2021年6月3日、F1アゼルバイジャンGPに向けてバクー市街地コースの下見に出かけるアルファタウリ・ホンダの角田裕毅
Courtesy Of Red Bull Content Pool

角田裕毅、”念願叶って”のイタリア転居命令…アゼルバイジャンGPに向けて既に「大きなプラス」

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F1第5戦モナコGPでのクラッシュを経て、レッドブルは角田裕毅を英国からイタリアへと移す事を決定した。日本人ルーキーは当面の間、アルファタウリ・ホンダのフランツ・トスト代表の管理下に置かれる。

昇格を狙うシニアチームの拠点から離れるという事は一種の後退とも言えるわけだが、所属先チームの本拠近くに住まいを設けることは角田裕毅本人が当初から望んでいた事であり、本人はかなり前向きに捉えている。

7年ぶりの日本人F1ドライバーとして待望のデビューを果たした角田裕毅は、初戦となった開幕バーレーンGPで入賞を飾り好スタートを切ったものの、それ以降は曰く「高望みし過ぎた」事もあり、コース上でのミスが目立ち失速した。

第2戦エミリア・ロマーニャGPでは予選でクラッシュを喫し、レースではスピン。第3戦ポルトガルGPではペースが上がらず、第4戦スペインGPでは不振の原因を巡る発言が物議を醸し、第5戦モナコGPではプラクティスで再びクラッシュと、4戦連続ノーポイントの難しい状況が続いている。

レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコは変化が必要と考え、角田裕毅に英国ミルトンキーンズから伊ファエンツァへの転居を命ずる事を決断した。F1公式サイトが伝えたところによると、転居命令について角田裕毅は、レッドブル及びアルファタウリ双方からモンテカルロでの週末の土曜に伝えられた事を明かした。

「こうした場合は大きな変化が必要です。そのため彼らは、ファクトリーに足を運ぶ機会を、そしてクルマについてエンジニアと話し合う機会を増やすべく、僕をイタリアへと移す決断を下しました」(角田裕毅)

「モナコGPを終えた翌週にファエンツァに向かいました。1日の予定の大部分はフランツ・トストが決めています」

「9時から11時まではジムセッションですが、こんな経験は初めてです…11時から12時半まではエンジニアミーティングとランチで、英語が完璧ではないので英語のレッスンも受けました。15時から16時半まで再びミーティングを行った後、16時半から18時まで再びジムで過ごします」

「先週は(こうした新たな生活スタイルを)楽しめませんでしたが、これが現実です。とは言え、特にエンジニアとのミーティングによってクルマに対する理解を深める事が出来ましたし、今週末に向けては凄く良い準備を整える事ができています」

「ジムでのセッションは通常よりもかなり長く、年末までボディビルに明け暮れる事がないよう願うばかりですが」

イタリアを拠点とする生活は、角田裕毅がシーズン当初からレッドブル側に要望を出していたものであったという。「僕にとっては本当に有り難い決断でした」と角田裕毅は続ける。

「実はシーズンの始めの段階から、レッドブルに対してイタリアに移れないかと相談していたんです。これまではミルトンキーンズを拠点としていましたが、イタリアに引っ越した事でチームと過ごせる時間が増える事になりました。僕にとっては大きなプラスです」

「イタリアは気候が素晴らしく食べ物も美味しいですし、僕にとってはすべてがポジティブです。後はレースでの僕のパフォーマンス向上に繋がる事を願うばかりです」

「もしかすると彼らにとっては、(イタリア転居は)僕に対するペナルティという意味合いがあるかもしれませんが、僕にとっては前向きな事です」

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