シャルル・ルクレール
人物データ
名前 | シャルル・ルクレール / Charles Leclerc |
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国籍 | モナコ |
居住地 | モナコ |
生年月日 | 1997年10月16日 / 27歳 |
身長 | 179cm |
体重 | 69kg |
WEBサイト | www.charlesleclerc.com |
SNS | twitter facebook instagram |
シャルル・ルクレールは、モナコ出身のレースドライバー。2016年のGP3チャンピオンでありフェラーリ・ドライバー・アカデミーの一員。2018年に復活したアルファロメオ・ザウバーでF1デビューを果たした。
参戦1年経たずして、キミ・ライコネンとトレードという形でのスクーデリア・フェラーリ昇格を決め、1961年のリカルド・ロドリゲスに次ぐ若さでマラネロの門をくぐる事になった。
主なキャリア
ルクレールは2014年にフォーミュラ・ルノー2.0で選手権2位、15年のマカオF3で2位を獲得した後、16年にARTグランプリからGP3シリーズに参戦。アレックス・アルボンに大差をつけてタイトルを獲得すると、翌17年のFIA F2選手権では全22戦中7戦を上げ282ポイントを獲得し、圧倒的な強さを見せつけて初代F2チャンピオンに輝き、F1デビューの権利を手にした。
デビュー前には2016年のF1イギリスGPフリー走行1でハースから出走、翌17年のインシーズン・ハンガリーテストではフェラーリSF17-Hを駆り、レギュラードライバーを抑え堂々の最速タイムを記録している。
2018年にアルファロメオ・ザウバーでF1デビューを果たすと、ベテランのチームメイト、マーカス・エリクソンに対して予選で17勝、勝率にして81%を叩き出し、平均して0.43秒ものギャップを築き上げた。この活躍を受けてFIAドライバー・コミッションは、2018年のFIAルーキー・オブ・ザ・イヤーにルクレールを選出。FIA-F2選手権時代に続く2年連続の快挙を果たした。
- 2014年
- フォーミュラ・ルノー2.0に参戦、年間2位
- 2015年
- 欧州F3に参戦、年間4位
- 2016年
- ARTグランプリからGP3に参戦、年間王者
ハースF1からイギリスGPフリー走行出走 - 2017年
- プレマ・パワーからF2に参戦、現在選手権をリード
8月のF1公式テストに参加、最速タイムを記録 - 2018年
- アルファロメオ・ザウバーからF1に参戦
- 2019年
- フェラーリに移籍
幼馴染のジュール・ビアンキ
2014年のF1日本GPでの事故によりこの世を去ったジュール・ビアンキは幼少の頃からの兄貴分で、ドライビングのアドバイスを受けていた仲だった。父親エルヴェがビアンキの父親と親友であった。ルクレールはビアンキの父が経営するカート場で4歳の時にキャリアをスタートさせた。エルヴェもまたF3等でレースをしていたレーシングドライバーであり、F1でも数回テストを行っている。
ビアンキからの教えもあって早くから頭角を現したルクレールは、ビアンキと同じ様にFIA会長ジャン・トッドの息子であるニコラス・トッド率いるARM(オール・ロード・マネージメント)に加入。その後、フェラーリのジュニアプログラムに加わった。
© Ferrari S.p.A. / フェラーリのレーシングスーツに身を包んだビアンキ
ビアンキも同じ様に跳ね馬育成プログラムに在籍。非力なマルシャのマシンを巧みに操り入賞を重ねる活躍を披露。フェラーリ昇格が確実視されていたものの、2014年のF1日本GPで事故に遭い9か月後の2015年7月に帰らぬ人となった。親友を失ったルクレールは、その2年後にも54歳の若さで父親エルヴェを亡くし、立て続けに大事な人を失った。
フェラーリとの契約が発表された2018年9月11日、ルクレールは、このチャンスが得られたのは自身のキャリアを支えてくれた膨大な数の人々のサポートがあってこそ、との認識を示し、「亡き父やビアンキを失望させない、これまで以上に努力する」との決意を表明した。
ピエール・ガスリーも幼少期からの友人。
モンテカルロ市街地コースは自分の庭
モナコで生まれ育ったルクレールにとって、F1モナコGPの舞台、モンテカルロ市街地コースは幼少の頃から慣れ親しんだ自分の庭のようなものだ。
「自分が育った街の通りをドライブ出来るなんて僕にとっては本当に名誉なことさ。レースコースは僕が5歳とか6歳の時にバスで通学したのと同じ道なんだ。なんだか変な感じだよね。でも、そんな場所をF1マシンで走るのは最高に特別な気分だ」
「人生で初めてモナコGPを見たのは、、多分4歳くらいの時だったと思う。結構鮮明に覚えてるんだけど、僕はあの時友達のアパートに遊びに行っていて、車のオモチャで遊んでたんだ。そして横目で同時にグランプリを見ていた。赤いマシンが異様に速くてね。たぶんマイケルがフェラーリをドライブしてたんじゃないかな。ホント楽しかったな」
プライベート
© @charlottesiine、シャーロット・シネとシャルル・ルクレール
同い年のジャーダ・ジャンニと2015年1月から交際。レースに集中したいとの理由で2019年末に破局するも、僅か数カ月後には同じくモナコ出身のシャーロット・シネ(Charlotte Sine)と付き合い出し、モナコのアパートで同棲している。