30号車の上に立ち勝利を喜ぶレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングの佐藤琢磨、2020年第104回インディ500にてcopyright Indycar

佐藤琢磨、インディ500優勝会見 全文書き起こし…2012年の雪辱とオーナーへの恩義、勝利への自信、F1を経た2度目のチャンス

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2020年第104回インディアナポリス500マイルレース後に行われた佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)の優勝会見の全文を以下に書き起こす。今年1月に43歳の誕生日を迎えた佐藤琢磨は、聖地インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)での伝統の一戦で歴史に名を連ねるキャリア2勝目の偉業を成し遂げた。

カンファレンスでは、燃費を巡るスコット・ディクソン発言への反応や勝利への自信、2012年インディ500最終ラップの”過ち”とチームオーナー達への想い、エリオ・カストロネベスとのレース前の裏話、43歳という年齢と今後のキャリア等、原稿用紙にして20ページ以上のボリュームに渡るやり取りがあった。

父に連れられ、10歳の時に鈴鹿で観戦したF1日本GPで初めてモータースポーツに触れた佐藤琢磨は、10代の青春期を自転車競技に費やし、20歳の時に初めてレースの世界へと足を踏み入れた。きっかけは鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)の設立だった。

早稲田大学を中退してSRS-Fに入学し主席で卒業するとイギリスF3に参戦。異例中の異例とも言える成長速度で最高峰にステップアップし、2002年から2008年にかけてジョーダン、BAR、スーパーアグリからF1を戦ったが、資金難で撤退したスーパーアグリの代替シートを見つけられずアメリカに新天地を求め、2010年にKVレーシングからインディカー・シリーズへの挑戦をスタートさせた。

2012年、佐藤琢磨は1986年のインディ500勝者であるボビー・レイホールと、コメディアンのデヴィッド・レターマン、ビジネスマンのマイク・ラニガンの3名がオーナーのレイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLL)へと移籍。この年のインディ500では2番手でファイナルラップに突入したものの、優勝を狙いにダリオ・フランキッティに仕掛けた際にスピンを喫し、17位でレースを終えた。

5年後の2017年、強豪アンドレッティ・オートスポーツから8度目のインディ500に挑戦した佐藤琢磨は、残り4周で3度のインディ500チャンピオン、エリオ・カストロネベスを交わして、日本人としてアジア人として初のインディ500制覇を成し遂げた。

2018年に古巣RRLに復帰。2019年の第103回インディ500では僅差の3位に終わったが、2020年の第104回大会で5度のシリーズ王者、スコット・ディクソン(チップ・ガナッシ)を撃破し再び偉業を成し遂げ、歴代20名しか存在しないインディ500マルチチャンピオンに名を連ねた。3位にはチームメイトのグレアム・レイホール(オーナーの息子)が入り、チームとしても1-3フィニッシュの好成績を収めた。

ボビー・レイホールと佐藤琢磨、2020年第104回インディ500にて
ボビー・レイホールと佐藤琢磨

第104回インディ500 佐藤琢磨優勝会見

今日は本当に素晴らしい一日でした。言葉では言い表せません。スピードウェイ、ロジャー・ペンスキー(シリーズオーナー)、そしてハルマン・ジョージ家(IMSの元オーナー)の皆さん、全ての関係者に心から感謝しています。多くの人達の献身的な努力なくして今年のレースが成功裏に終わる事はなかった事と思います。この組織の一員になれて幸せです。

まず初めに、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングが如何に素晴らしいチームであるかを言葉にしたいと思います。インディ500での勝利は、全てのチームとドライバーにとっての夢です。こうした形でチームとして1-3を達成した事は本当に素晴らしいことです。ボビー(レイホール)、マイク・ラニガン、そしてもちろんデビッド・レターマン、そしてチーム全体、特に僕のチームの30名の皆に心からの感謝を伝えたいと思います。パナソニック・ピープレディ・ホンダは非常に強く、高い競争力を発揮してくれました。

終盤は少しペースが速すぎたため、僕らはスコット(ディクソン)の1周前にピットインしなければなりませんでした。そのため最後は燃費の面でかなり苦労しました。ホンダとHPDが用意しれくれたフルパワーで走りたかったのですが、燃料を節約しなければならない状態でした。

燃料を上手く使いつつ、ディクシー(ディクソン)が攻めて来た時に最高出力で守るという展開でしたが、上手くやり遂げる事が出来ました。ただただ素晴らしいです。応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。

新型肺炎の影響でスタンドにはファンがいませんでした。今日の勝利のエネルギーはどこから湧いてきたのでしょうか?

2020年第104回インディ500 チェッカーフラッグシーン
COVID-19の影響で、2020年のインディ500は史上初となる無観客で行われた

大変だったのは僕らだけでなく誰もがそうでした。このようにイベントが開催され、何百万人という人たちに自宅でテレビ観戦してもらえた事は本当に幸運でしたし、その上で皆からエネルギーを貰えて運が良かったと思っています。

本当に誇らしいですね。こうして高いモチベーションで挑めたのは、これがインディ500だからです。その点に間違いはありません。確かに観客はいませんでした。ガソリン・アレイ(ガレージエリア)にはいつもと異なり誰もおらず、少し寂しい思いがありました。ですが誰もがその事を受け入れていました。シーズンという点で言えば、観客がいなかったのはこれが初めてではありません。この状況に慣れたくはありませんが、僕らには成すべき事がありました。それに関して疑問はありませんでした。

ドライバーの紹介やウォークの時に感じる、30万人の観客が醸し出す雰囲気やエネルギーは本当に素晴らしいものですし、僕はそれが大好きです。残念ながら今回はそれがありませんでしたが、僕らは目の前の自分の仕事に集中しました。何百万人もの人達がテレビの前で見ていることを知っていましたからね。

マシンをドライブしている時もそうです。レース中はコース上の出来事に集中していますが、僕だけでなくドライバーは誰もが常にグランドスタンドを見ています。全てのラップ、全てのコーナーで。風向きを確認するためにスタンドに揺らめく旗を見るんです。ですが今日はそのグランドスタンドが空っぽでした。それは少し残念でした。

僕らは今回もファンのためにレースをし、チームのために競い合いました。僕は自信を以て今日のレースに100%コミットできたと言い切れます。

ディクソンはあなたがレース終了までに燃料が不足すると考えていたようです。実際はどうでしたか? 勝利のチャンスがあると気づいたのはいつ頃ですか?

チップ・ガナッシのスコット・ディクソンと競い合うレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングの佐藤琢磨、2020年第104回インディ500
チップ・ガナッシのスコット・ディクソンを抑える佐藤琢磨

そうですね、、今日は誰もがスコットの動向を注視していました。彼はプラクティスから予選に至るまでの2週間に渡って、恐らくは最強のライバル足るパフォーマンスを発揮していたと思います。実際彼はスピードを示していました。カーブデイ(最終プラクティス)はトリッキーなコンディションで、僕ら(RLLの)3人はかなり苦戦していましたが、ガナッシとディクシーは競争力あるマシンを作り上げるという驚異的な仕事をしていました。

今日のレースで彼は、スタートから隊列をリードし後続を引き離していきましたが、何とかついていく事が出来ました。僕は来たるべき時に備えてミクスチャー(燃料の濃さ)を調整しながら、どれだけ燃費良い走りが出来るのかを見定めていました。

ライアン(ハンター=レイ)に追い抜かれる場面もありましたが、僕は集団に混じって走行した際の様々な状況を確認しておきたかったんです。前走車が1台だけの場合に自分のマシンはどうか、2台であればどうか、という風に。プラクティスでも確認していますが、実際のレースコンディションで再確認しておきたかったんです。同じマイレージを重ねたタイヤだとどうか、このミクスチャーだとどうか、という感じにです。

レースに際しては、最初の100周をトップ3、あるいはトップ5位以内で走行したいと考えていました。チャンスがあればトップに立ちたいと思うものですが、そうなると燃料を使い過ぎてしまいます。これが今日の僕の戦略でした。

100周を過ぎて、再びスコットと一緒に周回するチャンスに恵まれました。そこで僕はレースをリードしてみる事にしました。どうなるかを確認するためにです。その瞬間、自分たちのパッケージの競争力の高さに気づいたのです。もちろん、ピットインするたびに何度かセッティングに変更を加えました。欲張り過ぎたり保守的になり過ぎたりを繰り返しながら。最後の3スティントはマシンに満足することができました。終盤は本当に好調でした。

最終スティントに近づくにつれ、自分たちの速さを理解するに至ったのですが、コーションからのリスタートでラップリードを奪った時、ピットから「燃料を使いすぎている」と言われたんです。そのため燃料を薄め、出力を抑える我慢の展開を強いられました。スコットが僕を捉えようと仕掛けて来た際には、マックスパワーに戻さなければなりませんでした。

その後彼は(バックマーカーの影響で)僕よりも3・4台後ろになったので、僕はミクスチャーを薄めて走行する事が出来ました。接戦でしたね。

ただ、最後のイエローコーションがなくても、計算上は問題ありませんでした。僕の無線を聞いてもらえれば分かると思いますが、僕らは予定通りでした。最後までグリーンフラッグが続いていたとしても大丈夫だったと思います。

とは言え、最終盤に差し掛かったタイミングでディクシーは100%の力を使って襲いかかってきた事だろうと思います。僕はポケットの中に幾つかを隠し持っていましたが、それがなければ本当に凄まじい僅差になっていたと思います。

レース終盤に際して2012年のレースを思い出しましたか?

ダリオ・フランキッティとの攻防でスピンを喫したレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングの佐藤琢磨、2012年インディ500最終ラップにて
ダリオ・フランキッティとの攻防でスピンを喫した佐藤琢磨、2012年インディ500最終ラップにて

インディ500は最終ラップの最終コーナーまで何が起こるか分かりませんからね。優勝を意識して良いのは、最終ラップのターン4を加速してからです。無論、きょうはイエローコーション下でしたので、状況が異なりますが。

チームの皆が、油温や油圧、ギアボックスの温度が大丈夫であることを再度確認して教えてくれました。僕は自分自身に、落ち着いて自分のやるべき事をやれと言い聞かせていました。チームからの無線のおかげで、僕は自分が必要としていた正確な情報を得る事ができました。

ファンは、勝利を掛けてバトルしている最中のチェッカーフラッグを望んでいた事と思います。ですが、こういった事も時々起こります。僕としては、チームメートのスペンサー(ピゴット)が無事にクルマから降りてきてくれて安心しました。衝突の角度が悪かったので、少し心配だったんです。

安全性の向上という点で、インディカーはまたもや素晴らしい成果をもたらしました。エアロスクリーンの保護性能を実感しています。これを成し遂げた関係者全員に祝福の声を贈りたいと思います。

大破したスペンサー・ピゴットのマシン、2020年第104回インディ500にて
残り5周で激しいクラッシュを喫し、大破したスペンサー・ピゴットのマシン

2017年は大接戦の末の優勝でした。2勝目はあなたにとってどのような意味を持ちますか?

インディ500は何度参戦しても常に新鮮で飽きることがなく、今後もそれが変わる事はないと思います。誰であれ、何回目の挑戦であろうと、ドライバーは常にレースの勝利に対して貪欲です。エリオ(カストロネベス)を見て下さい。彼は3度も勝利を掴んでいますが、1回目の優勝の時と同じように、今でもハングリーです。レース前にグリーンルームで少し話したんですが「タク、待ってくれ。追いつくから」って言ってました。

インディ500には特別なエネルギーが溢れています。それは常に変わりません。2012年のレースで優勝を掴み損なった後、理由がどうであれ、僕に勝利のチャンスは訪れませんでした。ですが17年にマイケル・アンドレッティが素晴らしい機会を与えてくれました。6台だったか7台だったか覚えていませんが、チームメイトの数が多く、その中で誰が優勝するのかという問題はありましたが、僕らには明らかにアドバンテージがありました。

もちろん、インディ500では、最終的に誰が優位に立つか分かりません。正直に言えば、今年は誰もアドバンテージを持っていなかったと思います。誰もが非常に接近していました。エアロスクリーンが初めて導入されたとあって、今年はエンジニアリング的に本当に難しかったんです。

エアロスクリーン全体像
レッドブルとの共同開発によって生まれたコックピット保護装置エアロスクリーン

予選に関してはブースト圧というトピックもありました。例年よりも高いブーストが許可された事で、予選でのスピードは非常に高くなりましたが、これは本当にチャレンジングでした。誰もデータを持っていなかったわけですからね。飛び抜けたマシンは1台もありませんでした。とくにかく競争が激しかった。インディカーの名に恥じないような激しい競い合いでした。

このように、あらゆる面の細部に至るまで徹底に取り組み続けて最終スティントに臨みました。それが鍵でしたね。ただ、僕らは幸運に恵まれたと思います。それに依る恩恵が大きかった。僕は幸運にも30号車パナソニック・ピープレレディ・ホンダでドライブする事が出来ましたし、チーム全員のおかげです。僕はただただ彼らに感謝しています。

インディ500でのWウィナー20人の中の1人となりました。エリートドライバーの中に入った事をどのように感じていますか?

とにかく素晴らしい、凄いという気持ちです。いや、まだ実際には実感が湧いていません。2017年も全く同じでした。多分、後で実感が沸くのだと思います。17年の際は少し興奮しすぎたんだと思います。今はもちろん、この後に何が起こるかは分かっています。

仲間入りが出来た事は嬉しく思います。ここでもう一度、僕にチャンスを与えてくれたオーナー、チームのみんな、スポンサー、ファン、全ての人達に感謝します。

いや、本当に運が良かったんだと思います。

最終盤にスコットに対抗できるだけのパワーがあったと仰っていましたが、もしスコットに抜かれたとしたら、タイヤ的に彼に追いつけたと思いますか?

アレキサンダー・ロッシを抑える佐藤琢磨、2020年第104回インディ500にて
アレキサンダー・ロッシを抑える佐藤琢磨

もちろんです。僕らはまさにそのために取り組んでいましたからね。最初の4回のスティントは若干きつかったです。第1スティントが少し保守的(ダウンフォースのつけ過ぎ)だったのは明らかでした。最後はイエローが出てしまったため完全なスティントではありませんでしたが、凄く好調でした。

ダウンフォースをつけ過ぎたと感じたので第2スティントでは抑えたのですが、何と言うかデグラデーションが酷かったんです。アレックス(ロッシ)も同じような感じだったのだろうと思います。(タイヤ交換を終えての)最初の数ラップはとても競争力がありましたが、その後は苦戦していましたからね。

スティントの中のどこにピークを置くか。誰もがその点で試行錯誤していたのだと思います。僕らもその点に取り組んでいました。ただ、出来ることは限られています。調整できるのはタイヤの空気圧とフロントウイングだけですからね。極端なケースではリアウイングも変更可能ですが、多分誰もやっていないと思います。

新しいタイヤに履き替えたら、そのタイヤをどう使うかを考える事が重要です。ツールを駆使して目的のポイントにピークを持っていく。スコットを追い抜いた時、僕は基本的にリソースを節約していました。それはこれが理由です。もちろん、できるだけ速く走る事は大切ですが、リソースを節約することもポイントだったのです。

最終的にイエローコーションが出なかった場合、もしかしたら僕は彼に捕まったかもしれないし、追い越されたかもしれないけど、僕には彼に反撃できるだけの自信がありました。結局のところ、ホワイトフラッグ(最終周の合図)が振られた時にどちらがレースをリードしていたかは分かりませんが、僕としては燃料が問題ない事を祈るだけでしたね。先程も言ったように数字的に問題はありませんでしたが。

マックスパワーは十分だっと確信していますが、何と言いましょうか。ミクスチャーもファイアストンタイヤも、スティントの最後の数ラップは本当に最高でした。運が良かったです。

あなたはF1やモナコGPなど、名門シリーズで長い間レースをしてきました。インディ500で2度のウィナーになると考えた事はありましたか?

フェラーリのミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロと共に2004年F1アメリカGPの表彰台に上がったBARホンダの佐藤琢磨
フェラーリのミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロと共に2004年F1アメリカGPの表彰台に上がったBARホンダの佐藤琢磨

まさか。ありえないですね。今日みたいな状況になるだなんて、想像すらしていませんでした。40歳になってもまだ運転しているなんて、夢の中で生きているような感じですよ。実際周りからは「2012年がピークだった」なんて言われてますし。まぁ、どうしょうね。とにかく僕は常に走り続けてきました。

人生で2度目のチャンスに恵まれました。チャレンジし続けてドアを開け続けていれば、いずれチャンスはやってくる。チャンスがあれば掴まなければならない。常にギリギリの状態で生きてきました。これが僕の生き方です。もう少し長く現役を続けられると良いのですが。

僕はとても幸運でした。ご存じの方もいるかと思いますが、僕はレースの家系に生まれたわけではありません。僕がレースを始めたのは20歳の時でした。それまではスチールフレームのペダルバイクしか持っていませんでしたし、それが僕の人生における唯一のレースカーでした。(学生時代は自転車競技に没頭。インターハイ優勝や国体出場などを果たしている)

F1に出るなんて夢にも思っていませんでした。僕は運良くホンダのレーシングスクールに通い、奨学金をいただける事になりました。幸運にもイギリスF3に参戦する事ができ、それが最終的に僕をF1へと導いてくれました。競争力あるチームの一員になれた事も本当に幸運でした。厳しい時期ではありましたが、F1での思い出は美しく、素晴らしいものとなりました。

その後、アメリカでインディカーに参戦するチャンスに恵まれました。まさかここでのレース人生がF1以上に長く続くとは思ってもいませんでした。もう10年以上になります。ファン、スポンサー、チームオーナーからのサポートは本当に素晴らしいもので、彼らは僕にチャンスを与えてくれました。

質問に対する答えですが、まさか500に勝つだなんて思ってもいませんでした。それも2度も。クレイジーですよホント。

ファン不在のレースはドライビングに影響を与えましたか?

IMSにファンがいないことをただただ実感しています。明らかに寂しいことですよね。この点に関して嬉しい事は何もありません。ですが、少なくとも競争のレベルという点では問題はないと思います。ここはインディアナポリス・モーター・スピードウェイであり、勝利に対するドライバーやチームの決意は揺るぎありません。

昨日(毎年現地観戦しているファンの元にサプライズ訪問)は最高でした。長年チケットを買い続けているファンの人たちにギフトを届けるという試みは本当に良い仕事だったと思います。みんな泣きそうになっていました。

メインストリートに行ったら、本当に多くのファンが声援を送ってくれていました。インディアナポリスのダウンタウン・パレードみたいな感じでしたね。彼らのサポートは本当に嬉しかった。1964年生まれのある男性は、スピードウェイとインディアナポリスを直に感じたいという理由でここに来たと言っていました。今日は、庭に椅子とテレビを出して観戦すると言っていました。そうすればインディアナポリス・モーター・スピードウェイの生の音が聞けるのだそうです。

彼がグランドスタンドで観戦したかったであろうことは確かですが、彼は幸せに思っていました。それは素晴らしいことです。物理的にはファンがいませんが、僕らは彼らの心がここにあることを知っています。どのドライバーも100%レースにコミットしていたと思いますし、それが素晴らしいレースをもたらしたのだと僕は信じています。

NBC(現地放送局)が企画したメッセージ入りのミルク瓶についてですが、あなたはどんなメッセージを書いたのですか?

あれは素晴らしいタイムカプセルでしたね。

僕は人生に困難を抱えた子供たちのためにレースをしています。10年前(東日本大震災)は本当に大変でしたし、悲惨でした。親を亡くしてしまった子供もいます。世界的にも多くの困難があります。時にそれは戦争であり、COVID-19もそうです。

子供たちには夢を持つ権利があります。些細ではありますが、僕にできる事もあります。僕はこのインディアナポリス・モーター・スピードウェイをひたすら周り続ける事しか出来ませんが、それが子供たちに少しでも情熱を与えてくれるならばと思っています。

10歳の時、父がF1のために僕を鈴鹿に連れて行ってくれました。僕はそれによって情熱を得たのです。

願わくば、困難を抱えている子供たちが僕たちのシリーズ、特にインディ500に情熱を持ってくれればと思っています。僕の夢がそうでした。だから僕は子供たちのためにレースをしたんです。

あなたは以前、RLLに復帰するかどうかはさておき、2012年の埋め合わせをして、ボビー、マイク・ラニガン、デヴィッド・レターマンにインディ500の優勝をプレゼントしたい言っていました。何故それがそんなに重要だったのでしょうか?

左からマイク・ラニガン、佐藤琢磨、デイビッド・レターマン、ボビー・レイホール、2020年第104回インディ500優勝記念撮影にて
左からマイク・ラニガン、佐藤琢磨、デイビッド・レターマン、ボビー・レイホール

ミッションを終える事ができました。僕個人の野望は2017年にマイケル(アンドレッティ・オートスポーツの代表)と共に達成する事が出来ましたが、ふと過去を振り返ると、いつもあの時の事を思い出すんです。2012年の埋め合わせをしなきゃならない。何であれ僕はあの時、しくじったんです。ここで話す意味はありませんが、勝利を掴むための科学的根拠というものが多数存在します。僕は今、それを実行する方法を理解しています。

僕はただ、ボビーとマイクに優勝を授けたかったんです。彼らは僕を何度も助けてくれました。もちろんデビッドもです。僕はただ、(本来であれば)彼らが持っているもの、彼らがあの瞬間に感じたであろうものを返したかったのです。僕は当時、彼らを失望させてしまった。

正したかったんです。それには8年の歳月を要する事になりました。まだレースカーをドライブしているだなんて、当時の僕には信じ難いことでした。僕はただ、オーナー達が僕に30号車を与えてくれた事に対する感謝を伝えたかっただけなんです。

彼らがグレアム(チームメイト)を勝たせたかった事は分かっていますので、今日はチームとして1-3フィニッシュできたことに満足していますが、僕が勝ってしまった事についてグレアムに申し訳なく思っています。ですが、8年間待ち続けてオーナー達にお返しが出来た事で、肩の荷が下りたとも感じています。

あなたのベストレースは40歳を過ぎてから生まれました

そうですね。何故でしょうね。エリオ(カストロネベス、45歳)はまだゲームを続けていますし、トニー(カナーン、45歳)も同様です。

オリンピック競技のアスリートにとっては20代・30代が全盛期ですが、自動車レースにおいてはクルマにフィットする限りドライビングを続ける事ができます。僕の上司は50代でドライブしていましたし、マリオ(アンドレッティ、F1とインディ500のダブル王者)もその年でレースをしていました。今と当時のクルマが違う事は分かっていますが、僕にとっては43はただの数字に過ぎません。