレースではポイントを獲得することができませんでした」

「そこでシーズン中盤からは心理トレーナーと組んで、レースに向けての準備やレース中の心構えなどについて色々な事を話し合いました。その結果、メンタル的に大きく改善する事が出来ました」

「シーズン終盤になっても自分が望んでいた場所に達する事はできませんでしたが、開幕当初と比較してかなり改善できていましたし、レースでの成績も日を追うごとに良くなっていきました」

「去年の初め、例えばルーキーテストでは、チームメイトと比べてタイヤマネジメントに苦労していましたが、チームの力を借りながら以前のシーズンのレースを分析するなどして、より上手くやれる方法を学びました」

「その努力が実を結び、最終的にピレリアワードを受賞することができました。次のステップに進む事は簡単ではないと思っていますが、待ち切れない思いです」

可夢偉以来の日本人F1ドライバー「重圧はない」

2021年シーズンのF1では角田裕毅を含めた3名がデビューを果たす。

ミック・シューマッハは1999年3月22日生まれの21歳、ニキータ・マゼピンも1999年3月2日生まれの21歳であり、2000年5月11日生まれの角田裕毅は史上初の2000年代生まれのF1ドライバーとなる。

ハースF1のミック・シューマッハ
ハースF1のミック・シューマッハ

日本人としてはケータハムでドライブした2014年の小林可夢偉以来、7年ぶりとなる待望のF1ドライバーという事もあり角田裕毅には大きな期待が寄せられている。プレッシャーはないのだろうか?

角田裕毅は「いえ、特にありません。ルーキーシーズンですので、早くマシンに慣れるよう最初から可能な限り全力でプッシュしていきたいと思っています」と語る。

「できる限りミスしないように頑張りたいと思っていますが、最初のうちは避けようがないと思いますし、ミスする事を恐れてはいません。去年のF2で証明したように、ミスから学ぶ自信があります」

「日本のファンの皆さんに応援してもらえている事は本当に嬉しいことですし、2014年の小林可夢偉選手以来となる日本人ドライバーとしてF1のグリッドに付く事ができた事を誇りに思っています。これまでも自分自身にプレッシャーを課してきましたので、その点では何も変わりません」

ゲーム好きもレースゲームは好きじゃない

レース以外の面では「至って普通の20歳」と語る角田裕毅。好きな色はオレンジ、好きな音楽は日本のポップミュージックで、体を動かしたり、ゲームをするのが趣味なのだという。

「レースをしていない時は日本にいる友達とゲームをしています。エーペックス・レジェンズコール・オブ・デューティなどのシューティングゲームが好きです」

「ターゲットを自分の嫌いな人だと思ってプレイする時もあります。気分がスッキリしますね」

「あとは、ウェイクボードやスノーボードといったアウトドアスポーツも好きです。(レッドブルの本拠地がある)ミルトンキーンズには室内でスノーボードができる場所があるんです。体を動かすことが全般的に好きです」

「スポーツやゲームは心をリセットするのに役立ちますし、終わった後はリフレッシュできます。ただ、リアルではないのでレースゲームは好きじゃないですね」

FacebookにTwitter、そしてInstagramと、角田裕毅は主だったSNSアカウントを開設しているがソーシャルメディアはあまり得意ではないようだ。

「最近は自分の存在感を高めようとも思っていますが、あまり真剣には考えていません。何よりも今はレースと新シーズンに向けてできる限り準備を整える事を第一に考えています」