技術解説:超多忙なF1ドライバー…ステアリングを制するチームがレースを制す
F1で使用される=ステアリング(ハンドル)は、車の舵取りとしての役割だけではなく、ブレーキバランスをはじめとするマシンのセッティングやピットとの通信、そしてエンジン回転数や駆動トルク量などの各種インフォメーションの表示など、多岐にわたる機能を備えている。
例えば、ハイブリッド時代の常勝軍団メルボルンAMGのステアリングホイールには、シフトパドルに加えて16個のボタンと6つの回転ホイール、そして3つのロータリースイッチが備わっており、設定の組み合わせは実に数百万通りにも及ぶ。
コンマ1秒という僅かなギャップの中に、10台以上がひしめく様な予選セッションを思い起こせば、ステアリングの”出来”の違いがリザルトに大きな影響を与えかねないであろう事は想像に難くない。ステアリング性能はチャンピオンシップを左右する。
煩雑な操作ワーク
アクセルワークとブレーキ及びステアリング操作だけでは、電子制御の塊となった現代F1マシンをまともにドライブする事は出来ない。マシンによって違いはあるが、例えばイギリスGPが開催されるシルバーストン・サーキットでは、1周の間にギアシフトを40回、ブレーキバランスの調整を2回、ディファレンシャル変更を3回、ディスプレイ表示を2度も変更する必要がある。
中でもターン3への侵入時が最も慌ただしく、1.2秒という僅かな時間の中で5回ものシフトダウンを迫られる。この様に、F1ドライバーが1ラップ中に行う必要のあるステアリング操作は膨大かつ多岐に渡るため、ステアリングの操作性はもろにラップタイムに直結してしまう。
更に、F1マシンは暴力的なまでに速く、市販車と異なり足回りが固く締められているために著しい振動とGフォースが発生する。ドライバーは手袋を装着しながら、この”劣悪”な状況下で煩雑な操作を行い、マシンを正確無比にコントロールする事が求められる。それだけに、ステアリングの操作性向上と振動に対する対策は極めて重要だ。
誤操作の防止
誤って意図しないボタンを操作しないように、ボタンの周りにはプラスチック製のリムが取り付けられている。これは着脱可能で、レース毎に変更する事が可能。というのも、モンテカルロ市街地コースのように、ステアリングを限界まで切る必要があるコースでは、リムがドライバーの操作を邪魔してしまう事があるからだという。
© Mercedes AMG
また、ステアリング上のボタン類は高い信頼性を誇る航空機仕様のものを採用。これによってドライバーは、グローブをしたままでも確実かつ正確に意図したボタンを押すことができる。
設計と素材
F1マシンは極めてタイトな設計が要求されるため、余計なスペースは一切ない。それはコックピットも同じ。ステアリングの寸法やボタン配置等に僅かでも不適切な箇所があれば、膝やセルに干渉し、正確なドライビングを阻害してしまう。
高い操作性を実現させるために、ステアリングの基本設計にはドライバーが深く関与する。人間工学=エルゴノミクスの観点から幾種ものプロトタイプが製造され、スイッチ類はもちろん、全体の形状やグリップ、ラベルのカラーリングやフォントに至るまで徹底的に検討を重ねる。プロトタイプが完成すると、金曜のフリー走行を使って念入りに検証が行われる。
主な素材は炭素繊維、ガラス繊維、チタン、シリコン及び銅。製造には80時間が必要で、ディスプレイと基本の回路基板は全チーム共通パーツだが、カーボン製のエンクロージャーやクイック・リリース機構、電気コネクタといった他の大部分はチームのファクトリーで製造される。
メンテナンス
ステアリングは、いわゆる”クラスA”と呼ばれる最重要保安部品の一つに位置づけられており、サバイバルセルやサスペンション等と同じ様に厳しいテストに合格しない限り、実際にトラック上で使用する事は許されない。誤操作は生命の危機を招くことになる。
他のコンポーネントと同様に走行可能なマイレージが設定されており、2・3レース毎にメンテナンスが必要となる。ステアリングは常に振動にさらされるため、クラックがないかを確かめるために非破壊試験(NDT)を行う。NDTでは、亀裂を確認するために低粘度の傾向染料に浸漬させ、乾燥後に紫外線に当てて肉眼では発見しづらい亀裂を見つけ出す。更に、電気系検査や超音波検査、耐水気密性チェックも行われる。