ルノーとのF1テストに臨むロバート・クビサcopyright Renault

ロバート・クビサ

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人物データ

名前
ロバート・クビサ / Robert Józef Kubica
国籍
ポーランド
出身地
クラクフ
生年月日
1984年12月07日 / 33歳
身長
183cm
体重
72kg
@KubicaOfficial

ロバート・クビサは、ポーランド人初のF1ドライバー。2006年から2010年にかけてF1で76戦を戦い、優勝1回、ポール・ポジション1回の記録を残し、将来のF1ワールドチャンピオン候補筆頭に名が挙がる程その実力を高く評価されていた。だが、11年シーズン開幕前にラリー競技中の事故によって瀕死の重傷を負い、以降フォーミュラカーでのレースから退いた。”クビカ”とも表記される。

幼少時代のニコ・ロズベルグ、ルイス・ハミルトン、ロバート・クビサ
©nico_rosberg / 幼少時代のロズベルグ、ハミルトン、クビサ

2度のF1ワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソと親交が厚く、また、ニコ・ロズベルグやルイス・ハミルトンとはカート時代からの友人。2017年、ウィリアムズF1チームからのF1復帰を目指すに際して、ロズベルグにマネジメントを依頼する程、両者の間には信頼関係がある。ロズベルグは「ルイスとロバートはこれまでに対決した中で最速のドライバー」と語り、4度のF1王者ハミルトンに匹敵する速さを持つドライバーだと主張している。

主なキャリア

F1デビューは2006年、ジャック・ヴィルヌーヴの代役として第13戦ハンガリーGPでBMWザウバーからデビューし初レースを入賞圏内で終えた。ヴィルヌーブはその後離脱、クビサは残りのシーズンをレギュラードライバーとして戦い、3戦目のイタリアGPで3位表彰台を獲得する活躍を見せた。08年の第7戦カナダGPでは、BMWザウバーに初優勝をもたらし年間4位に輝いた。

BMWの撤退に伴い2010年にルノーF1に移籍。舞台裏では、同年ルノーからフェラーリへと移籍した親友アロンソの口添えがあったと言われる。”ストリートファイター”の異名を取るクビサは、半公道のオーストラリア、モンテカルロの市街地を走るモナコ、そして超高速のベルギーで表彰台に上がった。

2011年、シーズオフの2月に趣味を兼ねて参戦していたラリー競技中に大クラッシュ、ガードレールが車内部に突き刺さるほどの大事故だった。右手、左手、足の各部位が骨折、一時は右腕切断も検討された。一命はとりとめたものの右腕には後遺症が残り、筋肉の半分が削がれ今も自由に動かすことはできない。基本動作は全て左手で行っている。

シングルシーターのコックピットは非常に狭いため、右手の自由が利かないクビサは以降フォーミュラカーの世界から去っていった。事故から1年半後の2012年9月、ラリーでレース活動を再開、復帰戦を優勝で飾った。2015年までの間は世界ラリー選手権(WRC)を中心にレースを行い、2016年にムジェロ12時間耐久レースに参戦、事故以来初めてとなるサーキットレースに挑んだ。

ロバート・クビサ
© Renault Sport / ルノーのレーシングスーツを着るクビサ

転機が訪れたのは2017年6月、ルノーF1がクビサに2012年式ロータスE20での走行機会をプレゼントしたところから始まった。特にF1復帰を目指してという趣旨のものではなかったが、プライベートテストは予想だにせず好調に終了、これを受けてチーム首脳陣は”F1復帰を評価“するという名目で、同年8月のF1公式ハンガリーテストにクビサを起用した。

公式テストの結果は良好であったが、ルノーは第17戦アメリカGPでジョリオン・パーマーを放出しトロ・ロッソのレギュラードライバーを務めていたカルロス・サインツを獲得、クビサのルノーでのF1復帰の夢は潰えた。同年9月、ニコ・ロズベルグをマネジメントに迎え入れ復帰を模索、ウィリアムズでの復帰を目指し10月に2度の隠密テストを実施した。

1998年
単身渡伊しイタリア・ジュニアカート選手権初の外国人チャンピオン
2000年
フォーミュラ・ルノーのテストドライバーに就任
2003年
ワールド・シリーズ・バイ・ルノーの初代王者
F3マカオGPで2位表彰台
2006年
BMWザウバーからF1デビュー
2008年
バーレーンで初PPを獲得
カナダで初表彰台、年間4位
2010年
ルノーに移籍、表彰台3回で年間8位
2011年
ラリー競技中に大クラッシュ
2012年
9月、ラリーでレース活動を再開
2017年
F1復帰を目指しルノーとウィリアムズでテスト