キミ・ライコネン
人物データ
名前 | キミ・ライコネン / kimi Raikkonen |
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国籍 | フィンランド |
出身地 | エスポー |
ニックネーム | アイスマン |
生年月日 | 1979年10月17日 / 45歳 |
身長 | 175cm |
体重 | 71.5kg |
F1デビュー | 2001年 |
選手権優勝 | 1回 |
WEBサイト | www.kimiraikkonen.com |
SNS |
キミ・ライコネンは、フィンランド・エスポー出身のレーシングドライバー。2007年にフェラーリでF1ワールドチャンピオンを獲得した。本名は、キミ・マティアス・ライコネン(Kimi-Matias Räikkönen)。そのモデル並みのルックスで女性ファン多数。彼女達はライコネンがいるという理由でF1を観るという。
2021年末を以てアルファロメオとの契約を解除し、優勝21回、表彰台103回、ポールポジション18回、フロントロー44回、ファステストラップ46回、入賞2回、ハットトリック2回、チャンピオン獲得1回の記録と20年に渡るキャリアに終止符を打った。
様々な2輪車を自宅ガレージに持ち、2011年には世界ラリー選手権(WRC)参戦チーム「ICE 1 Racing (アイス・ワン・レーシング)」の名を転用してモトクロスチームを設立するなど大のバイク好きでもあり、2022年にはFIMモトクロス世界選手権のMXGPクラスに参戦するカワサキ・レーシング・チームのチーム・プリンシパルに就任した。
ライコネンの声は低く、少ししゃがれた感じに聞こえるが、これは彼が5歳の時に自転車のハンドルに喉をぶつけて声帯を損傷したためだ。
謎に満ちた私生活
メディア嫌いで知られるライコネン。その表情は常に変わらず、F1界随一のポーカーフェイスの持ち主だ。笑うだけでニュースになる漢。TwitterやFacebook等のSNSアカウントを一切所持せずプライベートと仕事とを完全に分けており、その私生活は謎に満ちていたが、どういう風の吹き回しか、2017年に突如instagramを開始。時折、家族との写真を投稿するなどし始めた。
2004年フィンランド人モデルのジェニー・ダールマンと結婚するも2013年に離婚。その後元客室乗務員のミントと再婚し、2015年に長男ロビンを授かった。第一子誕生後の2016年にイタリアで挙式を挙げ、翌17年には第二子となる長女リアンナ・アンジェリア・ミラナが生まれた。(参考:二児のパパになったキミ・ライコネン)
シャルル・ルクレールにフェラーリのF1シートを奪われる事が決定した2018年8月、最初で最後、唯一の本人公認ブックとして伝記「The Unknown Kimi Raikkonen(邦題:知られざる キミ・ライコネン)」が発売され、謎に満ちたプライベートとトラック外でのライコネンの真の姿が明らかとなった。
バトミントン仲間でありフェラーリ時代の同僚でもある4度のF1ワールドチャンピオン、セバスチャン・ベッテルとの仲は公然の秘密であり、ライコネンは地元フィンランドの他に、ベッテルの住まいの近く、つまりスイスにも住居を構えている。
多くを語るタイプではなくグリッド上の友人は本人曰く少ない。
ライコネンはF1ドライバーと友人としての関係を持つことは出来るかと問われ「セバスチャン(ベッテル)とアントニオ(ジョヴィナッツィ)は僕の友達だ。彼らを除けば他にはあまりいない」と答えている。(参照:ベッテル以外にもう一人…キミ・ライコネンの知られざる友人)
アルファロメオ時代のチームメイト、アントニオ・ジョビナッツィはライコネンを「レジェンド」と呼び、自身のF1ラストランに際してライコネンを称えるトリビュートヘルメットを用意。これをプレゼントした。
© Ferrari S.p.A. / 2018年F1イギリスGP予選を終えて笑顔を見せるベッテルとライコネン
主なキャリア
- 2000年:フォーミュラ・ルノーチャンピオン
- 2001年:ザウバーからF1に参戦。デビュー戦で6位入賞
- 2002年:マクラーレンに移籍。ランキング6位
- 2003年:第2戦マレーシアGPで初優勝。ミハエル・シューマッハと最終戦までタイトル争いを繰り広げるも2ポイント差で2位
- 2004年:マシンの信頼性に恵まれずベルギーGPでの1勝に留まり年間7位
- 2005年:フェルナンド・アロンソとチャンピオン争いを繰り広げ7勝するも年間2位
- 2006年:信頼性も競争力も劣るマシンで未勝利。ランキング5位
- 2007年:フェラーリに移籍。6勝を挙げ26ポイント差を跳ね返し最終戦ブラジルGPで大逆転。ワールドチャンピオンに
- 2008年:シーズン3勝。ランキング3位
- 2009年:1勝で年間6位。WRCデビューを飾り、第9戦ラリーフィンランドに出場
- 2010年:WRCに転向。シトロエン・ジュニアチームからフル参戦
- 2011年:自身のチーム「ICE 1 Racing」を立ち上げ、プライベーターとしてWRCに参戦。並行してNASCARにも出走
- 2012年:ロータスF1チームからF1に復帰
- 2014年:古巣フェラーリに移籍。フェルナンド・アロンソとの元ワールドチャンピオンコンビ
- 2017年:Instagramデビュー
- 2019年:古巣ザウバーに移籍
- 2021年:シーズン末を以てF1引退
「ほっといてくれ!」
公の場での語り口調とは異なり、レース中のライコネンはしばしば、感情的だ。
F1復帰後の初勝利を収めた2012年のアブダビGPでは、ルイス・ハミルトンを交わして20周目にトップに立った直後、レースエンジニアのサイモン・レニーから、フェルナンド・アロンソが5秒後方にいること、アロンソのペースについて逐次報告すると伝えられると「ほっといてくれ、自分が何をしなきゃならないのかは分かっている!(Just leave me alone, I know what I’m doing)」と突き返した。
レース後半にタイヤの温度管理について指示された際にも「はい、はい、はい、はい。いつもやってることだから、10秒ごとに言うな!」と返答した。
この「ほっといてくれ!」のフレーズはメディアで大きく取り上げられ、ライコネンがロータスのチームメンバーにこの言葉をプリントした500枚のTシャツをプレゼントしたとも報じられたが、後に本人はこれを否定した。
キミの伝説
ラリー参戦を経て、ライコネンは2014年に古巣フェラーリに復帰するも思うように成果を残せず、マラネッロは2018年のイタリアGP後に、翌シーズンよりライコネンの後任としてシャルル・ルクレールを起用すると発表した。
皮肉な事にこの年のモンツァでのグランプリは、ルイス・ハミルトンに僅差で優勝を奪われたライコネンにとって、シーズンベストレースの1つだった。そして迎えたテキサス州オースティンでの戦い。39歳を迎えた2007年のF1ワールドチャンピオンは、2,044日ぶりに表彰台の頂点に立ち、自身のことを”キャリア終焉”と評した批評家たちを黙らせた。
レース後にライコネンは「優勝できた事は嬉しいが、(レースの前後での)最も大きな違いは人々が僕を見る目だと思う。一部の人達の見方が間違っていた事を証明できただけで、僕としては十分に楽しい」と語った。
嫌いな飲み物はコーヒー。当時所属していたマクラーレンのスポンサーにネスカフェが決定した際、その発表会の場で「僕はコーヒーが嫌いだ」と言ってのけた。via : ライコネン・エピソード | @Kimi