レッドブル創業者、ディートリヒ・マテシッツが78歳で死去…F1アメリカGPを直前に控え
エナジードリンク企業、レッドブル社の共同創業者であり、長年に渡ってF1に関与し続けてきたディートリヒ・マテシッツが2022年F1第19戦アメリカGPを前に78歳でこの世を去った。
米国現地10月22日(土)、オーストリア現地23日(日)、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表が全スタッフをサーキット・オブ・ジ・アメリカズのホスピタリティに招集する混乱の光景があった。予選開始を数時間後に控えてチームメンバーは訃報を知らされた。
死因は明らかになっていないが、長らく闘病生活を強いられていたとされる。ここ数年は公の場に姿を見せていなかった。
オーストリアのスティリアに生まれたマテシッツは、ウィーン経済大学でマーケティングの学位を取得。後にP&Gに買収される事になるブレンダックス社に在籍していた際に、出張先のタイでチャリアオ・ユーウィッタヤーとの運命的な出会いを果たした。
1984年にユーウィッタヤーと各々50万ドルを出資してレッドブル社(Red Bull GmBH)を設立すると、1987年にエナジードリンクの販売を開始。莫大な財を築き上げると、1995年にザウバーのスポンサーとして初めてF1に参入した。
2004年末にジャガー・レーシングチームを買収して「レッドブル・レーシング」を設立。更にオーストリアのA1リンク(後にレッドブルリンクに改称)を購入し、2006年にはミナルディを買収して「スクーデリア・トロ・ロッソ」を傘下に収めた。
レッドブルは2010年にセバスチャン・ベッテルと共に初のF1世界タイトルに輝くと、4シーズン連続でダブルタイトルを獲得する偉業を果たした。
V6ハイブリッド・ターボ時代になるとメルセデスが頭角を現し、タイトル争いから遠ざかっていたものの、ルノーとの決別を経てホンダをパワーユニットサプライヤーに迎え入れると再び常勝チームへと返り咲いた。
そして2021年にマックス・フェルスタッペンとF1ドライバーズタイトルを勝ち取り、メルセデスの支配を終わらせた。チームは現在、ポールポジション79回、優勝89回、そして6回のドライバーズタイトルと4回のコンストラクターズタイトルを獲得している。
マテシッツの死去に伴い、角田裕毅擁するスクーデリア・アルファタウリを含めたレッドブル関与のF1事業の将来がどうなるのかは分かっていない。