ジェームズ・アリソン
人物データ
名前 | ジェームズ・アリソン / James Allison |
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国籍 | イギリス |
出身地 | リンカンシャー |
生年月日 | 1968年02月22日 / 56歳 |
ジェームズ・アリソン(英:James Allison)はイギリス・リンカンシャー出身のF1エンジニア、カーデザイナー。メルセデス黄金期の立役者であり、フェルナンド・アロンソとルノーのWタイトルにも貢献したエイドリアン・ニューウェイに次ぐF1界きっての大物裏方である。
父は元英国空軍のジョン・アリソン大将。アビンドン・スクールとケンブリッジ大学で学び、ベネトンの空力部門でキャリアをスタートさせた。
主なキャリア
アリソンはケンブリッジ大学を卒業後、ジュニア空力デザイナーとしてベネトンF1チームに加わった。その2年後にラルースF1チームの空気責任者に任命されたが、資金難を抱えるチームは苦労を強いられた。
その結果、アリソンは空力デザイナーとして古巣ベネトンに復帰。1994年にはミハエル・シューマッハがチャンピオンを獲得し、翌年にはコンストラクターズを含むダブルタイトルを獲得するなど、チームは成功を収めた。
1997年に空力部門の責任者に昇進すると、その2年後にはエンストンからマラネッロのチームへと移籍し、スクーデリア・フェラーリのトラックサイド・エアロダイナミストとして6度のコンストラクターズ・チャンピオンに貢献するなど、重要な役割を果たした。
イタリアでの6年間を経て英国に戻ると、副テクニカル・ディレクターの役職でルノーに移籍。若きスペイン人、フェルナンド・アロンソがステアリングを握ったルノーは2005年と2006年にコンストラクターズ・チャンピオンシップを連覇した。
2009年にテクニカルディレクターに昇進すると、チームがロータス・ルノー、その後ロータスF1チームに移行してもチームに留まり、2012年のアブダビGPではキミ・ライコネンによるチーム初優勝をお膳立てした。
2013年にフェラーリに戻ると、今度はテクニカル・ディレクターとして活躍。2016年シーズン途中でチームを去ると、2017年にメルセデスのテクニカル・ディレクターとしてパドックに戻り、5年連続のコンストラクターズタイトルと4度のドライバーズタイトル獲得に重要な役割を果たした。
- 1989年
- ケンブリッジ大学で航空宇宙工学の学位を取得
- 1990年
- ベネトンのエアロダイナミクス部門エンジニア
- 1992年
- ラルースのエアロダイナミクス責任者
- 1999年
- フェラーリに移籍
- 2005年
- ルノーに移籍
- 2009年
- テクニカルディレクターに昇格
- 2013年
- フェラーリのテクニカルディレクターに就任
- 2016年
- 7月、シーズン半ばでフェラーリを離脱
- 2017年2月
- 2月、テクニカル・ディレクターとしてメルセデスへ
- 2021年7月
- 新たに設けられた最高技術責任者(CTO)に就任
- 2023年4月
- 成績挽回の命を受けテクニカル・ディレクターとして現場復帰
計21回のタイトルを獲得
2000年から2004年にかけてはミハエル・シューマッハとフェラーリの、2005年と2006年にはフェルナンド・アロンソとルノーの、そして2018年から2020年にかけてはルイス・ハミルトンとメルセデスのタイトル獲得に貢献し、2023年現在、ドライバーズとコンストラクターズを合わせて計21回のチャンピオンシップ制覇を果たしている。
エンジン凍結解除のきっかけ
2015年は本来、規定によりエンジンを開発することができないはずであったが、そのエンジン規定が突然凍結解除となった。これはアリソンが規定の抜け穴を発見したためだった。彼の発見によりFIAは規定を変更せざるを得なくなりトークン性が導入された。
フェラーリからメルセデスへ
2016年7月末、シーズンの半ばでフェラーリを離脱。この年の初旬に妻が亡くなったことが要因と言われている。子どもたちの住むイギリスを拠点としたチームに移るのではとの噂が絶えなかったが、その噂は翌年現実のものとなり、2017年2月にテクニカル・ディレクターとしてメルセデスに加入した。