田辺豊治
人物データ
名前 | 田辺豊治 / Toyoharu Tanabe |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1960年05月12日 / 64歳 |
田辺豊治(たなべ とよはる)は、ホンダF1の現場指揮官に相当する”テクニカルディレクター”を務める人物。2018年1月1日、トロ・ロッソとのパートナーシップ開始に伴い新設された同職に就任した。ホンダのF1全体を統括する”F1プロジェクト総責任者”のポジションは廃止となり、前任の長谷川祐介は退任した。
キャリアの大部分で、F1やCARTやインディカーなどのモータースポーツレースの現場第一線で活動。1984年に本田技術研究所に入社した後、90年から92年まで第一期マクラーレン・ホンダに参加。ゲルハルト・ベルガー担当エンジニアを務めた。ベルガーは田辺に絶大な信頼を寄せており、その優秀さを讃えている。
ホンダF1第3期(2000~2008年)ではジェンソン・バトンのレースエンジニアを担当。頭角を現した田辺はレース・テストマネージャーを兼任して実走現場を統括した。
ホンダ撤退後は日本へと戻り、量産エンジンの開発に従事。2013年から17年にかけては、ホンダの米国レース拠点であるホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)のシニア・マネージャー兼レースチーム・チーフエンジニアとして活躍し、インディカーに転向した佐藤琢磨と共に第101回インディアナポリス500優勝の快挙を達成した。
佐藤琢磨は田辺について「何でも言えて何でもリクエスト出来る人。物腰はすごく柔らかくて、何でも本当に気さくに話せるエンジニアだけど、内に秘めたものはすごく熱い。勝利への執念と言うか、ホンダとしてやる以上は絶対に勝つ、といった強い意志を持った方」と答えている。
ホンダF1の現場統括責任者として着任した一年半後、2019年第9戦F1オーストリアGPでホンダエンジンを搭載するレッドブル・レーシングのマックス・フェルスタッペンが優勝。ホンダにとっては2015年のF1復帰以降初、通算では2006年8月のハンガリーGP以来13年ぶり73度目のグランプリ制覇を果たし、田辺はキャリアを通して初めて表彰台に上がり、偶然にもプレゼンテーターを務めていたベルガーと熱く抱き合った。
© Getty Images / Red Bull Content Pool
田辺はレッドブルのヘルムート・マルコから表彰台に向かうよう促されていたものの、自身が登壇するとは夢にも思わず、国家演奏後に遅れてポディウムに上がるという前代未聞の事態に。その時の心境について田辺は後に「表彰台に登ると分かった瞬間に優勝の喜びが消え失せ、一瞬にして緊張感の塊へと変わったが、表彰台の上から下にいるHondaやRed Bullのメンバーを見たときに、一気に喜びがこみ上げてきた」と語っている。
プライベート
日本での愛車はホンダのS2000。好きなエンジンはV10で、その理由については「音が最高です。音的にはV12の方が良いですが、重量やパフォーマンスといったマシンと組み合わせを考えるとV10エンジンが最高だと思います」と語っている。
主な経歴
年 | 主なキャリア |
---|---|
1984年 | 本田技研工業(株)入社 |
1990年-92年 | 第一期マクラーレン・ホンダ ゲルハルト・ベルガー担当エンジニア |
1993年-03年 | IndyCarエンジン研究、レースエンジニア |
2003年 | B・A・R Honda ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア |
2004年-05年 | バトン担当兼Hondaレース・テストマネージャー |
2006年-07年 | Honda Racing F1 Team バトン担当チーフエンジニア兼Hondaレース・テストマネージャー |
2008年 | 本田技術研究所 F1開発責任者 |
2009年-13年 | 本田技術研究所 量産エンジン開発 |
2013年-17年 | HPDシニア・マネージャー兼レースチーム・チーフエンジニア |
2018年- | ホンダF1テクニカルディレクター |