ディートリッヒ・マテシッツ
人物データ
名前 | ディートリッヒ・マテシッツ / Dietrich Mateschitz |
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国籍 | オーストリア |
出身地 | スティリア |
生年月日 | 1944年05月20日 |
没年月日 | 2022年10月22日 / 享年78歳 |
ディートリッヒ・マテシッツとは、オーストリア出身の実業家であり世界的な大富豪。オーストリアのエナジードリンク企業レッドブル社(Red Bull GmbH)の創業者の一人。フォーブスによると、2020年現在、マテシッツの純資産は269億ドル(約2兆8,327億7,00万円)と推定されている。
1984年にタイのビジネスマン、チャリアオ・ユーウィッタヤー(Chaleo Yoovidhya)と共にレッドブル社(Red Bull GmBH)を設立。1987年4月1日にエナジードリンクの販売を開始した。
後にP&Gに買収される事になるブレンダックス社でマーケティングの仕事をしていた際、ディートリッヒ・マテシッツは、出張先のタイでチャリアオの会社が1970年代に開発したエナジードリンク「Krating Daeng(クラティンデン:赤い水牛の意)」が時差ボケ解消に効果があると知り、各々50万ドルを出資してレッドブル社を設立した。
2人はそれぞれ49%の株式を取得し、残りの2%はチャリアオの息子であるチャルーム(Chalerm)に渡された。なお会社経営はマテシッツが行う事で合意された。
レッドブル社は非公開企業であるため限られた財務情報しか入手できないが、2019年は前年比10.4%増となる75億本を販売。グループの売上高は9.5%増となる60億6700万ユーロ(約7,389億1,600万円)で、創業以来の最高業績を達成した。
2022年F1第19戦アメリカGPを前に78歳でこの世を去った。
F1との関わり
- 1980年代後半
- F1ドライバーのゲルハルト・ベルガー(オーストリア出身)のスポンサーについたのが始まり
- 1995年
- ザウバーの株式の60%以上を取得。チームのメインスポンサーに就任
- 2001年
- ザウバーの株式を売却して関係を終了
若手ドライバー育成プログラムを設立 - 2004年
- フォードからジャガー・レーシングチームを買収
A1リンクを買収して「レッドブル・リンク」と改名 - 2005年
- 「レッドブル・レーシング」としてF1に参戦
- 2006年
- 親友ベルガーと手を組みミナルディを買収。スクーデリア・トロ・ロッソへと改称させてレッドブルのジュニアチームとしてF1に参戦
- 2020年
- トロロッソを傘下のファッションブランドと同名の「スクーデリア・アルファタウリ」へと改称
生まれ
1944年5月20日、オーストリアのシュタイアーマルク州サンクト・マレイン・イム・ムルスタルにて生まれた。オーストリア・クロアチア系の家系の生まれで母方はシュタイアーマルク、父方はマリボルの出身。両親はともに小学校の教師であり、マテシッツが幼い頃に別居した。
10年間をかけて1972年にウェルタンデル大学(現ウィーン経済ビジネス大学)を卒業。マーケティングの学位を取得した後、ユニリーバに入社して洗剤商品に関わるマーケティング業務に従事した。
マーケティングのスペシャリスト
マーケティング、とりわけ広告戦略において優れた手腕を持つ。有名人を起用するなど従来型のアプローチではなく、スポーツ競技やアスリートのスポンサー活動に重きをおき、なかでもモータースポーツやエクストリームスポーツに大きく力を入れている。
露出嫌い
あまり公に姿を現す事はなく、F1のレースデーもほとんど顔を出さない。どうやらテレビでのレース観戦を好むらしい。露出を嫌うあまり、彼の記事を掲載しないことを条件に、オーストリアの社会誌『Seitenblicke(ザイテンブリッヘ)』を買い取ってしまったほど。Redbullの公式サイトwww.redbull.com/内もよーく探さないと顔写真が出てこない。