
エイドリアン・ニューウェイ
人物データ
名前 | エイドリアン・ニューウェイ / Adrian Newey |
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国籍 | イギリス |
出身地 | ウォリックシャー |
生年月日 | 1958年12月26日 / 66歳 |
エイドリアン・ニューウェイ(Adrian Newey OBE)は、1958年12月26日生まれのイギリス出身レーシングカー・デザイナー。2024年9月、アストンマーチンF1チームのマネージング・テクニカル・パートナー」への就任が発表された。
これまでに手掛けたマシンはグランプリ優勝220回以上、表彰台530回以上を記録。さらに、12回のコンストラクターズタイトル獲得に貢献し、10名のF1ワールドチャンピオンを誕生させるなど、16歳で学校を退学になった(コンサート会場でのサウンドチェックをハイジャックして、ステンドグラスの窓を吹き飛ばした事が原因)にも拘らず、F1史上最も成功したデザイナーとして知られる。
アストンが年俸3000万ポンド(約57億円)+株式という破格の待遇で彼を迎え入れたと噂されるのも納得の人材で、「空力の鬼才」とも称される。2012年には長年の功績が評価され、大英帝国四等勲爵士(OBE)を叙勲した。
Courtesy Of Aston Martin Lagonda Limited
フェルナンド・アロンソ、エイドリアン・ニューウェイ(マネージング・テニクカル・パートナー)、ローレンス・ストロール、ランス・ストロール、2024年9月10日
Courtesy Of Red Bull Content Pool
優勝を喜ぶレッドブルのエイドリアン・ニューウェイ、マックス・フェルスタッペン、クリスチャン・ホーナー、2022年7月24日F1フランスGP
空力の専門家でありレーサー
2010年にはジネッタG50カップでクラッシュし、病院に搬送されたことも記憶に新しい。ニューウェイはデザイナーであると同時に、レーシングドライバーとしての顔も持つ。
creativeCommons Nic Redhead
エイドリアン・ニューウェイが設計を手掛けたジャッドV8エンジン搭載の1990年型F1マシン、レイトンハウスCG901、2012年7月6日グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて
2007年にはAFコルセからル・マン24時間レースに参戦し、フェラーリF430 GT2を駆ってクラス4位を獲得。さらに、2012年のグッドウッド・リヴァイヴァルでは、自身が設計した2台のマシン──1990年のレイトンハウス「CG901」と、セバスチャン・ベッテルが初のF1タイトルを獲得した際のレッドブル「RB6」──のステアリングを握った。
また、2021年にレッドブル・ホンダへ移籍したセルジオ・ペレスは、「彼と話していると、まるでレーシングドライバーと話しているような気分になる」と語っている。
マシンデザインには2B鉛筆を使用
ニューウェイはマシン設計において、CAD(コンピュータ支援設計)システムを使用しない。PCを用いることなく、ディフューザーやサスペンションのレイアウトをスケッチする際は、必ず2Bの鉛筆と製図板を使ってデザインを描き上げる。
Courtesy Of Red Bull Content Pool
製図板に向かうレッドブルのエイドリアン・ニューウェイ、2020年イギリス・ミルトンキーンズのレッドブル・レーシングのファクトリーにて
主なキャリア
1980年にサウサンプトン大学で航空工学の学位を取得。フィッティパルディでF1キャリアをスタートさせるも、チームの財政問題を背景に、1981年にマーチに移籍。1983年と1984年のIMSAのGTPクラスでは優勝を果たし、インディカー・プロジェクトの「マーチ85C」は、選手権とインディ500の両方を制した。
1988-1990年 マーチ/ レイトンハウス:表彰台4回
ニューウェイが手掛けた初のF1マシン「881」は、卓越した空力デザインにより高いコーナリング性能を発揮。3度の表彰台を獲得した。翌年にマーチがレイトンハウスに買収されるとテクニカルディレクターに就任。しかし、後継の「CG891」は目立った成績を残せなかった。
1990年の「CG901」は前季型以上に空力的にセンシティブで、6戦連続で予選落ちを喫する事態にまで悪化。その要因の一つは風洞の不具合にあった。床がわずかに湾曲していたため、空力データに誤りがあった。ニューウェイはディフューザーを含む主要パーツの再設計に取り組み、フランスGPでイワン・カペリが2位表彰台を獲得するまでにパフォーマンスを回復させた。
しかし、同時にチームの財務状況が悪化。新たに財務責任者として就任したサイモン・キーブルと対立し、最終的にニューウェイは、新しいテクニカルディレクターの採用を通告され、チームを去るか降格を受け入れるかの選択を迫られた。ニューウェイはその直前にウィリアムズからオファーを受けていたため、最終的にレイトンハウスを離れた。
1990-1996年 ウィリアムズ: 優勝51回
ウィリアムズではリサーチ開発責任者として採用されたが、即座にチーフデザイナーへ昇格。その後、1990年代のウィリアムズ黄金時代を築くことに成功した。
豊富な予算、最高のドライバーラインナップと相まって、1991年から1997年の間にコンストラクターズタイトルを5度獲得。ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、デイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブにドライバーズタイトルをもたらした。
一方で、年々、チームの経営方針と衝突することが増えていった。特に問題となったのがドライバー選定の決定プロセスだった。
ニューウェイは1993年の契約更新時に「主要な決定に関与する権利を持つ」という条項を追加。1995年の契約更新時には、エンジンサプライヤーの選定やFIAとの交渉にも関与できることが明記された。
しかし、ウィリアムズは1995年にジャック・ヴィルヌーヴのテストを実施し、ニューウェイに相談せず契約を決定。さらに1996年には、ハインツ=ハラルド・フレンツェンの加入をニューウェイに伝えないまま契約した。
これに怒ったニューウェイは「契約違反」としてチームを離脱する意向を表明。ウィリアムズ側は契約期間を理由に引き留めようとしたが、ニューウェイはマクラーレンへと移籍した。
ニューウェイはウィリアムズに、チームの株式を要求していたと噂されていた。本人がこれに言及したことはないが、チーム創設者のフランク・ウィリアムズは後年、ニューウェイにチームの株を与えるべきだったと振り返っている。
ニューウェイがウィリアムズを離れたのは1996年シーズン終了後のことで、97年8月にマクラーレンに移籍したが、置き土産となった「FW19」は優勝8回、表彰台15回を獲得。ダブルタイトル2連覇を果たした。
悲しい出来事もあった。1994年に自身が設計したマシンでアイルトン・セナが事故死。ニューウェイは事故について「設計の過失がセナの死につながったと感じていたら、仕事に戻るのがとても難しかっただろう。でもわたしはそれが原因だったとは思っていない」と回顧している。
1993年には、ジャン・トッドからフェラーリ移籍のオファーを受けたが、イギリスとアメリカを行き来していたマーチ時代に離婚を経験したニューウェイは当時、再婚したばかりであり「同じ過ちを犯したくなかった」ため、この申し出を断った。
1997-2005年 マクラーレン: 優勝41回
テクニカル・ディレクターとしてマクラーレンに加入。1998年型「MP4-13」への関与は限定的だったが、ミカ・ハッキネンは初のドライバーズタイトルを獲得し、チームもコンストラクターズ選手権を制覇した。
ハッキネンは翌99年もタイトルを獲得するが、フェラーリとミハエル・シューマッハの黄金時代の到来によりマクラーレンは停滞。さらに、ロン・デニスとの関係悪化がニューウェイのキャリアを再び移籍へと導いた。
2000年8月、デニスはニューウェイと当時のチームマネージャー、マーティン・ウィットマーシュに、最終的にマクラーレンの経営を引き継いでもらいたいと伝えたが、具体的な時期を確約しないデニスに対し、ニューウェイはこれを拒否した。
翌年初めの契約更新に際してデニスは、減俸を受け入れるかチームを去るか、の2択を提示した。その直後、当時のジャガーF1チームの代表ボビー・レイホールから、マクラーレンでの年俸の2.5倍を提示された。ニューウェイは1980年代のインディカー時代にレイホールのレースエンジニアを務めていた。
一旦はジャガーへの移籍になびいたが、デニスの説得に折れてニューウェイは残留を決断した。デニスはジャガーのチーム内権力闘争に触れて、レイホールがニキ・ラウダ(当時のジャガーF1関連企業のCEO)に失脚させられる可能性を指摘。ニューウェイはレイホールとの協業こそ望んでいたものの、権力闘争に巻き込まれることは望んでいなかった。
ニューウェイは2001年に契約を更新。実際、レイホールはラウダに追いやられ、チームを去った。
デニスはニューウェイの影響力を抑えるために「マトリックス・マネジメント構造」を導入し、技術開発を分散化した。これにより、「事実上、テクニカル・ディレクターではなくなった」と不満を抱いたニューウェイは2006年2月にレッドブルへと移籍した。その理由についてニューウェイは以下のように語っている。
「ウィリアムズとマクラーレンに移籍した際、両チームはすでに優勝経験を持っていたものの、設計やエンジニアリングの面で方向性を見失っている部分があった。私の役割は主に設計を担当することだった」
「だからこそ、レッドブルへの移籍を決断したのだ。レッドブルはこれまでの2チームとは全く異なり、ゼロからの出発だった。私はチームの発展と成長に貢献したいと考えた」
2006-2024年 レッドブル: 優勝122回
最初に手掛けたRB3とRB4は、先代マシンと比べて着実に進歩を遂げたが、ニューウェイの功績はマシンデザインより人材登用にあったと言える。
当時のレッドブルは、優勝争いを目指して投資を重ね、施設の拡大と人材のリクルーティングに力を入れていた。新興チームに才能溢れる人々が集まった背景に、ニューウェイの名があった事は明らかだった。
2009年は重大な分岐点となった。空力関連のレギュレーションが大きく変更された事で、デザイナーの腕が試される事となった。ニューウェイはこのチャンスを掴んだ。RB5は優勝6回とコンストラクターズ選手権2位をもたらした。
優れたプラットフォームを作り上げた事で、翌年のRB6は9勝を挙げてチーム初となるコンストラクターズタイトルを獲得。セバスチャン・ベッテルに初のドライバーズタイトルを授ける事となった。この勢いは留まる事なく、レッドブルは2011年、2012年、2013年と続くダブル・チャンピオンシップ制覇を達成した。
Courtesy Of Red Bull Content Pool
エイドリアン・ニューウェイ(レッドブル・レーシング最高技術責任者)を抱きしめるセバスチャン・ベッテル、2014年12月2日(火) レッドブル・レーシングファクトリー訪問時(ミルトンキーンズ、イングランド)
しかしながら2014年にハイブリッド・ターボが導入されると、ルノーF1パワーユニットの競争力不足により低迷。ニューウェイは、チーム代表のクリスチャン・ホーナー、アドバイザーのヘルムート・マルコと共に、ルノーCEOのカルロス・ゴーンと面会し、予算を増やすよう圧力をかけた。
ゴーンから「私はF1に興味はない。F1に参加しているのは、私のマーケティング担当者がそうすべきだと言っているからだ」と返されたことで、「本当に気が滅入った」というニューウェイは、2014年末にF1での業務から一歩退きRed Bull Advanced Technologiesの責任者に就任。ヨットレースのアメリカスカップや、アストンマーチンとのハイパーカープロジェクト「ヴァルキリー」に至るまで、F1以外の領域でその腕を奮った。
2018年には女性限定のフォーミュラカーレース「Wシリーズ」をデビッド・クルサードらと共同設立し、同年秋には電動SUV戦「エクストリームE」への参戦に向けて、新チーム「ベローチェ・レーシング」をジャン=エリック・ベルニュらと設立した。
Courtesy Of Extreme E
電動SUVエクストリームEに参戦するベローチェ・レーシングのエイドリアン・ニューウェイとジャン=エリック・ベルニュ
現場への復帰を決意したのは、ルノーに代わってホンダがエンジンサプライヤーとなることが決まったタイミングだった。
モチベーションを取り戻したニューウェイは2018年のRB14以降、本格的にF1に復帰し、車体の設計・研究に取り組んだ。そして、2021年にマックス・フェルスタッペンと共に8年ぶりにドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った。グランドエフェクトカー規定が導入されると2022年、23年にはダブルタイトル2連覇を飾った。
2023年型「RB19」は22戦中21勝というシーズン最多記録を樹立。アイルトン・セナとアラン・プロストがドライブした1988年のマクラーレンMP4/4を破る最多勝率93.75%を記録した。
一方で、ニューウェイは2022年のRB18を最後に再びF1の現場から距離を取っていた。RB19はF1史上最強マシンの誉れを得たが、2023年6月のスペインGPで導入されたフロアのアップグレード以降、クルマの開発は誤った方向に進んでいき、2024年はドライバーズタイトルこそ獲得するも、コンストラクターズタイトルを失った。
ハイブリッドターボが導入された2014年、ニューウェイはフェラーリからキャリア3回目となるオファーを受けた。
レッドブルでの2倍以上の年俸を提示されるもこれを断った理由についてニューウェイは「レッドブルがキャリア最後のチームになると思う。幸い経済的には、働きたくなければ働く必要がない立場にいる。チームにいる理由は楽しいからだ。楽しくないのに楽しいようなふりはしない」と語っていたが、2024年にホーナーのセクハラ疑惑が浮上し、チーム内部の権力闘争が激化すると、2024年5月に契約解除を決断した。
ドライバーズタイトルを獲得した14車
- 1992年ウィリアムズFW14B / ナイジェル・マンセル
- 1993年ウィリアムズFW15C / アラン・プロスト
- 1996年ウィリアムズFW18 / デイモン・ヒル
- 1997年ウィリアムズFW19 / ジャック・ヴィルヌーブ
- 1998年マクラーレンMP4/13 / ミカ・ハッキネン
- 1999年マクラーレンMP4/14 / ミカ・ハッキネン
- 2010年レッドブルRB6 / セバスチャン・ベッテル
- 2011年レッドブルRB7 / セバスチャン・ベッテル
- 2012年レッドブルRB8 / セバスチャン・ベッテル
- 2013年レッドブルRB9 / セバスチャン・ベッテル
- 2021年レッドブルRB16B / マックス・フェルスタッペン
- 2022年レッドブルRB18 / マックス・フェルスタッペン
- 2023年レッドブルRB19 / マックス・フェルスタッペン
- 2024年レッドブルRB20 / マックス・フェルスタッペン
ライバルも手に取るHOW TO BUILD A CAR
ニューウェイは2017年に初の著書「HOW TO BUILD A CAR」を発売した。V6ハイブリッド時代に支配的な強さを誇るメルセデスのブラックリーのファクトリーには、稀代のカーデザイナーが書いた本書が飾られている。