アイザック・ハジャー
人物データ
名前 | アイザック・ハジャー / Isack Hadjar |
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国籍 | フランス |
出身地 | パリ |
生年月日 | 2004年09月28日 / 20歳 |
身長 | 167cm |
体重 | 65kg |
F1デビュー | 2025年 |
カーナンバー | 6 |
WEBサイト | isackhadjar.com |
SNS | twitter facebook instagram |
アイザック・ハジャー(Isack Hadjar)はフランス・パリ出身のレーシングドライバー。レッドブル・ジュニアチームの一員として2024年のFIA-F2選手権に参戦し、ランキング2位を獲得。2025年には角田裕毅のチームメイトとして、レーシング・ブルズからF1デビューを果たす。
父はアルジェリア・アルジェ出身の物理学者で研究者のヤシン・ハジャー、母はリビア系アルジェリア人。フランスとアルジェリアの二重国籍を持つが、モータースポーツではフランスのライセンスで参戦している。父は元アマチュアレーサーであり、幼少期のハジャーにカートを勧めた。
キャリアの歩み
近年のF1ドライバーとしては珍しく、ジュニアカテゴリーで一度もタイトルを獲得せずにF1昇格を果たした。しかし、それは彼の才能を否定するものではない。一発の速さは証明済みであり、今後の課題はレース全体の戦略と安定感にある。
年 | シリーズ・概要 | 出走 | 優勝 | ポール | 表彰台 | 順位 |
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2018 | ジネッタ・ジュニア・ウィンター選手権 | 3 | 0 | 0 | 0 | NC |
2019 | フランスF4選手権 | 20 | 1 | 0 | 2 | 7位 |
2020 | F4 UAE選手権 | 8 | 0 | 0 | 0 | 11位 |
フランスF4選手権 | 21 | 3 | 2 | 11 | 3位 | |
2021 | フォーミュラ・リージョナル欧州選手権 | 20 | 2 | 1 | 5 | 5位 |
F3アジア選手権 | 9 | 0 | 0 | 5 | 6位 | |
2022 | フォーミュラ・リージョナル・アジア選手権 | 15 | 2 | 1 | 5 | 3位 |
FIA-F3選手権(ハイテック) | 18 | 3 | 1 | 5 | 4位 | |
2023 | FIA-F2選手権(ハイテック) | 26 | 0 | 0 | 1 | 14位 |
アルファタウリF1テストドライバー | ||||||
レッドブルF1テストドライバー | ||||||
2024 | FIA-F2選手権(カンポス) | 28 | 4 | 1 | 8 | 2位 |
レッドブルF1リザーブドライバー | ||||||
RB F1リザーブドライバー | ||||||
2025 | F1(レーシング・ブルズ) | – | – | – | – | – |
カート時代(2012-2018年)
ハジャーは、アマチュアドライバーだった父の影響で2012年にカートを始めた。2年間フランス国内の選手権に参戦した後、2018年にはヨーロッパ選手権のジュニアカテゴリーにステップアップし、ジャック・クロフォードらを抑えて勝利を挙げた。
ジュニアフォーミュラ(2018-2024年)
2018年末、ジネッタ・ジュニア・ウインター選手権に参戦し、初めてフォーミュラカーを経験。翌2019年にはフランスF4にステップアップし、スパ・フランコルシャンでの初優勝を含む3度の表彰台を獲得し、ランキング7位となった。
2020年末にはUAE F4選手権にスポット参戦し、わずか2大会の出場ながら56ポイントを獲得。その後、フランスF4選手権の2年目に挑み、優勝3回、ポールポジション2回、表彰台11回を記録してランキング3位を獲得した。
2021年にはフォーミュラ・リージョナル・ヨーロッパ(FRECA)とF3アジア選手権に参戦。FRECAでは開幕戦モナコと最終戦モンツァで勝利を挙げ、ランキング5位と同時にルーキー王者のタイトルを獲得した。F3アジア選手権ではスポット参戦ながら、ヤス・マリーナで3度の表彰台を獲得し、シリーズ6位となった。こうした活躍が評価され、シーズン途中の6月にレッドブル・ジュニアチームに加入した。
2022年にはハイテックGPからFIA-F3選手権にステップアップ。開幕戦バーレーンのスプリントレースでは、オリバー・ベアマンを破って優勝し、シーズンを通じてタイトル争いを展開。最終的にランキング4位となり、レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーであるヘルムート・マルコに「2024年のF1昇格候補」と評価された。
F3での成功を受け、2023年にハイテックGPからFIA-F2選手権へ昇格。しかし、ペナルティやマシントラブルに苦しみ、唯一の表彰台はオーストリアのスプリントレース(3位)のみ。ランキング14位でシーズンを終えた。この年のメキシコGPとアブダビGPでは、スクーデリア・アルファタウリ(現レーシング・ブルズ)およびレッドブルからF1フリー走行に参加した。
2024年はカンポス・レーシングに移籍。シーズンを通してガブリエル・ボルトレートとタイトル争いを展開するなど飛躍の年となったが、最終戦ヤス・マリーナではスタートミスが響き、チャンピオンを逃してランキング2位に終わった。モナコではバーチャル・セーフティーカー(VSC)の影響で勝利を逃し、結果的には5勝目の可能性もあった。
同年のF1イギリスGPとアブダビGPでは、レッドブルRB20でフリー走行に参加。シーズン中盤にはダニエル・リカルドの離脱に伴い、レッドブルおよびRB(後のレーシング・ブルズ)のリザーブドライバーに就任した。