人物データ
名前 | 中嶋一貴 / KAZUKI Nakajima |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県岡崎市 |
生年月日 | 1985年01月11日 / 39歳 |
身長 | 175cm |
体重 | 60kg |
F1デビュー | 2007年 |
WEBサイト | blog.kazuki-nakajima.com |
SNS |
中嶋一貴とは、日本におけるF1パイオニア中嶋悟を父に持つレースドライバー。弟はレーシングドライバーの中嶋大祐。全日本F3選手権、GP2などを経て2007年にウィリアムズよりF1参戦し3年間同チームよりF1を戦った。その後は国内に拠点を移し、スーパーフォーミュラ、SUPER GT、WEC世界耐久選手権などでレース活動を行っている。
F1での中嶋一貴の経歴
2007年-F1デビュー
2007年シーズンからトヨタエンジンの供給を受けることになったウィリアムズのテストドライバーとしてF1へ。同年はGP2シリーズを戦いながらウィリアムズのサードドライバーを兼務していたが、中国GPでのアレクサンダー・ヴルツの引退発表によって、最終戦ブラジルGPでF1デビューを果たす。日本人としては17人目のF1ドライバーである。また、アジア人では初めての親子2代のF1ドライバーとなった。最終ブラジルGPでは10位で完走したが、ピットクルーを轢いてしまうなどのアクシデントもあった。
creativeCommonsgillian bonfils photography
2008年シーズン
2008年シーズンはウィリアムズとレギュラードライバー契約し、日本人8人目のフルタイムドライバーとして参戦した。ちなみにクルサードなんかは、「ナカジマにはまだF1は早いんじゃないか?」と言っていた。結果的には2008年シーズンはクラッシュなども目立ったが、デビューシーズンとしてはまぁまぁギリギリといった成績で、9ポイントを獲得しドライバーズランキング15位に終わる。
2009年シーズン
2009年シーズンも引き続きウィリアムズのレースドライバーとして参戦。 第1戦のオーストラリアGPでは一時は4位を走行するものの単独クラッシュでリタイア。第7戦トルコGPでは終盤まで入賞圏内を走りポイント確実という状況の中、最後のタイヤ交換でトラブル。結果12位に終わる。第8戦イギリスGP予選では、自己ベストの5位。決勝開始直後4位に上がったものの、またもやタイヤ交換トラブルで順位を落とし、そのまま後半もラップが中々伸びずに11位に終わる。
デビューシーズンと比べて走りもアグレッシブになりいい感じではあったのだが、シーズン通して運にも見放され結果を出せずノーポイントに終わった。何かがかみ合っていたらもっと違った結果になっただろうと思ってもしょうが無いが、残念である。
結局2009年を以てウィリアムズから放出され、行き場を失っていたところにトヨタの支援でステファンGPと契約するも当のステファンGPが2010年の参戦権を得られずF1シートを失った。
国内復帰後のレース活動
2011年に全日本F3時代に所属していたトムスに復帰。12年には自身初となる全日本チャンピオンに、フォーミュラ・ニッポンの最後のチャンピオンに輝いた。2014年のル・マン24時間レースでは、日本人初となるポール・ポジションを獲得し、決勝でもトップを快走していたが、マシントラブルでリタイア。
16年のル・マン24でも、残り6分まで首位を快走しその勝利は誰の目から見ても確実と思われていたが、まさかの電装系トラブルが発生。念願の初勝利とはならなかったが、国内復帰後の一貴はF1時代とは異なり大きく成長を遂げ、真に実力のあるレーシングドライバーと誰もが認めるところだろう。