マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナ

ホンダへの絶対的な忠誠心…アイルトン・セナが4度目のF1タイトルを逃した理由

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かつてアイルトン・セナのマネージャーを務めていたジュリアン・ヤコビは、ホンダへの絶対的な忠誠心こそがブラジル人ドライバーの4度目のF1ワールドチャンピオン獲得を妨げたと考えている。

1984年にトールマンからF1デビューを果たしたアイルトン・セナは、ロータスを経て1988年にホンダと共にマクラーレンへと移り、勝率5割という途方も無いパフォーマンスで自身初のドライバータイトルを獲得。1990年と91年にもマクラーレン・ホンダと共に世界の頂点を掴み取った。

1990年のマクラーレンMP4/5Bをドライブするマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナ
© McLaren

だが、ディフェンディング・チャンピオンとして挑んだ1992年シーズンは、フェラーリからウィリアムズへと移籍したナイジェル・マンセルが開幕5連勝を決めるなど、アクティブサスペンションを搭載したFW14Bが他の追随を許さない速さを見せつけ、マンセルが念願の王座を手にした。

だがヤコビは、アイルトン・セナがホンダに忠誠心を抱いていなければ、マンセルのタイトルはなかったかもしれない、と考えている。

現在、セルジオ・ペレス(レーシングポイント)のマネージャーを務めているヤコビは、4月29日(水)に公開されたF1公式ポッドキャスト”Beyond The Grid”の中で、アイルトン・セナはウィリアムズから1992年の契約のオファーを受けていたものの、当時、本田技術研究所の社長を務めていた川本信彦との親密な関係が移籍を思い留まらせたと明かした。

「アイルトンはウィリアムズに移籍する事を望んでいたが、彼はホンダに忠実だった」

「あれは彼が3度目のチャンピオンを獲得した1991年の後半だった。アイルトンはホンダが(フィールドを席巻していた)以前とは何か違っていると本能的に感じ、将来に不安を覚えていると私に話してくれたのを覚えている」

「彼は(1994年よりも)早い時期にウィリアムズに行く事を願っていたが、彼はホンダ、特に社長を務めていたミスター川本と親密な仲で、彼に忠実だった。ホンダは1988年にアイルトンと一緒にマクラーレンに合流し、共に力を合わせて3つのチャンピオンシップを獲得したわけだからね」

F1マシンのコックピットに座るマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナ
© McLaren

「91年のスパ(ベルギーGP)の際、私はアイルトンのために2つの契約を携えて現地に向かった。1つはマクラーレン、もう1つはウィリアムズとの契約だった。アイルトン自身は自分がウィリアムズに行くべきだと考えていたから、私は日曜日の朝にはウィリアムズとの契約が決まるのだと思っていた」

「でもアイルトンは夜通しで日本の川本と話をして、日曜日の朝になって”もう1年残る”って言ったんだ。こうして彼は、マクラーレンに残留する事になった。92年はナイジェルがチャンピオンシップを獲得した年だった。アイルトンは92年に(ウィリアムズに)行く事もできたが、彼が手を引いた事でマンセルは残留した。(セナがウィリアムズを選んでいれば)ナイジェルは恐らく(92年に)ウィリアムズにはいなかっただろう」

アイルトン・セナは1993年までマクラーレンに留まった後、1994年にようやくウィリアムズに移籍するも、その年の第3戦サンマリノGPで非業の死を迎える事となった。アイルトン・セナは後に、1992年もマクラーレンに留まった判断は「間違いだった」と回顧している。