1978年型フェラーリF1マシン「312T3」とカルロス・ロイテマン
Courtesy Of Ferrari S.p.A.

カルロス・ロイテマンが79歳で死去…F1デビュー戦で鮮烈ポールポジション、謎の引退と政治家への転身

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アルゼンチン出身の元F1ドライバー、キャリア通算12勝を誇るカルロス・ロイテマンが2021年7月7日に79歳でこの世を去った。娘のコーラさんが同日、明らかにした。

今年5月に消化管出血を起こして地元病院に入院。一時は集中治療室に入ったものの、その後回復して退院していた。だが7日(水)に地元サンタフェの病院で息を引き取った。

1977年型フェラーリF1マシン「312T2」をドライブするカルロス・ロイテマンCourtesy Of Ferrari S.p.A.

1977年型フェラーリF1マシン「312T2」をドライブするカルロス・ロイテマン

1942年にアルゼンチンのサンタフェで生を受けたカルロス・ロイテマンは、1972年から1982年までF1に参戦。当時のトップチームであったブラバム、フェラーリ、ロータス、ウィリアムズなどで活躍した。だが表面的なリザルトから、最も過小評価されているドライバーの一人と言える。

デビュー戦となった1972年のF1アルゼンチンGPで鮮烈のポールポジションを獲得すると、1981年にはラスベガスでの最終戦でギアボックストラブルに見舞われ8位に終わり、僅か1ポイント差でネルソン・ピケに逆転タイトル負けを喫した。

ただ、同年の開幕戦として予定されていた南アフリカGPが世界選手権ポイントの対象レースであったならば、カルロス・ロイテマン(同レースで優勝)はネルソン・ピケ(同2位)に2点差を付けてF1ワールドチャンピオンに輝いていた計算となる。

そして翌年の1982年開幕南アフリカGPで見事2位表彰台を獲得すると、その数週間後にキャリア引退を表明した。

フォークランド紛争をきっかけにアルゼンチンとイギリスの間で政治的緊張が高まったためだともされるが、 ウィリアムズのチーフデザイナーであったパトリック・ヘッドは、フォークランド紛争は単なる口実で、すでにやる気を失っていただけだとしている。

F1引退後は世界ラリー選手権(WRC)の自国ラウンドに2度ほど出場。その後は知名度の高さから選挙への出馬を要請され、1991年から95年と99年から2003年の2期に渡ってサンタフェ州知事を務めた後、2003年には同国の上院議員となるなど政治家へと転身した。

フェラーリF1所属時代のカルロス・ロイテマンCourtesy Of Ferrari S.p.A.

フェラーリF1所属時代のカルロス・ロイテマン

1977年型フェラーリF1マシン「312T2」に乗り込むカルロス・ロイテマンCourtesy Of Ferrari S.p.A.

1977年型フェラーリF1マシン「312T2」に乗り込むカルロス・ロイテマン