1987年から2022年までのF1日本の観客動員数の推移を表した棒グラフ
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F1日本GP:歴代観客動員数の推移、1987年~2022年までの歩みと背景

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F1世界選手権としての日本GPは1976年に富士スピードウェイで初開催され、以降、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響もあって中止を余儀なくされた年がありながらも、2023年で37回目の開催を迎える。

F1日本GPの観客数は2006年の36万1,000人を境に減少傾向に転じ、2017年には過去最低となる13万7000人を記録した。だが、ホンダがスクーデリア・トロロッソとのタッグを開始した2018年に回復の道を歩みだし、2022年には2012年以来となる20万人の大台に乗せた。

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1987年から2022年までのF1日本の観客動員数の推移を表した棒グラフ

F1日本GPの観客動員数の推移
合計 金曜 土曜 日曜 会場
1987 222,000 36,000 74,000 112,000 鈴鹿
1988 233,000 37,000 75,000 121,000 鈴鹿
1989 283,000 51,000 100,000 132,000 鈴鹿
1990 316,000 60,000 115,000 141,000 鈴鹿
1991 337,000 69,000 120,000 148,000 鈴鹿
1992 332,000 56,000 126,000 150,000 鈴鹿
1993 350,000 67,000 132,000 151,000 鈴鹿
1994 357,000 67,000 135,000 155,000 鈴鹿
1995 330,000 60,000 125,000 145,000 鈴鹿
1996 303,000 54,000 110,000 139,000 鈴鹿
1997 317,000 65,000 112,000 140,000 鈴鹿
1998 318,000 50,000 120,000 148,000 鈴鹿
1999 318,000 52,000 120,000 146,000 鈴鹿
2000 318,000 52,000 115,000 151,000 鈴鹿
2001 310,000 50,000 110,000 150,000 鈴鹿
2002 326,000 53,000 118,000 155,000 鈴鹿
2003 329,000 54,000 120,000 155,000 鈴鹿
2004 210,000 54,000 0 156,000 鈴鹿
2005 320,000 54,000 110,000 156,000 鈴鹿
2006 361,000 57,000 143,000 161,000 鈴鹿
2007 282,000 52,000 90,000 140,000 富士
2008 208,000 37,000 71,000 100,000 富士
2009 210,000 31,000 78,000 101,000 鈴鹿
2010 190,000 33,000 61,000 96,000 鈴鹿
2011 199,000 34,000 63,000 102,000 鈴鹿
2012 207,000 41,000 63,000 103,000 鈴鹿
2013 171,000 33,000 52,000 86,000 鈴鹿
2014 150,000 30,000 48,000 72,000 鈴鹿
2015 165,000 30,000 54,000 81,000 鈴鹿
2016 145,000 27,000 46,000 72,000 鈴鹿
2017 137,000 26,000 43,000 68,000 鈴鹿
2018 165,000 31,000 53,000 81,000 鈴鹿
2019 122,000 33,000 0 89,000 鈴鹿
2022 200,000 38,000 68,000 94,000 鈴鹿
2023 鈴鹿

歴代観客動員数の推移と歩み

1977年の第2回大会ではジル・ヴィルヌーヴのクラッシュにより観客を含む2名が死亡。鈴鹿初開催となった1987年のF1日本GPの復活までには8年に渡る空白を要した。

ホンダエンジンを搭載するウィリアムズとロータス、そしてアイルトン・セナのチームメイトとして日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟がデビューしたこの年の鈴鹿には延べ11万2,000人の観客が駆けつけた。

バブル景気で沸く日本に巻き起こったF1人気は右肩上がりで上昇。7年後の1994年には35万7,000人を動員した。この年はスポットを含めて片山右京、鈴木亜久里、野田英樹、井上隆智穂の4名がグリッドに並んだ。

阪神・淡路大震災により5千人を超える尊い人名が失われ、消費の自粛ムードが漂う中で行われた1995年大会は僅かながらも初めて観客動員が減少。その後は鈴木亜久里以来となる表彰台に上がった佐藤琢磨の活躍もあり31万人前後を保っていたが、台風22号の影響で2日目のセッションが中止された2004年は21万人へと一気に落ち込んだ。

ただそれでも決勝の動員数に着目すれば過去最高と、決して人気が低迷していたわけではなく、鈴木亜久里が立ち上げたスーパーアグリが初参戦した2006年には決勝(16万1,000人)および3日間の総動員(36万1,000人)の両方で最高記録を塗り替えた。

潮目が変わったのは富士が1977年以来となるカレンダー復帰を果たした2007年だった。

大雨と濃霧の中、決行されたレースは序盤の大部分がセーフティーカー先導で、ドライバー達からはレースコントロールに対して批判が続出した。

人員不足や不慣れもあり渋滞と混乱に見舞われ、陥没事故も相まって多くの観客が足止めされ、見積もりの甘さからトイレは不足し、一部観客から損害賠償を求める訴えが東京地方裁判所に申し立てられる事態にまで発展した。

影響は大きく、翌2008年の動員数は20万8,000人にまで低減。2009年に鈴鹿へと舞台が移るも、米国発の金融不安が世界中に拡大。いわゆるリーマン・ショックの影響で先行き不安が蔓延し、21万1,000人と観客動員数が回復することはなかった。

インターネットの普及により人々の興味関心が多様化する中、ホンダとトヨタ,、そしてブリジストンが相次いでF1から撤退し、フジテレビでの地上波放送は2011年を以て終了した。

小林可夢偉の活躍にも関わらず、2010年代は10万人を下回る冬の時代となり、2015年にF1パワーユニット・サプライヤーとしてホンダが復帰を果たすも最下位を争うような状況で人気回復の促進剤とはならず、2017年には過去最低の137,000人にまで落ち込んだ。

ただ、ホンダが強豪レッドブル・レーシングとのパワーユニット供給契約を発表すると、2018年に回復傾向を示し、16万5,000人まで増加した。

2019年は台風19号の接近に伴い、土曜の全てのイベントがキャンセルとなった事が大きく響き、前年と比べて4万3,000人減の延べ12万2,000人に留まったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で3年ぶりの開催となった2022年は2012年以来の20万人にまで回復した。

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