エイドリアン・ニューウェイとクリスチャン・ホーナーcopyright Getty Images / Red Bull Content Pool

天才デザイナーのニューウェイ、跳ね馬から提示された巨額年俸の移籍オファーと裏話語る

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F1史上最も成功した天才的F1マシンデザイナーのひとりエイドリアン・ニューウェイ(レッドブル)は、これまでに3度フェラーリから移籍のオファーを受けていた事を明らかにした。中でも、ハイブリッドターボが導入された2014年には、当時レッドブルから貰っていた2倍以上の年俸を提示され、真剣に悩んだという。

ニューウェイは、ウィリアムズとマクラーレン、そしてレッドブルで計7回のコンストラクターズタイトルを獲得しているが、史上最も多くの成功と名声を集めたスクーデリア・フェラーリに所属したことはない。2005年に誕生したレッドブル・レーシングに参画、以降同チームとともにキャリアを歩んでいる。

英Skyに出演したニューウェイは、これまでにフェラーリから3回ラブコールを受けていた事を語った。一度目は現在のインディカー・シリーズの前身であるCART(Championship Auto Racing Teams)時代での事、インディカーのマシン製造を決定したフェラーリからチーフデザイナーとしてのオファーを受けた。ニューウェイは、1984年のインディ500を制したマーチ・コスワースのマシンを手掛けている。

2度目はウィリアムズF1でダブルタイトルを獲得した1996年。当時チーム代表を務めていたジャン・トッドからテクニカルディレクター待遇を打診された。だが、ニューウェイは翌年、同じくラブコールを送っていたマクラーレンに加入した。その背景には、チャンピオンとなったデイモン・ヒルとの契約延長を行わなかったウィリアムズへの不信感及び、当時まだ幼かった子供達のためにイギリス在住を優先した事があった。

3度目は1.6リッターハイブリッドターボが導入された2014年。前年まで4連覇を達成していたレッドブル・ルノーであったが、エンジン規約の大刷新でルノーは低迷しメルセデスとフェラーリの後塵を拝した。ニューウェイは、厳しい状況に追い込まれた当時のルノーの姿勢に疑問を抱いてたという。

「あの時は先の見通しと希望が全く見いだせなかった。私には、ルノーが問題解決のために本気になっているようには到底思えなかった。最大の心配事だったよ」

当時フェラーリの会長を務めていたルカ・ディ・モンテゼーモロは、トスカーナ近郊の自宅にニューウェイを呼び勧誘した。モンテゼモーロが提示したのは、フェラーリ市販車及びレースカーのオペレーション全権と、レッドブルが支払っていた年俸の2倍以上の金銭オファーという破格の条件であった。

だが、設立初期から携わりチャンピオンへの険しい道程と大成功を共に経験してきたレッドブルに対しての忠誠心と愛は揺るがなかった。夜眠れないほどに悩み抜いたニューウェイは、レッドブルを自身の「ホーム」と位置づけ丁重にこれを断ったという。

当時ニューウェイを引き抜こうとしたのはフェラーリだけではなかった。メルセデス非常勤会長を務めていたニキ・ラウダもまたニューウェイを自宅に呼び、2013年にチームを去ったロス・ブラウンの後任として空力の鬼才を引き抜こうとした。同年のメルセデスは圧倒的な強さを見せており、その一役を担ったブラウンの後任に座ることは手柄を横取りする「トロフィーハンター」だと感じたニューウェイは、申し出を辞退した。

ニューウェイは昨年11月2日に、自身のキャリアを振り返る自伝「How to Build a Car」を発売。これまでの各シーズンの技術的課題とこれに対する自身の解決策が、読みやすい会話形式で綴られている。今のところ日本語版は発売されていないが、Amazon Kindle版の購入は可能。