イモラ・サーキット
サーキット名 | イモラ・サーキット |
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所在国 | イタリア |
住所 | Piazza Ayrton Senna da Silva, 1 40026 Imola, Italia |
設立年 | 1953年 |
設計 | 改修時:ヘルマン・ティルケ |
全長 / コーナー数 | 4,909m / 21 |
最大高低差 | 34m |
周回数 | 63 |
ピット長 / 損失時間 | 548m / 25秒 |
ターン1までの距離*1 | 400m |
平均速度 | 209.4km/h |
最高速度 | 329km/h |
エンジン負荷と全開率*2 | 68% |
タイヤ負荷レベル | |
ダウンフォースレベル | |
グリップレベル | |
変速回数 | 54回/周 |
SC導入率 | 100% |
ウェット確率 | 47% |
WEBサイト | www.autodromoimola.it |
SNS | twitter facebook instagram |
*1 ポールポジションから最初の制動地点までの距離 *2 全開率は距離ではなくタイムベースで算出
イモラ・サーキット(英:Imola Circuit)とは、イタリアのイモラ市にあるレーシング・サーキットの事で、イタリア語での正式名称はアウトードロモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ(Autodromo Internazionale Enzo e Dino Ferrari)と呼ばれる。
フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリとその息子のディーノを記念して名付けられた。1989年のエンツォの死を機に、アウトードロモ・ディーノ・フェラーリから改称された。
コースレイアウト
全長4,909mの内の71.39%(約3,505m)がストレートで、右コーナーが9.81%(約482m)、左コーナーが18.77%(約921m)という構成のレイアウト。ただし各ストレートの長さが短いため、冷却に使える時間が少なくブレーキに厳しい。
反時計周りはF1カレンダーの中では珍しく、インテルラゴス、バクー、COTA、ジェッダ、マリーナベイ、ヤス・マリーナと、2021年シーズンの中では7つのみだ。
2024年大会に先立っては、トラックリミット対策としてターン11、ターン14・15のシケインにグラベルが配置され、ターン7のグラベルも拡大された。
特徴
隠れたハイスピードトラック
平均速度は200km/hと、シルバーストーン(約205km/h)や鈴鹿(約210km/h)レベルに高く、ラップタイムの約68%、ラップの約74%はエンジン全開で、これもカレンダーの中ではトップ水準となる。最終コーナーの出口からターン2のブレーキングまでは約15秒間のフルスロットルだ。
路面グリップが高くコーナー出口が直線的であるため、コーナー脱出の加速度(gLongフォース)平均が1.5Gと、こちらもシーズンを通じて最も高い。
多様なコーナー、セットアップの妥協
コーナーの種類や通過速度が多岐に渡るため、マシンの作動領域を広範に確保する必要がある。これはソチ・オートドロームのように全てのコーナーが似通った速度となるサーキットとは正反対だ。
また、路面もかなりバンピーで大型の縁石もあるため、ドライバーやマシンに対する影響が大きい。様々な速度域のコーナーでパフォーマンスを発揮させるため、という事のみならず、乗り心地(ショック吸収)と空力との間においても上手くバランスを取らなければならず、セットアップ面での妥協が必要だ。
© Pirelli & C. S.p.A.
困難なオーバーテイク
近代的なサーキットとは異なりコース幅が狭くオーバーテイクが難しい。過去28回のレースの内、ポール・トゥ・ウインは9回と、予選順位が決定的な意味を持つ。そのため、予選ポジションと戦略が重視される。イモラ以上に追い抜きが難しいのはモナコとシンガポールのみだ。
ピットレーンは528メートルとF1カレンダーの中で最も長く、ロスタイムが約24.8秒と非常に大きいため、基本的にチームは1ストップ戦略を取る事になる。
年 | オーバーテイク | リタイヤ | ||
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通常 | DRS | 接触 | 機械的問題 | |
2023年 | 洪水被害のため中止 | |||
2022年 | 9回 | 8回 | 2台 | 0台 |
2021年 | 24回 | 10回 | 3台 | 0台 |
2020年 | 1回 | 3回 | 2台 | 3台 |
魔の1994年サンマリノGP
イモラを語る上で避けて通れないのが1994年のサンマリノグランプリだ。そう、アイルトン・セナが、ローランド・ラッツェンバーガーが事故死したあのグランプリだ。
- フリー走行、ジョーダンのルーベンス・バリチェロがコースアウトし横転。鼻骨を骨折。
- 予選、シムテックのローランド・ラッツェンバーガーのマシンのフロントウイングが脱落。時速300km/hでコンクリート壁に激突し死亡。
- 決勝、ベネトンのJ.J.レートにロータスのペドロ・ラミーが追突。壊れたパーツが観客席に飛散し数名が怪我。
- 決勝、上記クラッシュによるセーフティーカー退出直後1周目にウィリアムズのアイルトン・セナがクラッシュ。帰らぬ人となる。
- 決勝、ピットインしたミケーレ・アルボレートのリヤタイヤが外れ、ロータス・フェラーリのピットクルーに直撃し重傷。
セナが死亡事故にあったタンブレッロ・コーナーの近くには、故人を偲ぶ銅像が建てられており、その周りにはファンによる手書きのメッセージや献花、ブラジル国旗、ポスターや帽子などが絶えず飾られている。このモニュメントがあるエリアには無料で入る事が出来る。
© Red Bull Content Pool
セナの銅像を見つめるレーシング・ポイントF1チームのセルジオ・ペレス、2020年F1エミリア・ロマーニャGPにて / © Racing Point
© Red Bull Content Pool
コースレコード
2020年のカレンダー復帰まで、決勝レースで計測される史上最速の”ラップレコード”は2006年にフェルナンド・アロンソ(ルノー)が記録した1分24秒795、”コース・レコード”は同じ2006年にミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が予選で記録した1分22秒795であったが、いずれも9秒近く更新される事となった。
タイム | ドライバー | チーム | 年 | |
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ラップレコード | 1:15.484 | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 2020年 |
コースレコード | 1:13.609 | バルテリ・ボッタス | メルセデス | 2020年 |
歴史
サーキットの建設は1950年に始まり、1953年に最初のレースが開催された。イモラはこれまでにサンマリノGP、イタリアGP、エミリア・ロマーニャGPと、3つの異なる名称でF1レースを開催してきた。2007年以後、F1イタリアGPの舞台はモンツァ・サーキットへと移った。
1980年から2006年まで毎年グランプリレースが開催されてきたものの、2007年にF1カレンダーから脱落。ヘルマン・ティルケ監修のもと全面改修された。これによりイモラは一旦、F1のテスト走行が上限の「FIAグレード1T」認証へと格下げされた。
しかしながら2011年に再度、FIAの最高認証ライセンス「グレード1」を取得。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で再編が行われたF1カレンダー入りを目指して、2020年にライセンスを更新し、第13戦F1エミリア・ロマーニャGPの舞台として14年ぶりにF1に復活した。
これまでにF1を始めとしてGP2シリーズやMotoGP、世界ツーリングカー選手権(WTCC)、ルマン・シリーズ等の選手権が開催された。また、フェラーリ・チャレンジ、イタリアF4、スーパーバイク世界選手権、フォーミュラ・ルノー・ユーロカップなどをホストしている。
コース改修
再開発計画の一環としてコース及び周辺施設の改修が2006年11月に開始され、2007年9月に完成した。
更に2009年夏には、国際モーターサイクル連盟のホモロゲーション要件を満たすためにピットレーンの前のシケインに調整が加えられた。また、2011年8月にはコースの70%を対象として路面の再舗装工事が行われている。
現在はシケインのタンブレッロだが、かつては危険な超高速コーナーであった。1987年にはネルソン・ピケが、1989年にはゲルハルト・ベルガーが、1992年にはリカルド・パトレーゼがぞれぞれクラッシュを喫した。
そして1994年に発生したセナとラッツェンバーガーの悲劇的な死亡事故を受け、タンブレッロとヴィルヌーブはそれぞれシケインに改修された。
サーキット豊富なエミリア・ロマーニャ州
エミリア・ロマーニャ州には5つものサーキットが存在する。イモラはその中で唯一F1が開催されたサーキットだ。
ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ(4.226km)は定期的にMotoGPが開催されているコースで、ダラーラが建設したリカルド・パレッティ・サーキット・イン・ヴァラノ・デ・メレガリ(2.360km)は主にテストに使われている。
2011年にオープンしたモデナ・サーキット(2.007km)は、主にドライビング・スクールとして使用されており、地元ドライバー達が自家用車を持ち込んで走行を楽しんだりする。
1972年オープンのフィオラノ・サーキットは8の字レイアウトが特徴の2.976kmのフェラーリが所有するテストコースで、過去半世紀に渡ってマラネロで製造された全てのレースカーとロードカーの初走行の場となってきた。