オリバー・オークス
人物データ
名前 | オリバー・オークス / Oliver Oakes |
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国籍 | イギリス |
出身地 | ノーフォーク |
ニックネーム | オリー |
生年月日 | 1988年01月11日 / 37歳 |
オリバー・オークス(英:Oliver Oakes)はイギリス出身の元レーシングドライバー。2024年8月にアルピーヌのF1チーム代表に就任した。36歳でのF1チーム代表就任は、2005年に31歳でレッドブル・レーシングのチーム代表に抜擢されたクリスチャン・ホーナーに次ぐF1史上2番目の若さとなる。
2005年に世界カート選手権チャンピオンに輝き、将来を有望視されたが、シングルシーターでは成功を収めることができず、2010年にマネジメントへ転向。2015年にはハイテック・グランプリ(現ハイテック・パルスエイト)の設立に関与し、若手育成とチーム運営で頭角を現した。
レーシングドライバーからF1チームの首脳へと転身した人物としては、オークスやホーナーのほか、トト・ウォルフ、ニキ・ラウダ、ザク・ブラウン、エディ・ジョーダン、トム・ウォーキンショーなどが挙げられる。
幼少期とカート時代
オークスはイギリス・ノーフォーク出身。父ビリー・オークスは、かつてフォーミュラ・ルノーやイギリスF3に参戦していたユーロテック・モータースポーツの創設者であり、モータースポーツ界に深い縁を持つ家庭で育った。
父の勧めで4歳の時にカートを始め、12歳までに2度の英国チャンピオンに輝くなど成功を収めた。そして2005年、17歳の時にジュール・ビアンキやバルテリ・ボッタスといった後のF1ドライバーに打ち勝ち、カート世界選手権で優勝。世界の頂点に立った。
この活躍が評価され、当時発足したばかりのレッドブル・ジュニアプログラムに加入。そこにはハイメ・アルグエルスアリ、セバスチャン・ブエミ、ブレンドン・ハートレー、そして後にF1で4度のタイトルを獲得するセバスチャン・ベッテルも名を連ねていた。
シングルシーターへの挑戦
2006年、オークスはカーリン・モータースポーツからフォーミュラBMWに参戦し、優勝1回、表彰台3回を獲得してランキング6位に入った。
2007年のフォーミュラ・ルノー・ユーロカップ参戦を経て、2008年にはイギリスF3に参戦。当時のライバルには後のF1ドライバー、セルジオ・ペレスの姿もあった。
2009年にはカーリン・モータースポーツに移籍するも、2戦後に離脱。残りのシーズンをテストドライバーとして活動し、2010年にはGP3シリーズ(現在のFIA-F3選手権)に参戦したが、ランキング28位に終わった。この時のライバルにはエステバン・グティエレス、アレクサンダー・ロッシ、ジャン=エリック・ヴェルニュといった後のF1ドライバーたちがいた。
そしてGP3での1シーズンを終えた後、マネジメント業へと転向することを決断。レーシングドライバーとしての道を離れ、新たなキャリアを歩み始めた。
マネジメントへの転身、ハイテック・グランプリの設立
オークスはまず、カートの世界でマネジメントキャリアを開始し、2011年に「チーム・オークス」を結成。ヨーロッパや世界の主要なカート大会で成功を収めた。
そして2015年、ハイテック・グランプリの設立に関与。翌2016年に、ジョージ・ラッセルとニキータ・マゼピンのラインナップでヨーロッパF3選手権に参戦した。
ラッセルは欧州F3での2シーズン目となった2016年、ハイテックとともに優勝2回、表彰台10回を記録してランキング3位を獲得。その活躍がメルセデスの目に留まるきっかけとなり、F1へと至る道が切り開かれた。
オークスの指揮のもと、ハイテックは活動領域を拡大し、FIA-F2選手権、FIA-F3選手権、GB3、イギリスF4、UAE F4など、多くのジュニアカテゴリーに参戦。ドライバーズタイトルやチームタイトルを獲得し、着実に実績を積み上げた。
そして2023年、F1への新規参戦を目指して国際自動車連盟(FIA)にエントリーしたが、申請は却下された。
ハイテックのF1進出は叶わなかったが、アルピーヌのエグゼクティブアドバイザーであるフラビオ・ブリアトーレとルノーCEOのルカ・デ・メオとの会談を経て、オークスは2024年8月、アルピーヌのF1チーム代表に就任した。
オークスは多くの若手ドライバーの育成にも貢献してきた。先述のラッセルやジャック・ドゥーハン、リアム・ローソンといったF1ファンに馴染み深いドライバーたちも、彼のもとでハイテックに所属していた。