アルファタウリ・ホンダのチームウェアを着る角田裕毅、2020年F1アブダビGPにて
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角田裕毅、フェルスタッペンとライコネンを彷彿とさせる異例のスピード出世でF1に到達

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角田裕毅は異例とも言うべき速さでジュニアカテゴリーを駆け抜けF1に到達した。4歳の時にカートでキャリアをスタートさせた相模原市出身の20歳のホープは、戦いの地をヨーロッパに移して以降、1つのシリーズで2年以上を過ごした事がない。

2016年に全日本選手権KFクラスでシリーズ4位に輝いた角田裕毅は、翌2017年にシングルシーターデビューを果たし、2018年にポールポジション9回、優勝7回を記録してFIA-F4日本選手権でチャンピオンを獲得した。

この時、ホンダがスクーデリア・トロロッソと関係を持った事で角田裕毅のレッドブルジュニアチーム入りが決まった。

角田裕毅のF1デビュー発表に際してヘルムート・マルコは「Hondaと協力し始めた際に、山本さん(ホンダF1のマネージング・ディレクターを務める山本雅史氏)から有望な若手ドライバーのリストを貰った、その3人の中で一番の印象を受けたのが裕毅だった」と語る。

「実際、その後に行われたF3のテストでは、高速コーナーで素晴らしい走りを見せるなど目を見張るものがあった」

「ひとつの挑戦ではあったが、Hondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクトを運営するホンダと共に裕毅のF3参戦をサポートする事にした」

レッドブル・レーシングのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコとホンダF1の山本雅史マネージング・ディレクター、2020年F1スペインGPにて
ヘルムート・マルコとホンダF1の山本雅史マネージング・ディレクター、2020年F1スペインGPにて / © Red Bull Content Pool

未来のF1ワールドチャンピオンの発掘を目的に、2001年にヘルムート・マルコによって設立された育成プログラム「レッドブル・ジュニアチーム」は、これまでにマックス・フェルスタッペン、セバスチャン・ベッテル、アレックス・アルボン、ピエール・ガスリー、ダニエル・リカルド、カルロス・サインツ、ダニール・クビアトら7名のF1ドライバーを輩出している。角田裕毅は8人目だ。

レッドブルからF1へと至る道筋を示された角田裕毅は、2019年に欧州へと戦いの場を移し、イェンツァー・モータースポーツからFIA-F3選手権に参戦。競争力劣るマシンながらも優勝1回、表彰台3回を獲得してランキング9位を獲得した。

表面的なリザルトは目立ったものではないが、レッドブルとホンダは翌年にF1直下のFIA-F2選手権へとステップアップさせる事を決断した。ヘルムート・マルコはこれについて「F3を1勝のみで終えた事で時期尚早との声もあったが、結果的に翌年にF2に挑戦させるという判断は正しかった」と振り返っている。

そしてカーリンから初のF2に挑むとスピードとオーバーテイク能力の高さを知らしめ、優勝3回、表彰台7回、ポールポジション4回を獲得してミック・シューマッハとカラム・アイロットに次ぐランキング3位でシーズンを締め括った。2位アイロットとの差は僅か1点で、ルーキー・オブ・ザ・イヤーにも輝き、アルファタウリ・ホンダF1のシートを掴み取った。

2020年FIA-F2選手権スパで優勝した角田裕毅
2020年FIA-F2選手権スパで優勝した角田裕毅 / © Honda

角田裕毅はレッドブルの支援を受けて以降、F3、F2、そしてF1と、一度も立ち止まることなく1年毎にハードルを上げてきたわけだが、これはレッドブルジュニアの中でも異例の経歴であり、2人のトップドライバーを彷彿とさせる。

一人目はフェルスタッペンだ。2013年までカート競技に取り組んだ後、2014年にヨーロッパF3でシングルシーターデビューを果たすと同時にF1デビューが決まり、2015年にスクーデリア・トロロッソで初陣を迎え、今や次世代のワールドチャンピオン筆頭候補に挙げられている。レッドブルが角田裕毅をスピード出世させたのは、フェルスタッペンという前例が成功を収めたためと見るべきだろう。

二人目は、2007年のF1ワールドチャンピオン、キミ・ライコネンだ。

1999年にフォーミュラ・ルノーで数戦に参戦した後、初めてフルシーズンを戦った2000年に勝率7割という支配的な強さでチャンピオンを獲得すると、翌2001年にレッドブル・ザウバーでF1デビューを果たした。シングルシーターでのレース経験は僅か23戦しかない。

1979年10月17日生まれ、来年42歳を迎えるライコネンがムジェロで初めてF1マシンに乗った時、角田裕毅は生まれたばかりの赤子だった。2倍の年の差がある2人のレーシングドライバーは、来年のメルボルンでの開幕戦で対峙する。角田裕毅は史上初の2000年代生まれのF1ドライバーとなる。

リーマン・ショックに伴いトヨタとホンダが相次いでF1から撤退した事で、2010年代の日本人ドライバー達はF1へと至る道筋を失う事となり、2014年のアブダビGPを出走した小林可夢偉を最後に、以降6年に渡ってF1は日本人ドライバー不在のシーズンを過ごしてきた。

それだけに、角田裕毅に対する日本のモータースポーツファンの期待は大きい。ヘルムート・マルコは「日本はモータースポーツが非常に盛んな国だが、過去10年の間にF1で成功した日本人はいない。裕毅のように若く、向上心のあるドライバーが日本のモータースポーツ界を再び盛り上げる事は間違いないだろう」と、コース外での活躍にも期待を寄せている。

伝えられるところでは、ヘルムート・マルコは角田裕毅にアルファタウリで1年の経験を積ませた後、フェルスタッペンのチームメイトとして2022年にレッドブルに昇格させる計画を立てているという。全ては来季の活躍次第だが果たして。