メルセデスAMG F1

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チームデータ

チーム名 メルセデスAMG F1
国籍 ドイツ
本拠地 ブラックリー / イギリス
参戦初年度 1954年
WEBサイト www.mercedesamgf1.com
SNS x instagram

メルセデスAMG F1は、メルセデス・ベンツのF1コンストラクターチーム。1954年にF1へ初参戦し2シーズンを戦った後に撤退、2010年にブラウンGPを買収して55年ぶりのワークス復活を遂げた。メルセデスのF1マシンはシルバーアローとも呼ばれる。

旧来の2.4リッター自然吸気エンジンが廃止され、F1パワーユニットが導入された2014年以降、ルイス・ハミルトンらとともに7年連続でコンストラクターとドライバーの両タイトルを獲得。2021年にはコンストラクターズ8連覇の快挙を達成した。

だが、2022年に新たなレギュレーションが導入され、第2期グランドエフェクトカー時代が到来すると競争力は低下。同規定の最終年となった2025年にはランキング2位へ返り咲いたものの、タイトル獲得には届かなかった。

組織体制と首脳陣

イギリスのブラックリーおよびブリックスワースを拠点とし、設計・開発・製造・レース運用まで一貫した体制を内製するワークスチームである。前者では車体を、後者ではパワーユニットが開発・製造されている。他チームへのPU(パワーユニット)供給も行っている。

チーム代表兼CEOはトト・ウォルフ。テクニカルディレクターとしてチーム全体の技術統括を担うのはジェームズ・アリソンだ。アリソンはF1で長年のキャリアを有し、主要チームでの技術リーダー職を経験しており、メルセデスでは車体設計・空力・車両性能全般の技術責任者として機能している。

シモーネ・レスタは副技術ディレクターとして、設計・解析・相関・コンセプト整合の実務を統括する役割を担う。チーフデザイナーのジョン・オーウェンは、車体設計全般の責任者として、車体および空力パッケージの設計・統合に関する主導権を持つ。

空力総責任者にはジャロッド・マーフィーがおり、風洞データ・CFD解析・実走との相関を含めた空力開発計画全体を統括する。

ワークス復活から黄金期へ

近代F1におけるメルセデスの復活は、2010年のワークスチーム設立から始まった。

ホンダワークス時代の拠点と人材を引き継ぎ、ジェンソン・バトンとタイトルを獲得したブラウンGPを買収して誕生したメルセデスは、ミハエル・シューマッハの電撃復帰によって大きな注目を集めた。

初年度の2010年にはニコ・ロズベルグが3度の表彰台を獲得。2012年の中国GPでは、ポール・トゥ・ウインでワークス復帰後初勝利を挙げた。

2013年にルイス・ハミルトンが加入すると、ロズベルグとの間で激しいタイトル争いを展開。以降、8年連続でコンストラクターズ選手権を制するなど、シルバーアローはF1史上屈指の支配力を誇る存在へと成長した。だが近年はレッドブルやマクラーレンの台頭により、タイトル争いから距離を置く状況が続いている。

初のF1参戦

1954年7月4日、メルセデスはランスで開催されたフランスGPでF1デビューを果たした。ドライバーには1954年と1955年の世界選手権を制したファン・マヌエル・ファンジオをはじめ、カール・クリング、ハンス・ヘルマン、ヘルマン・ラングを起用した。

チームは、256馬力(188kW)を誇る2.5リッター直列8気筒エンジンを搭載した新開発のレーシングカー「W196 R」でF1に乗り込んだ。

W196には2種類のボディオプションがあった。1つはかの有名な「ストリームライナー」だ。これは流線型のボディワークで、タイヤを覆い隠すようなフォルムを持っていた。ロングストレートでの抵抗を減らすために空力的に最適化されていた。もう一つはクラシカルなオープン・ホイールのモノポストだ。

ストリームライナーはその型破りなルックスから瞬く間にアイコン的存在となったが、実際にメルセデスがF1に参戦した1954年と1955年の2シーズンで多く使われたのはモノポストの方だった。W196の両バージョンは12戦中9勝を挙げる大成功を収めた。

メルセデスW196 Rオープンホイール仕様に乗るハンス・ヘルマンとW196 Rストリームライナー仕様に乗るファン・マヌエル・ファンジオ、2011年グッドウッド・リヴァイヴァルにて
© Daimler AG / W196 Rオープンホイール仕様に乗るハンス・ヘルマンとW196 Rストリームライナー仕様に乗るファン・マヌエル・ファンジオ、2011年グッドウッド・リヴァイヴァルにて

初のモータースポーツレース

メルセデスにとっての初レースは、世界初のモータースポーツレースでもあった。

1894年7月22日の朝、21人の勇敢なドライバーたちが、パリ・ブローニュの森のすぐ隣にあるマイヨ通りにクルマを並べた。名目的には自動車の信頼性比較テストであったが、午前8時にスタートするや否や競争となり、これが後に、世界初の自動車レースとして記録される事となった。

スタート地点のパリからゴールのルーアンまでの総距離は127キロメートル。17時40分に最初の一台がフィニッシュラインを駆け抜け、最終的に17台の車両が完走を果たした。この内の9台は、ゴットリープ・ダイムラーが発明した3.5馬力(2.6kW)の2気筒V型エンジンを搭載していた。

世界初の自動車レースで2位を獲得したプジョー、ダイムラーが設計したガソリンエンジンを搭載していた
© Mercedes / ダイムラーが設計したガソリンエンジンを搭載したプジョー。2着だったものの、安全性や信頼性等の総合評価で優勝という結果を手にした。