
フェルナンド・アロンソ
人物データ
名前 | フェルナンド・アロンソ / Fernando Alonso |
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国籍 | スペイン |
出身地 | アストゥリアス州オビエド |
居住地 | アラブ首長国連邦 |
生年月日 | 1981年07月29日 / 43歳 |
身長 | 171cm |
体重 | 68kg |
WEBサイト | www.fernandoalonso.com |
SNS | twitter facebook instagram |
フェルナンド・アロンソは、スペイン出身の元F1ドライバー。本名フェルナンド・アロンソ・ディアス(Fernando Alonso Diaz)。2005年、当時のF1史上最年少ドライバーズチャンピオン記録を樹立し、翌2006年には皇帝ミハエル・シューマッハに引退の引導を渡し、連覇を達成するという快挙を成し遂げた。
2度のタイトル獲得の後、更なる勝ち星を重ねるべくマクラーレン、フェラーリ、マクラーレン・ホンダと移籍。現役最強との呼声高かったものの、2018年シーズン末を以てF1から引退した。
F1最終シーズンとなった2018年は、F1と並行してTOYOTA GAZOO RacingからWEC世界耐久選手権2018-19シーズンへと参戦。中嶋一貴、セバスチャン・ブエミと共にTS050 HYBRID 8号車をドライブしてル・マン24時間レースで2連覇を成し遂げるなど強さを示しチャンピオンを獲得した。
F1での経歴
ミナルディ 2001年
19歳にしてミナルディからF1デビュー。入賞こそなかったが、競争力の劣るミナルディのマシンを駆りながらベネトンやBARと争うなど卓越したパフォーマンスを見せ、注目を集める。ドライバーズランキング23位に終わる。
ルノー 2002-2006年
2002年にルノーのチーム代表でアロンソのマネージャーでもあったフラビオ・ブリアトーレにより、ルノーのテストドライバーとして契約。翌2003年にルノーはジェンソン・バトンとの契約を終了しアロンソはレギュラードライバーの地位を掴む。そして第2戦マレーシアGP予選において、当時の史上最年少記録(21歳236日)でポールポジションを獲得。決勝レースは3位で、これも当時の史上最年少記録(21歳237日)での表彰台獲得を果たした。
マクラーレン 2007年
3年契約でマクラーレンに移籍。チームメイトはこの年F1にデビューしたルイス・ハミルトン。1ポイント差で年間3位となる。ハミルトンとの確執、チーム代表であったロン・デニスとの対立などが原因となり、わずか1年でチームを離脱し、翌年からは古巣ルノーに復帰した。
ルノー 2008-2009年
マシンの競争力不足により、08年は年間5位、09年も9位に留まった。シーズン終盤には「F1で最悪のマシン」と言い放ち、翌年よりフェラーリに移籍。
フェラーリ 2010-2014年
キミ・ライコネンに代わりフェラーリに移籍。初年度はランキング2位、11年は4位、12年は2位、13年も2位、14年は6位と、僅かなところでワールドチャンピオンには届かずフェラーリを去った。
マクラーレン 2015年-2018年
ホンダがF1復帰を果たした15年にマクラーレンへ移籍。他のPUサプライヤーに遅れを取るホンダエンジンの非力さも相まって苦難の時を過ごす。15年のホンダの母国である日本GPでは「GP2(下位カテゴリー)のエンジンか!」とレース中に無線で発言するなど、そのフラストレーションはかなりのものであった。
マクラーレン・ホンダ復帰3年目となる2017年、シーズン前の公式バルセロナテストで新設計のホンダエンジンにトラブルが続出。アロンソは「こんな状態で走るのは危険すぎる。ドライバビリティが酷くてリアのバランスが最悪だ。こんな状態じゃテストなんてできない。本当にクソみたいなエンジンだ。知ってるだろ?最悪のパワーユニットだ」と喚き散らした。
これを機に、アロンソ残留を第一優先に掲げたマクラーレンはホンダ外しの画策に。結果、シーズン終了を待たずして両者は決別を発表。行き場のないアロンソはマクラーレンとの契約を更新した。
F1以外の経歴
インディ500参戦
© Indycar
マクラーレン・ホンダ参戦2年目の2017年、世界三大レース全制覇(トリプル・クラウン)を目指し、F1モナコGPを欠場してアンドレッティ・オートスポーツからインディアナポリス500マイルレースへ参戦した。そのため、昨年でF1を退いたジェンソン・バトンが一時復帰、モナコGPでの代役を務めた。
初のオーバルコース挑戦となったが、強豪アンドレッティ・オートスポーツのマシン性能の後押しもあり、予選ファスト9へと進出して5番グリッドを獲得。決勝2列目からの権利を手にした。レースでは27周に渡ってラップリーダーに躍り出るなど印象的な走りを見せたが、残り21周のところでエンジンブローによりリタイア。チームメイトの佐藤琢磨が優勝を果たした。
2度目の参戦は2019年。マクラーレンは当初、アンドレッティとの技術提携での参戦を目指していたが契約叶わず、カーリンとタッグを組んでシボレーエンジンを搭載し、アロンソもこれに加わった。アンドレッティとの交渉が破談に終わったのは、エンジンサプライヤーのホンダがアロンソに難色を示したためとも報じられた。関連:ホンダ、フェルナンド・アロンソの乗車を拒否
結果は予選敗退。新興・予算難のフンコス・レーシングのカイル・カイザーに蹴落とされる形で34番手に終わり、1マイルすら走行せずにインディアナポリスを去る事となった。
WEC・ルマン24時間レース参戦
© TOYOTA MOTOR CORPORATION
トヨタ・ガズーレーシングからWEC世界耐久選手権2018-19シーズンに参戦。プロトタイプカー経験のなかったアロンソは、2018年1月に開催された世界三大耐久レースの一つであるデイトナ24時間レースに、マクラーレンCEOのザク・ブラウンが所有するユナイテッド・オートスポーツから参戦して地ならしを行った。。
フィル・ハンソン、ランド・ノリスと共に23号車をドライブし予選では13番手を獲得。だた、肝心の決勝ではブレーキやクラッチトラブルに見舞われ、プロトタイプクラス13位、総合38位という結果に終わった。