ニック・デ・フリース
人物データ
名前 | ニック・デ・フリース / Nyck de Vries |
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国籍 | オランダ |
出身地 | フリースラント州ユイトウェリンゲルガ |
生年月日 | 1995年02月06日 / 29歳 |
身長 | 168cm |
体重 | 58kg |
F1デビュー | 2022年 |
カーナンバー | 21 |
WEBサイト | nyckdevries.com |
SNS | twitter instagram |
ニック・デ・フリース(蘭:Hendrik Johannes Nicasius “Nyck” de Vries、ヘンドリック・ヨハネス・ニカーシウス・ニック・デ・フリース)はオランダ出身のレーシングドライバー。FIA-F2選手権とフォーミュラE選手権制覇を経て、2023年に角田裕毅のチームメイトとしてスクーデリア・アルファタウリからF1フルデビューを果たす。
プライベート
母ナオミ・ヘッセリングと、かつてルノー・クリオでレース活動を行っていた事もある自動車販売会社「デ・フリース・コンペティション」を経営する父ヘンドリック・ヤン・フリースの第一子として生まれた。
趣味はウェイクボードやスキー、走ること。4歳の誕生日に父親からカートを贈られた事がきっかけで、キャリアを歩む事となった。
恋人は同じオランダ出身のエヴァ・ブルッゲンワース(Eva Bruggenwirth)。少なくとも2020年初頭から交際しているようだ。アムステルダムに拠点を置き、ジュエリー、ホームウェア、衣料品コレクションを販売するファッションブランド「Anna and Nina」で働いている。
自己批判的な性格で、アルファタウリのチームメイト、角田裕毅をして「すごく真面目」であり、忌憚なく率直に意見を口にするタイプである。マックス・フェルスタッペン(レッドブル)の自宅へ遊びに行くなど、両者は2022年のコンビ以前から友好な関係にあった。
F1への歩み、異質な経路
数々の勝利を重ねていたカート時代のデ・フリースは誰もが一目置くドライバーであったが、F1への挑戦は27歳まで待たねばならず、そのキャリアは決して平坦ではなかった。
カートでの下積みは8年に及んだ。イタリアに移住し、2010年と2011年にCIK-FIA 世界選手権でチャンピオンに輝いた事で2012年にフォーミュラ・ルノー2.0でシングルシーター・デビューを果たした。2011年はアレックス・アルボンを下しての戴冠だった。
2014年にユーロカップ・フォーミュラ・ルノー 2.0とフォーミュラ・ルノー2.0アルプスでタイトルを獲得するも、ARTグランプリから参戦した2016年のGP3では僚友シャルル・ルクレールが王座を手にする一方、ランキング6位と苦戦。それでもマクラーレン・ドライバー・アカデミーの支援を受け2017年にFIA-F2選手権へステップアップした。
挫折を跳ね除けてのタイトル獲得
デビューイヤーは7位。翌年はタイトル争いへの期待が高まったがそうはならず、開幕7戦で3度のリタイアを喫し、ミスも重なった事でタイトルへの挑戦は始まる前に頓挫した。カート時代に示したポテンシャルを疑問視する声もあった。
なおこの年は所属先のプレマ・パワー・チームに50万ユーロの支払いが必要となり、父親の知人である不動産億万長者のイェルーン・スコートーストが所有する投資会社「インベストランド」から25万ユーロの融資を受けたが、契約を巡って2023年1月にスコートーストから訴えられる事態となった。
曰く2018年は勝利への執念が大きく、リスクを冒しすぎた事が一貫性の欠如に繋がった。デ・フリースは自らのアプローチを見直し、3年目のシーズンを迎えた2019年、最終一つ前の第11戦ソチまでに12回の表彰台を獲得。ラスト2戦を除いた全レースでポイントを獲得し、念願のチャンピオンを獲得した。有言実行の王座獲得だった。
これによりメルセデス・ベンツEQ・フォーミュラEチームとの契約のチャンスを得て、2019-20年シーズンのフォーミュラEに参戦。メルセデスのF1テストドライバー契約を手に臨んだ2020-21年シーズンにタイトルを掴み取り、初となるチームチャンピオンの称号をメルセデスに授けた。
転がり込んできたF1のチャンス
F1への道が開けたのは偶然だった。だが、その訪れたチャンスをデ・フリースは両手で掴み取った。
2022年のF1イタリアGP。世界カート選手権時代のライバル、ウィリアムズのアルボンが虫垂炎を発症したため、その代役としてデ・フリースに白羽の矢が立った。
この年、デ・フリースはスペインGPのフリー走行で若手走行枠を得てウィリアムズFW44をドライブしており、同じマシンを駆るレギュラードライバーのニコラス・ラティフィを上回るタイムをマークしていた。
許された練習走行が僅か1時間だったにも関わらず、デ・フリースは予選でラティフィを上回ると決勝では9位でチェッカーを受け2ポイントを持ち帰り、各方面から大きな賞賛を浴びた。
同郷のマックス・フェルスタッペン(レッドブル)の提案でレッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコに会うべくオーストリアに飛び、そこで食事を共にして自らを売り込んだ。
アルファタウリのフランツ・トスト代表は嫌がったものの、マルコはピエール・ガスリーのアルピーヌ移籍を容認し、代わりにデ・フリースと契約する決断を下した。
主なキャリアと成績
年 | シリーズ チーム |
出走 | 優勝 | ポール | 表彰台 | 順位 |
2004 | オープン・ベルギー選手権 | 10位 | ||||
2010 | CIK-FIA世界選手権—SKF | 1位 | ||||
マクラーレンF1若手育成プログラムに加入(-18年) | ||||||
2011 | CIK-FIA 世界選手権—KF1 | 1位 | ||||
2012 | ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー 2.0 R-ace GP |
14 | 0 | 0 | 2 | 5位 |
フォーミュラ・ルノー2.0 NEC R-ace GP |
11 | 1 | 1 | 4 | 10位 | |
2014 | ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー 2.0 コイラネンGP |
14 | 5 | 6 | 10 | 1位 |
フォーミュラ・ルノー 2.0 アルプス コイラネンGP |
14 | 9 | 9 | 12 | 1位 | |
2015 | フォーミュラ・ルノー3.5シリーズ DAMS |
17 | 1 | 1 | 6 | 3位 |
2016 | GP3シリーズ ARTグランプリ |
18 | 2 | 1 | 5 | 6位 |
2017 | FIA-F2選手権 ラパックス/レーシング・エンジニアリング |
13 | 1 | 0 | 4 | 7位 |
8 | 0 | 0 | 1 | |||
2018 | FIA-F2選手権 プレマ・セオドア・レーシング |
24 | 3 | 2 | 6 | 4位 |
2018–19 | WEC-LMP2 レーシングチーム・ネザーランド |
6 | 0 | 0 | 0 | 9位 |
2019 | FIA-F2選手権 ARTグランプリ |
22 | 4 | 5 | 12 | 1位 |
ル・マン 24 時間 – LMP2 レーシングチーム・ネザーランド |
1 | 0 | 0 | 0 | 15位 | |
2019–20 | フォーミュラE メルセデス・ベンツEQフォーミュラEチーム |
11 | 0 | 0 | 1 | 11位 |
WEC-LMP2 レーシングチーム・ネザーランド |
6 | 1 | 0 | 2 | 10位 | |
2020 | ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ Gドライブ・レーシング |
3 | 1 | 0 | 2 | 5位 |
メルセデスF1テストドライバー | ||||||
2020–21 | フォーミュラE メルセデス EQ フォーミュラ E チーム |
15 | 2 | 1 | 4 | 1位 |
2021 | メルセデスF1リザーブ・ドライバー(-22年) | |||||
2021–22 | フォーミュラE メルセデスEQフォーミュラEチーム |
16 | 2 | 1 | 3 | 9位 |
2022 | F1 ウィリアムズ・レーシング |
1 | 0 | 0 | 0 | 21位 |
アストンマーチンF1テストドライバー | ||||||
アルピーヌF1テストドライバー | ||||||
アルファタウリから閉幕後テスト参加 | ||||||
2023 | F1 アルファタウリ |
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