アレックス・アルボン
人物データ
名前 | アレックス・アルボン / Alexander Albon |
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国籍 | タイ |
出身地 | イギリス |
居住地 | イギリス |
生年月日 | 1996年03月23日 / 28歳 |
身長 | 186cm |
体重 | 74kg |
F1デビュー | 2019年 |
カーナンバー | 23 |
WEBサイト | www.alexalbon.com |
SNS | twitter facebook instagram |
アレックス・アルボン(アレクサンダー・アルボン)はイギリス・ロンドン出身のタイ国籍を持つレーシングドライバー。186cmという長身で、2022年はウィリアムズからF1に参戦する。
DAMSから参戦した2018年のFIA-F2選手権でポールポジション3回、表彰台8回、優勝4回を上げてチャンピオンシップ3位に輝き、2019年にトロロッソ・ホンダからF1デビューを果たすと、第13戦ベルギーGPでピエール・ガスリーに代わりレッドブル・ホンダへと昇格した。
以降、ミルトンキーンズのチームで28戦を戦ったものの、予選・決勝ともにチームメイトのマックス・フェルスタッペンには遠く及ばず、レッドブル・ホンダは2021年のレギュラードライバーとしてセルジオ・ペレスを起用する事を発表した。
その結果、アルボンはレッドブル及びアルファタウリのリザーブ兼テストドライバーに降格すると共に、2021年はレッドブルの支援を受けドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)に参戦。翌年にニコラス・ラティフィのチームメイトとしてウィリアムズでF1復帰を果たした。
F1史上二人目のタイ人ドライバー
シーズン5からフォーミュラEに新規参戦する日産e.damsは2018年9月20日、セバスチャン・ブエミのチームメイトとしてアルボンとの3年契約締結を発表。バレンシアで行われた公式テストに参加する予定であったがアルボンは姿を見せず、代わりにオリバー・ローランドが急遽ステアリングを握る事となった。
その後両者は契約を解消。2018年11月26日にトロロッソ・ホンダからF1デビューする事が正式発表され、1950年代初頭にマセラティで出走したビラボンセ・バヌデジ・バヌバンド王子以来初めてとなるタイ国籍のF1ドライバーが誕生した。
国籍はタイであるものの、英国ロンドンのポートランド病院で生まれ、イギリス・サフォーク州に位置するイプスウィッチ・スクールで基礎教育を受けた。これはキリスト教系の学校だが、本人は熱心な仏教徒。母親がタイ出身であるため、タイ国籍としてエントリーしている。
アルボンは、第二の母国とも言えるF1イギリスGPを前に、自身の国籍について次のように語っている。「僕はタイ人ドライバーとしてレース活動をしてきたし、自分の事をタイ出身のレーシングドライバーだと考えているけど、人生のほとんどを英国で過ごしてきたから、シルバーストンは一種のホームレースと言って良いだろう」
主なキャリア
ルノー・クリオ・カップや英国ツーリングカー選手権(BTCC)、ポルシェ・カレラカップ・アジア等で活躍したレーシングドライバーの父ナイジェルの影響で、2005年(8歳)でキャリアをスタート。2011年の世界カート選手権2位を獲得した後、2012年にフォーミュラ・ルノー2.0でシングルシーター・デビューを果たした。
だが同年の成績は散々なもので、1ポイントも獲得できず全49名中チャンピオンシップ38位と低迷。同じ年、レッドブルのジュニアプログラムに迎え入れられたものの、僅か1年で放出された。
その後も同シリーズへの参戦を続け徐々に実力をつけると、シーズン3年目の2014年に表彰台3回、ポールポジション1回を獲得し、チャンピオンシップ3位を獲得。2015年にはFIA ヨーロッパF3選手権に、翌2016年にはARTグランプリからGP3シリーズにステップアップし、年間2位に輝いた。
2017年のFIA-F2選手権第11戦アブダビで表彰台に上がったプレマレーシングのシャルル・ルクレールとARTグランプリのアレックス・アルボン
2017年には同じくARTグランプリからFIA-F2選手権に参戦。松下信治のチームメイトとして20戦を戦い選手権10位でルーキーイヤーを終えた。
年 | シリーズ | 成績 |
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2014 | ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0(KTR) | 3位 |
2016 | GP2シリーズ(ARTグランプリ) | 2位 |
2018 | FIA-F2選手権(DAMS) | 3位 |
2019 | トロロッソ・ホンダでF1デビュー | |
第13戦ベルギーGPよりレッドブルに移籍 | 8位 | |
2020 | レッドブル・レーシング | 7位 |
2021 | レッドブル/アルファタウリのリザーブ兼開発 | |
DTM(アルファタウリ・AFコルセ) | 6位 | |
2022 | ウィリアムズF1 | – |
トロロッソ・ホンダでF1デビューすると、経験豊富なダニール・クビアトに負けず劣らずの好走を連発。ロス・ブラウンをして「今年の3人のルーキーの中で最も成功を収め、最も大きなサプライズだったのはアレクサンダー・アルボンだ」と言わしめた。
その活躍と注目度の高さから、母国タイの大手企業がこぞってトロロッソに大挙。タイ最大企業PTTORや、サイアム・ワイナリー傘下のムースとのスポンサー契約が成立し、更に両者はアルボンをアンバサダーとして起用した。サイアム・ワイナリーはレッドブル創業者一族が所有するタイ最大手のワイナリーだ。
レッドブルは2019年夏、成績不振に苦しんでいたピエール・ガスリーをトロロッソへと降格させる事とし、代わりにアルボンをレッドブルへと昇格させる事を発表。デビューから僅か半年での大抜擢となった。
フェルスタッペンとの予選ギャップは平均0.494秒と大きく開いたものの、決勝レースではミスなく一貫性のあるパフォーマンスを発揮して、ピエール・ガスリーとは対極的に安定してポイントを重ねて2020年のシートを確保。また、FIAのルーキー・オブ・ザ・イヤーにも選出された。
プライベート
F1ドライバーを志したきっかけはミハエル・シューマッハ。「熱狂的なフェラーリファン」を自認するアルボンは、当時6歳だった2002年のF1イギリスGPで、フェラーリのホスピタリティに行く機会を得て、優勝を果たしたシューマッハと2位表彰台を獲得したルーベンス・バリチェロと対面した。
シューマッハからサイン入りの帽子を手渡された。以来、本人曰く「ハードコアファン」なのだという。アルボンはその”狂信ぶり”について「部屋を赤く塗り、ワードローブや布団カバーなんかは全て赤色だった。そして壁はポスターで覆われていた。ガチンコの熱狂的信者だったよ!」と回顧している。
ヘルメットを自分でデザインするのが趣味で、福住仁嶺やジョージ・ラッセルのヘルメットをデザインした事もある。
F1デビューイヤーにアルボンは、最も楽しみにしているコースに鈴鹿サーキットの名前を上げていた。翌シーズンの開幕前に「好きなサーキットは?」との問いに対して「鈴鹿だね。本当に良かった。去年初めて行ったんだけど、アメージングだった。度胸が試されるんだ。ミスをするとそれを感じる。ハイスピードでテクニカル的にもハイレベルなんだけど、それと同時に、F1マシンをドライブしてるんだって時間を与えてくれる」と答えている。
自称ゴルフ下手ながらも、中国出身のプロゴルファー、リリーことへ・ムニと交際している。
欠点は「良い奴」過ぎる事
近年のF1界の中では最も親しみやすく、グリッド上で最も”ナイスガイ”なドライバーの一人として知られるが、逆にそれは欠点ともみなされている。
F1浪人生活を余儀なくされた2021年は、不振に喘ぐ角田裕毅(アルファタウリ)のコーチ役を引受け、舞台裏でマックス・フェルスタッペン(レッドブル)のF1初タイトルを支えた。
ウィリアムズのヨースト・カピートCEOはアルボンについて「クルマに乗り込んでバイザーを下ろすと真のファイターに変貌するが、クルマの外では本当に良いヤツ」だとして「本当に感銘を受けている」と称賛する一方、次のように語っている。
「彼はナイスガイだし、本当に行儀が良い。そこで、クルマの外でももう少しファイターになれ、エンジニアと話す時はもう少し毅然としろ、と言って育てているんだ」