
ディートリッヒ・マテシッツ
人物データ
| 名前 | ディートリッヒ・マテシッツ / Dietrich Mateschitz |
|---|---|
| 国籍 | オーストリア |
| 出身地 | スティリア |
| 生年月日 | 1944年05月20日 |
| 没年月日 | 2022年10月22日 / 享年78歳 |
ディートリッヒ・マテシッツ(Dietrich Mateschitz)とは、オーストリア出身の実業家であり、世界的な大富豪として知られた人物。モータースポーツへの強い情熱を持ち、2004年にジャガー・レーシングを買収し、2005年よりレッドブル・レーシングをFIA-F1世界選手権に参戦させた。
レッドブルを生み出した世界的実業家
1984年、タイの実業家チャリアオ・ユーウィッタヤー(Chaleo Yoovidhya)と共にレッドブル社(Red Bull GmbH)を設立。1987年4月1日、エナジードリンク「レッドブル」の販売を開始した。アメリカの経済誌『Forbes』によれば、2020年時点でのマテシッツの純資産は約269億ドル(約2兆8,327億7,00万円)と推定されていた。
マテシッツは、後にP&Gに買収されるブレンダックス社でマーケティング業務に従事していた際、出張先のタイでユーウィッタヤーの会社が1970年代に開発したエナジードリンク「Krating Daeng(クラティンデーン:赤い水牛の意)」に出会った。時差ボケ解消に効果があると感じたことが、事業化のきっかけとなった。両者はそれぞれ50万ドルを出資し、レッドブル社を立ち上げた。
株式の内訳は、マテシッツとユーウィッタヤーがそれぞれ49%を保有し、残る2%はユーウィッタヤーの息子であるチャルーム(Chalerm)が取得。経営はマテシッツが主導することで合意された。
Courtesy Of Red Bull Content Pool
レッドブル創業者でオーストリア人実業家のディートリッヒ・マテシッツ
レッドブル社は非公開企業のため詳細な財務情報は限られるが、2019年には前年比10.4%増となる75億本を販売。グループ売上高は60億6700万ユーロ(約7,400億円)に達し、創業以来の最高業績を記録した。
2022年、F1第19戦アメリカGPを前に膵臓がんにより78歳でこの世を去った。
Courtesy Of Red Bull Content Pool
レース前グリッドで故ディートリッヒ・マテシッツに敬意を表すレッドブル関係者と縁あるドライバー達、2022年10月23日F1アメリカGP
F1との関わり
引退後もモータースポーツ界と深く関わり続け、同郷のゲルハルト・ベルガーのマネジメントを担っていたヘルムート・マルコと1980年代後半に知り合ったことを契機に、F1への関与を本格化させた。マルコとは生家が約50kmしか離れていない近隣同士でもあった。
レッドブル・レーシング創設後は、マルコを「モータースポーツ・アドバイザー」としてチームに送り込み、チーム代表兼CEOのクリスチャン・ホーナーを監視させる体制を採った。
| 年・時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1980年代後半 | ベルガーのスポンサードを開始 |
| 1995年 | ザウバーF1の株式60%以上を取得。メインスポンサーに就任 |
| 2001年 |
ザウバーの株式を売却して関係を終了 若手ドライバー育成プログラム、レッドブル・ジュニア・チームを設立 |
| 2004年 |
フォードからジャガー・レーシングを買収 A1リンクを買収して「レッドブル・リンク」と改名 |
| 2005年 | 「レッドブル・レーシング」としてF1に参戦 |
| 2006年 |
親友ベルガーと手を組みミナルディを買収。 スクーデリア・トロ・ロッソへと改称させてレッドブルの姉妹チームとしてF1に参戦 |
| 2020年 |
トロロッソを傘下のファッションブランドと同名の 「スクーデリア・アルファタウリ」へと改称 |
Courtesy Of Red Bull Content Pool
引退レースを前にレッドブルの共同創業者である故ディートリッヒ・マテシッツの息子マーク・マテシッツからモデルを贈呈されるフランツ・トスト代表(アルファタウリ)、2023年11月26日(日) F1アブダビGP(ヤス・マリーナ・サーキット)
生い立ち
1944年5月20日、オーストリアのシュタイアーマルク州サンクト・マレイン・イム・ムルスタルに生まれた。オーストリア・クロアチア系の家系で、母方はシュタイアーマルク、父方はマリボルにルーツを持つ。両親はともに小学校教師で、幼少期に別居した。
10年をかけて1972年にウェルタンデル大学(現ウィーン経済・経営大学)を卒業。マーケティングの学位を取得後、ユニリーバに入社し、洗剤製品のマーケティング業務に携わった。
マーケティングのスペシャリスト
マテシッツはマーケティング、とりわけ広告戦略に卓越した手腕を発揮した。著名人を前面に押し出す従来型の手法ではなく、スポーツやアスリートへの支援を軸とする戦略を採用。なかでもモータースポーツやエクストリームスポーツへの投資を重視し、レッドブルのブランドイメージを確立した。
露出嫌い
公の場に姿を見せることは少なく、F1のレースウィークエンドでもサーキットに姿を現すことはまれだった。テレビ観戦を好んでいたとされる。露出を極端に嫌い、オーストリアの社会誌『Seitenblicke(ザイテンブリッヘ)』を、自身の記事を掲載しないことを条件に買収した逸話も残る。レッドブルの公式サイト内でも、本人の写真を見つけるのは容易ではない。