ギュンター・シュタイナー
人物データ
名前 | ギュンター・シュタイナー / Guenther Steiner |
---|---|
国籍 | イタリア |
出身地 | メラーノ |
居住地 | アメリカ |
生年月日 | 1965年04月07日 / 59歳 |
ギュンター・シュタイナー(Guenther Steiner)は、1965年4月7日生まれのイタリア人モータースポーツ・エンジニア、実業家で、2023年末までハースF1チームのチームプリンシパルを務めた。
イタリアとアメリカの2つのパスポートを持っており、妻ゲルトラウト、娘のグレータと共に、米国ノースカロライナのムーアスヴィルに住んでいる。
一見強面であることなどから日本の一部ファンは「組長」あるいは「親分」など呼んでいる。
主なキャリア
実家は精肉店を営んでいたが、シュタイナーはエンジニアリングの道を歩むことを志し、徴兵期間を終えた後ベルギーに移住。1986年にWRC世界ラリー選手権に参戦していたマツダ・ラリーチーム・ヨーロッパのメカニックとしてキャリアをスタートさせた。
1997年、オールスター・ラリーチームの監督としてヨーロッパラリー選手権で優勝、翌98年にはプロジェクトマネージャーとしてM-Sportに移籍した。2000年にはフォード・ワールド・ラリーチームのエンジニアリングディレクターに抜擢され、コリン・マクレーとカルロス・サインツを率いて戦った。
2001年、ニキ・ラウダにヘッドハンティングされジャガー・レーシングのチーム代表に就任。F1に転向した。
事実上の就任一年目となった2002年のジャガーは、エディ・アーバインが僅か8ポイント、チームメイトのペドロ・デ・ラ・ロサはノーポイントと散々たる結果に終わった。そのため、シュタイナーは同年12月5日にプロジェクトマネージャーに降格となり、自主的にチームを去った。
2004年11月、ジャガーを買収したレッドブルはシュタイナーにアプローチ。2005年1月13日、テクニカル・オペレーション・ディレクターとしてF1に舞い戻ったものの、クリスチャン・ホーナー代表がマクラーレンからエイドリアン・ニューウェイを引き抜いた事で、人員超過に。
そこでレッドブル総帥デートリッヒ・マテシッツは、シュタイナーに米国NASCARでの新チーム立ち上げの協力を依頼。妻の了承を得たシュタイナーはアメリカ・ノースカロライナに移住、2008年4月までチーム・レッドブルのテクニカル・ディレクターを務めた。
シュタイナーはそのまま米国に留まり、2009年1月にファイバーワークス・グループを共同で創業。その後、NASCARのスチュワート・ハース・レーシングの創設者であるジーン・ハースと接触、F1参入を提案した。ハースは、当時新規参戦を目指していたUS F1チームへの出資を見送っていた。
新チーム設立のため、シュタイナーは中核を担う人材をリクルートし、チーム成功の秘訣を探るため、全てのF1チーム代表にインタビューを実施。そして、ダラーラやフェラーリとの関係性を深めていき、2014年4月14日、ハースF1チームのチーム代表に就任した。
2016年、ハースF1チームはアメリカのF1コンストラクターとして30年ぶりにF1に参戦。開幕オーストラリアGPではロマン・グロージャンがいきなり6位入賞を果たし8ポイントを獲得。デビュー戦での入賞は2002年のトヨタF1レーシング以来という快挙だった。
初年度は計29ポイントを獲得し、コンストラクターズ選手権8位という堂々たる成績を収め、3年後の2018年にはランキング5位を掴み取ったが、これがシュタイナーにとってのハースでのハイライトとなり、以降は最下位を争う状況から脱せず、2023年末を以てチームを去った。後任には小松礼雄が抜擢された。