
小松礼雄
人物データ
名前 | 小松礼雄 / AYAO Komatsu |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京 |
居住地 | イギリス |
生年月日 | 1976年01月28日 / 49歳 |
SNS |
小松礼雄(こまつあやお)は、東京都出身の日本人F1レースエンジニア。BARホンダ、ルノー、ロータスを経て、2024年よりハースF1チームのチームプリンシパルを務める。
問題児として知られたロータスF1ドライバーのロマン・グロージャンを育て上げたレースエンジニアとして世界中に知られる。日本では「キャーコマツサン」で有名。2016年にグロージャンとともに、チーフエンジニアとしてハースF1に移籍した。
主なキャリア
- 1995年
- 高校卒業後、英ラフバラーに留学し自動車工学を専攻(次席卒業)
その後大学院へ進む - 2003年
- BARホンダにてF1でのキャリアをスタート
- 2006年
- テストチームのタイヤエンジニアとしてルノーに移籍
- 2008年
- パフォーマンスエンジニアに昇格
- 2011年
- レースエンジニアに昇格
- 2015年
- チーフエンジニアに昇格
- 2016年
- レースを統括するチーフエンジニアとしてハースF1に移籍
- 2024年
- ハースのF1チーム代表に就任
Very happy for @AyaoKomatsu who becomes chief enginneer. It has been 3 wonderful seasons and 9 podiums together. pic.twitter.com/byusznKlQU
— Romain Grosjean (@RGrosjean) January 14, 2015
小松礼雄、F1エンジニアとしての軌跡
幼少期、東京都出身の小松礼雄は、同郷のロードレースレーサー阿部典史の影響で二輪レースに興味を持っていた。しかし、F1のテレビ中継を観るようになると四輪レースへの関心が高まり、特に1989年の日本GPで起こったアイルトン・セナとアラン・プロストの衝突事件は、彼に強い印象を与えたという。
F1エンジニアになることを志した小松は、18歳でモータースポーツの本場・イギリスへ渡り、ラフバラー大学で自動車工学を学んだ。在学中にはロータスエンジニアリングでインターンシップを経験し、1999年に卒業後は大学院へ進学。博士号取得を目指しながら研究を続けた。
佐藤琢磨との出会い、F1キャリアへの転機
大学院在学中、小松はF3カテゴリーのアマチュアチームでボランティアをしながら、佐藤琢磨と出会う。これは彼にとって大きな転機となり、2人は英国F3チーム「カーリン」で共にキャリアを築くこととなった。
博士号取得後、TRW社からのオファーを受けるも、経営陣の交代により実現せず。また、ドイツに拠点を置くコリン・コレスのF3チームのレースエンジニア職に応募したが、こちらも採用には至らなかった。
そんな中、小松のF1キャリアへの足掛かりを作ったのは、佐藤琢磨からの1本の電話だった。
琢磨の紹介により、ホンダ・レーシング・デベロップメントの社長を務めていた田中詔一とつながり、2003年にBARホンダのテストチームに加入。ここから本格的なF1キャリアがスタートした。
F1エンジニアとしてのキャリア
2005年、小松はタイヤ分析を担当し、チームのパフォーマンス向上に貢献。その実績が評価され、2006年にルノーF1チームから声がかかり同チームに移籍すると、タイヤエンジニアとして、フェルナンド・アロンソとチームのダブルタイトル獲得に貢献した。
翌2007年、小松はレースチームのパフォーマンスエンジニアに昇格し、ネルソン・ピケ・ジュニアやロマン・グロージャンと3年間にわたって協力した。
2011年にはレースエンジニアに転向し、ヴィタリー・ペトロフとコンビを組んでオーストラリアでの初戦で表彰台を獲得する快挙を成し遂げた。
2012年にチームはロータスF1チームへと改称。小松はGP2チャンピオンとしてF1復帰を果たしたグロージャンのレースエンジニアに就任した。
2人の間にはプロフェッショナルな関係だけでなく、個人的な友情も芽生えた。2013年には9回の表彰台を獲得し、優勝争いにも絡む活躍を見せた。その後、小松は2015年にチーフレースエンジニアに昇進し、グロージャンと共にシーズン唯一の表彰台(ベルギーGP)を獲得した。
ハースでの躍進、チーム代表へ
2016年、ハースがF1に新規参戦すると、グロージャンはリードドライバーとして同チームに移籍。小松も10年間在籍したエンストンのチーム(ロータス→ルノー)を離れ、ハースに加わった。
ハースではチーフレースエンジニアとして、サーキットでのエンジニアリング活動を統括するとともに、英国拠点で車両性能グループ、車両科学グループ、電気工学部門を担当した。
その実績が認められ、2024年にギュンター・シュタイナーの後任としてハースF1チームの代表に就任。長年にわたるF1エンジニアとしてのキャリアを経て、新たなステージへと進むこととなった。