エディ・ジョーダン、76歳で逝去―F1を愛し、F1に愛された男…追悼の声 続々

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元F1チームオーナーのエディ・ジョーダンが、がんとの1年にわたる闘病の末、76歳で逝去した。1948年3月30日、アイルランド・ダブリン生まれ。レーサーからチームオーナーへと転身し、F1において独自の存在感を放ち続けた。

ジョーダンは昨年12月、悪性の「膀胱がんと前立腺がん」と診断され、脊椎や骨盤に転移していることを公表していた。

今冬を南アフリカのケープタウンで過ごし、先月の時点では「化学療法は順調」と語っていたが、家族の声明によると、ジョーダンは3月20日(木)の早朝、ケープタウンで家族に見守られながら息を引き取ったという。

表彰台でエディ・ジョーダンと並ぶ2位のダニエル・リカルド(レッドブル・レーシング)、2017年9月17日(日) F1シンガポールGP(マリーナベイ市街地コース)Courtesy Of Red Bull Content Pool

表彰台でエディ・ジョーダンと並ぶ2位のダニエル・リカルド(レッドブル・レーシング)、2017年9月17日(日) F1シンガポールGP(マリーナベイ市街地コース)

レーサーからチームオーナーへ

ジョーダンは1970年代から80年代にかけて、レーシングドライバーとして活躍。アイルランド・カート選手権で成功を収め、フォーミュラ・フォード、イギリス3、フォーミュラ2などに参戦し、1981年には名門ル・マン24時間レースにも出場した。

その後、チーム運営にシフトし、1979年に自身の名を冠した「ジョーダン・グランプリ」を設立。F3を中心に様々なカテゴリーで成功を収め、ついに1991年、F1への参戦を果たした。

F1での輝かしい実績

ジョーダン・グランプリはF1界で多くの才能を発掘した。1991年には後に7度のF1ワールドチャンピオンとなるミハエル・シューマッハをデビューさせ、その後もルーベンス・バリチェロ、マーティン・ブランドル、デイモン・ヒル、ジャン・アレジなど、多くの名ドライバーがこのチームのシートを務めた。

1998年のベルギーGPでは、ヒルがジョーダン・チームに初優勝をもたらし、ラルフ・シューマッハとともに1-2フィニッシュを達成。この歴史的な勝利により、チームの名声はさらに高まった。

1999年にはハインツ=ハラルド・フレンツェンの活躍により、ジョーダンはコンストラクターズランキング3位という快挙を成し遂げ、一時はタイトル争いにも絡んだ。さらに、2003年のブラジルGPではジャンカルロ・フィジケラが大混乱のレースを制し、チーム最後の勝利を飾った。

ジョーダン・ホンダEJ12をドライブする佐藤琢磨、2002年F1アメリカGPにてCourtesy Of Indycar / Ron McQueeney

ジョーダン・ホンダEJ12をドライブする佐藤琢磨、2002年F1アメリカGPにて

F1チーム売却後の活躍

ジョーダンは2005年にチームを売却し、その後、F1グリッドから「ジョーダン」の名は消えた。しかし、彼はF1の世界から姿を消したわけではなかった。

2009年からはBBCのF1解説者として活躍し、鋭い洞察力とユーモアあふれるコメントで多くのファンを魅了した。2012年末には、ルイス・ハミルトンのマクラーレン離脱とメルセデス移籍のスクープを報じるなど、ジャーナリストとしてもその影響力を発揮した。

その後も、Channel 4のF1解説者を務めたり、イギリスの人気番組「トップ・ギア」に出演したりするなど、多方面で活躍。また、元F1ドライバーのデビッド・クルサードとともに「Formula For Success」という人気ポッドキャストを運営していた。

近年は、F1界のデザインの巨匠エイドリアン・ニューウェイのマネージャーとしても活動し、彼のレッドブル離脱とアストンマーティン移籍を実現させた。

レース勝者のマックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング)を祝福するエイドリアン・ニューウェイ(最高技術責任者)、2024年4月7日(日) F1日本GP(鈴鹿サーキット)Courtesy Of Red Bull Content Pool

レース勝者のマックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング)を祝福するエイドリアン・ニューウェイ(最高技術責任者)、2024年4月7日(日) F1日本GP(鈴鹿サーキット)

音楽とビジネスの世界でも影響力を発揮

ジョーダンはまた、音楽の世界にも情熱を持ち、自身のバンドを結成。ドラムによる演奏を披露することもあった。さらに、ゴルフやサイクリング、アートにも関心を寄せ、多彩な活動を展開。F1チーム運営だけでなく、幅広いビジネス活動を通じてその影響力を発揮した。

F1界の追悼の声

ジョーダンの訃報を受け、F1のステファノ・ドメニカリCEOは、「エディ・ジョーダンの突然の訃報に深い悲しみを抱いている。彼は常に周囲を笑顔にする人で、そのエネルギーは尽きることがなかった。F1の歴史において重要な人物であり、その存在を恋しく思うことだろう」との声明を発表した。

2002年にジョーダンでF1デビューを果たした佐藤琢磨は、「本当に悲しい気持ちです… 私達は偉大なリーダーを失ってしまいました。エディと素晴らしい時間を過ごせたことを本当に幸運に思います。彼の支えには深く感謝しています。多くの人が彼の笑顔を恋しく思うでしょう。彼のご家族のことを思っています。エディ、どうか安らかに」とSNSに投稿した。

また、ジョーダン・グランプリを前身とするアストンマーチンF1チームのアンディ・カウエル代表は「エディ・ジョーダンはモータースポーツ界における史上最高の偉人の一人だった。彼は唯一無二の存在であり、素晴らしい人間であり、カリスマ的なリーダーだった。彼がこのチームを創設し、1991年にF1へと導いた。彼のビジョンが我々の基盤を築き、モータースポーツ界全体に永続的な遺産を残した。今日はこのスポーツの伝説に敬意を表し、彼の家族、友人、そして同僚に心から哀悼の意を捧げる」とコメントした。

ジョーダンのテストドライバーを足がかりに、1999年にF1デビューしたペドロ・デ・ラ・ロサは「本当に悲しい。彼はこのスポーツの真の伝説だった。エディは私にF1での最初のチャンスを与えてくれた。私はそれを決して忘れず、永遠に感謝し続けるだろう。彼のご家族とご友人に心からお悔やみを。安らかに」とSNSに綴った。

レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表は、チームのSNSを通じて次のように追悼の意を表した。

「エディ・ジョーダンが逝去したという悲報に接し、本当に残念に思う。エディは実に個性的な人物だった。初めて会ったのは1991年だ。彼がF1での初めてのシーズンを終えた直後、当時新設されたばかりの新しいファクトリーでのことだった。私はまだ若手ドライバーだった。彼のアドバイスは『いいスポンサーを見つけろ…ようこそピラニア・クラブへ!』というものだった」

「その後、私がF1に足を踏み入れた時、幸運にも彼と同じ時代を過ごすことができた。彼のF1でのキャリアはその時、すでに晩年に差し掛かっていたが(実際、チームの購入を持ちかけられたことさえあった!)、その後はメディア活動に進出した。そこでも彼は常にエネルギッシュで、一緒に仕事をするのが楽しい人だった」

「F1界はひとつの伝説を失った。彼のウィットに富んだ発言やアイルランド特有の魅力が恋しくなるだろう。この悲しみの中で、マリーと子どもたちに心からのお悔やみを申し上げる。我々の思いは彼らとともにある」

「安らかに、エディ」

ウィリアムズのカルロス・サインツはSNSを通して「エディの訃報を知り、本当に悲しい気持ちだ。彼はこのスポーツの真の象徴であり、愛される存在だった。情熱的で誠実、そして唯一無二の人物だった。心から寂しく思う。安らかに眠ってほしい」と語った。

ハースのエステバン・オコンは「エディと知り合えたことは幸運だった。彼はこのスポーツにおける偉大な人物というだけでなく、それ以上に素晴らしい人間だった。彼のご家族とご友人に心からお悔やみを。安らかに、エディ」とSNSに綴った。

マクラーレンのザク・ブラウンCEOも「エディは常に率直かつ情熱的な人で、F1への情熱は計り知れないものだった。彼が残した功績は計り知れず、その遺産は永遠に受け継がれるだろう。彼のご家族、ご友人に心から哀悼の意を表する」とのコメントを発表した。

ウィリアムズのジェームズ・ヴァウルズ代表は「エディの訃報を聞き、深く悲しんでいる。彼はまさに唯一無二の存在であり、このスポーツの流れをより良い方向へと変えた人物だった。F1の偉大な人物たちの中で、独立したリーダーとして素晴らしい功績を残した。安らかに、エディ。ご家族と大切な人々に心からお悔やみを申し上げる」との声明を発表した。

エディ・ジョーダンの遺した功績、情熱とユーモア、そしてF1に対する愛情は、F1の歴史に刻まれ、これからも語り継がれることだろう。