ジョナサン・ウィートリー

  • Published:
  • Googleで優先するソースとして追加する

人物データ

名前 ジョナサン・ウィートリー / Jonathan Wheatley
国籍 イギリス
生年月日 1967年05月07日 / 59歳
SNS x instagram

ジョナサン・ウィートリー(英:Jonathan Wheatley)は、イギリス出身のF1チーム運営および競技分野の専門家。2025年4月1日付でチーム代表としてザウバーに移籍し、同チームのリブランドに伴い、2026年現在はアウディF1チームのチーム代表を務める。

専門とするのは競技運営全般、競技規則の解釈・対応、国際自動車連盟(FIA)との公式折衝、ピットオペレーションを含む現場統括。アウディではテクニカル・ディレクターのジェームズ・キーや、F1プロジェクト総責任者を務めるマッティア・ビノットとは明確に役割を分担する。F1における実務経験は30年以上に及ぶ。

1991年にベネトンF1でメカニックとしてキャリアをスタートさせ、後に技術畑からマネジメントへと職務を転じた。2006年から2024年末までレッドブル・レーシングで要職を務め、13回の世界タイトル獲得(ドライバーズ8回、コンストラクターズ6回)に大きく貢献した。

ウィートリーは、「技術の現場を知るメカニック出身者が、F1で最も政治的な役職に到達した希少な人物」である。

マックス・フェルスタッペンの10連勝を祝うクリスチャン・ホーナー代表、スポーティング・ディレクターのジョナサン・ウィートリー、ヘルムート・マルコらレッドブルのメンバー、2023年9月3日(日) F1イタリアGP(モンツァ・サーキット)Courtesy Of Red Bull Content Pool

マックス・フェルスタッペンの10連勝を祝うクリスチャン・ホーナー代表、スポーティング・ディレクターのジョナサン・ウィートリー、ヘルムート・マルコらレッドブルのメンバー、2023年9月3日(日) F1イタリアGP(モンツァ・サーキット)

キャリアの変遷

ウィートリーのF1キャリアは1991年、ベネトンF1でのメカニック職から始まった。その後ルノーF1に移籍し、3年間にわたりチーフメカニックを務めるなど、初期は技術畑で経験を積んだ。

本人が後に語ったように、この時期にウィートリーは、「チーフエンジニアとして技術職を極めるか、マネジメントに進むか」という選択に直面した。最終的には、設計や解析ではなく「人を活かし、チームを創る側」の役割を選び、2006年にチームマネージャーとしてレッドブル・レーシングに移籍した。

2018年にはスポーティング・ディレクターに就任。競技規則の順守責任者、レースコントロール対応、抗議や審問への対応を統括し、レース週末における競技的判断の最終責任者を務めた。さらにピットクルーの統括責任者としても、レース運営の中枢を担った。

よく知られた成果の一つが、レッドブルのピットクルーを世界最速の集団に育て上げた功績だ。ウィートリーは、F1におけるピットストップタイムのベンチマークを作り上げた人物としても評価されている。

レッドブルは、2019年のブラジルGPでマックス・フェルスタッペンが駆る「RB15」の4輪交換を1.82秒で完了。これは同年ドイツGPで記録した自らの1.88秒というF1史上最速記録を更新するものだった。このタイムは、2023年カタールGPでマクラーレンが1.80秒を記録するまで、約4年間にわたり世界最速の基準として君臨した。

F1バーレーンGP FIA公式記者会見に出席するジョナサン・ウィートリー(ザウバー・アウディ代表)、2025年4月12日 (1)Courtesy Of Sauber Motorsport AG

F1バーレーンGP FIA公式記者会見に出席するジョナサン・ウィートリー(ザウバー・アウディ代表)、2025年4月12日 (1)

2024年8月1日、アウディはウィートリーを新生アウディF1チームのチーム代表に起用すると正式発表した。同年末までレッドブルに在籍した後、ガーデニング休暇を経て2025年4月1日にザウバーへ合流。これに伴い、家族とともにイギリスを離れ、スイス・ヒンウィルへ移住した。

プライベートと評価

キャリア後半で母国を離れ、家族ごとスイスへ移住する決断は、アウディF1プロジェクトに対する本気度を示す象徴的な行動と言える。ウィートリーは主に以下の観点から、「最も信頼できるF1スポーティング・ディレクター」の一人として、パドック内で高く評価されてきた。

  • 競技規則に対する条文レベルの深い理解
  • 統括団体であるFIA側との信頼関係
  • 感情論を排した冷静かつ実務的な交渉能力

なお、ウィートリーのレッドブル離脱に伴い、同チームではジャンピエロ・ランビアーゼがレース部門責任者に昇格し、スティーブ・ノウルズが競技規則対応の実務を引き継ぐという、新たな体制が構築された。当初は一人の人間が担っていた役職を複数人で分割するこの再編は、ウィートリーが背負ってきた職務の複雑さ・領域の広さを裏付けるものとなった。