2022年仕様のレーシングスーツを着用するレッドブル・レーシングのセルジオ・ペレス
Courtesy Of Red Bull Content Pool

セルジオ・ペレス

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人物データ

名前 セルジオ・ペレス / Sergio Perez
国籍 メキシコ
生年月日 1990年01月26日 / 34歳
身長 173cm
体重 63kg
F1デビュー 2011年
カーナンバー 11
WEBサイト escuderiatelmex.com
SNS instagram

セルジオ・ペレス・メンドーザはメキシコ出身のF1ドライバー。ザウバー、マクラーレン、フォース・インディア、レーシングポイントを経て2023年シーズン現在、レッドブル・レーシングのレギュラー・ドライバーを務める。

2009年にフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)に加入。2010年のGP2アジアシリーズで2位の成績を収めた後、2011年にザウバーからF1デビューを果たした。1997年から81年までグランプリに参戦していたヘクター・アロンゾ・レバーク以来のメキシコ人F1ドライバー誕生だった。

ザウバーでの2年目に3度の表彰台を獲得し、FDA離脱を経て2013年にマクラーレンに移籍するも僅か1年でシートを追われ、2014年にフォース・インディアF1チームに移籍した。

7年間に渡って英国シルバーストンのチームと契約を結び続けたが、アストンマーチンへとリブランドさせるに際してセバスチャン・ベッテルにシートを奪われ、2021年にレッドブル・ホンダに移籍した。

ペレスには大手通信企業テルメックスをはじめとしたメキシコのスポンサー軍団がついており、デビュー当時はペイドライバーと揶揄されることも多かったが、今やそのような中傷を耳にすることはない。

私生活

プライベートでは長男チェキート君、長女カルロタちゃん、次男エミリオ君の3人の父親だ。2017年夏にカローラ・マルティネスとの婚約を発表。同年12月21日に子供を出産し、ペレスはパパとなった。更に2022年5月には第3子が誕生した。

敬虔なカトリック教徒であり、故ヨハネ・パウロ2世の写真をコックピットに飾るほどである。

F1デビュー戦オーストラリアGPでの大活躍

F1でのデビュー戦となった2011年オーストラリアGPでは、唯一1ストップで決勝を完走し見事7位入賞を飾るが、マシンのリアウィングの車両規定違反が発覚、その実力の片鱗を感じさせる初戦結果を残した。

テクニカルディレクターのジェームス・キーはペレスの初戦を次のように評価する。「ルーキードライバーの初レースとしては傑出していた。いずれにしろ彼には速さがあると感じていたが、ソフトタイヤで38周を走るとは誰も可能だとは思っていなかったと思う」

小林可夢偉から学んだ技術

デビュー後数年は、一か八かの大勝負に出て度々クラッシュを喫するような危うい面が目立っていたが、フォース・インディア移籍後は冷静な判断力を身につけ、チームメイトのニコ・ヒュルケンベルグにも劣らぬ安定した走りを見せるようになった。特にタイヤマネジメントには定評があり、本人曰く「小林可夢偉からタイヤマネジメントを学んだ」のだそう。

わずか1年でマクラーレン離脱、「態度が悪い」

2013年にザウバーからマクラーレンに移籍したペレスだが、わずか1年という異例の短期間でデンマーク人ルーキーのケビン・マグヌッセンにシートを奪われた。当時マクラーレンのチームコーディネータを努めていたジョー・ラミレスは次のように語る。「実際のところドライバーとしては悪くはなかった。だが人間的にもうひとつだった。彼はチームワークを重んじなかったしとても横柄だった。態度がすごく悪かったから、エンジニアをはじめ誰からも人気がなかった。」

レーシングポイント創設の立役者

フォース・インディアは2018年、慢性的な財政難から破産の危機に追い込まれた。チームはパワーユニット一式を供給するダイムラー/メルセデスに対して900万ポンド(約13億円)、メキシコ資本のスポンサーマネーを持ち込むペレスに対して300万ポンド(約4億3600万円)の負債を抱え、未払金が生じていた。

多額の負債を抱える事になった原因はチーム創設者兼共同オーナーのビジェイ・マリヤにあるとされる。マリヤはキングフィッシャー航空に対する10億ドル、日本円にして約1111億円にも上る詐欺容疑がかけられており、インド当局から指名手配を受けていた。

チーム存続のためには破産手続きを開始してマリアに代わる新たなオーナーを見つける必要があった。そこでペレスは、メルセデス及びペレスのマネージャーを務めるジュリアン・ジャコビ、そしてチームのメインスポンサーを務めていたBWT社と共に、ロンドン高等裁判所に破産手続きの開始を申請した苦渋の選択だったとペレスは振り返っている

その結果、有限責任事業組合のFRP Advisory LLPが管財人に任命され、最終的に当時ウィリアムズにいたランス・ストロールの父ローレンス率いる投資家グループがチームを買収。これによりチームは再建され、”レーシングポイント・フォースインディア”として再生した。