フェラーリF2008のテストを行ったバレンティーノ・ロッシ、2010年カタロニア・サーキットにて
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バレンティーノ・ロッシ、2006年にF1転向を計画「フェラーリと真剣に協議していた」

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9度の世界タイトルホルダーにして、MotoGPの「生ける伝説」と称されるバレンティーノ・ロッシはこの程、過去にスクーデリア・フェラーリのドライバーとしてF1へと転向する可能性があった事を明らかにした。

バレンティーノ・ロッシは昨年末、メルセデスAMGのルイス・ハミルトンと愛機を交換し合い、シルバーアローの2017年型F1マシン「W08 EQ Power+」を走らせたが、F1マシンをテストしたのはこれが初めてではない。レジェンドライダーは2004年から2010年にかけて、定期的に跳馬のモンスターマシンをドライブしていた。

バレンティーノ・ロッシとミハエル・シューマッハ、2004年のフェラーリF1マシン「F2004」のシェイクダウンにて
© Ferrari S.p.A.、バレンティーノ・ロッシとミハエル・シューマッハ、2004年のフェラーリF1マシン「F2004」のシェイクダウンにて

F1デビューの話が実現に近づいたのは、今から遡ること14年前の2006年。バレンティーノ・ロッシは当時すでに、MotoGPで大成功を収めていた。来月2月に41歳の誕生日を迎えるモンスターエナジー・ヤマハMotoGPの現役ライダーは、伊紙Gazzetta dello Sportとのインタビューの中で次のように述べ、F1への転向を真剣に検討していた事を明かした。

「僕は2006年にF1への転向寸前の状態にいた。何度もフェラーリのテストを受けた後、チームの幹部連中と話し合って、F1でのキャリアを準備するための包括的な計画を立てたんだ。でも、そのプランでは、まずは準備のために速さの劣るマシンをドライブしなきゃならず、それに加えて当初はテストドライバーを務めるという内容だったから、提案を辞退したんだ」

バレンティーノ・ロッシの発言を裏付けるように、ロッシの父グラツィアーノは当時、息子がF1デビューに向けて「非常に近づいている」と述べていた。同時期にフェラーリのエンジニアを務めていたルイジ・マッツォーラは、バレンティーノ・ロッシの走りを次のように評している。

「最初にテストした時、彼は10回ほどスピンを喫したんだけど、その日の彼は本当にアメージングなラップタイムを記録した。ミハエル・シューマッハと一緒に、ピットで彼のデータを見ていた時の事が懐かしいね。シューミ(シューマッハの愛称)は唖然とした表情をしていたよ。”信じられない”というような顔だった」

F1への転向を断念し、バイクの道をひた走る事を決めたバレンティーノ・ロッシは、MotoGP最高峰クラスでのタイトルを積み重ね、そのカリスマ性と情熱ゆえに”史上最高のライダー”の1人としての地位を確固たるものにしたが、当時フェラーリF1チームの代表を務めていたジャン・トッドが、ルーベンス・バリチェロの後任としてフェリペ・マッサではなくバレンティーノ・ロッシを選んでいたら…。妄想せずにはいられない。