
謎に包まれた「F1ドライビング標準ガイドラインver.4.1」日本語全文訳―スチュワード判断の裏側
F1スチュワードがレース中のインシデント判断に際して参照する「F1ドライビング標準ガイドライン」が、初めて完全な形で一般公開された。以下に、2025年2月20日付のバージョン4.1の全内容を日本語訳として掲載する。
なお、翻訳にあたっては読者の理解を優先し、原文の内容に忠実でありながらも、必要に応じて補足や意訳を加えた構成としている。
本書はガイドラインであり、規則ではない。
多くのインシデントには主観的な判断が求められるため、スチュワードはFIAの規則および本ガイドラインに加え、ドライバースチュワードの経験をもとに判断を下すものとする。
以下のAおよびBの条件から、オーバーテイクを仕掛けたドライバーに優先権があると判断された場合、防御側のドライバーには接触やオーバーテイク車両を押し出す行為を回避する責任がある。
ポジションを守る際にコースを外れた守備側のドライバーに関しては、Fに記載された注記にも留意すること。
A:コーナー内側からのオーバーテイク
イン側からオーバーテイクを試みる際に、相手方からスペースを与えられる権利を得るためには、次の条件を満たす必要がある。
- エイペックスの手前およびエイペックス時点で、自車のフロントアクスルが、少なくとも相手車両のミラーと並ぶ位置に到達していること
- 特にコーナーの進入からエイペックスにかけて、クルマを完全にコントロールして走行していること。「飛び込み」をしてはならない。
- スチュワードの判断において、合理的なレーシングラインを取っており、コース内で追い抜きを完了できる状態であること
B:コーナー外側からのオーバーテイク
アウト側からのオーバーテイクは、常により難易度の高い動きと見なされる。アウト側から仕掛けた際に、相手方からスペースを与えられる権利を得るためには、次の条件を満たす必要がある。
- 自車のフロントアクスルが、エイペックス時点で相手車両のフロントアクスルより前にあること
- 進入からエイペックス、出口にかけてクルマをコントロールして走行していること
- コース内にとどまってそのコーナーを曲がりきれること
C:シケインおよびS字コーナーでのオーバーテイク
イン側・アウト側でのオーバーテイクに関する上記のガイドラインは、シケインやS字といった複数のコーナーが連続する区間でも、それぞれのコーナーごとに適用されることがある。ただし通常は、最初のコーナーでの状況に応じて、優先権が与えられる。
重要事項
すべてのスチュワードの判断は、F1競技規則(F1SR)、FIA国際競技規則(ISC)、および付則L第IV章(サーキット上でのドライビング行為規定)を中心に行われる。
レース中の状況は常に変化しており、一瞬ごとに様々な要素が絡み合って成り立つものである。ガイドラインでは各ポイントにおけるクルマの位置関係を示しているが、スチュワードは常にインシデント全体の流れや背景を踏まえて判断する。例えば以下のような要素が考慮される。
- 両車両はどのようにしてインシデントに至ったか(例:レイトブレーキング、飛び込み、ブレーキング中の進路変更)
- その動きは遅すぎたものではなかったか、あるいは「楽観的」すぎるものではなかったか
- ドライバーが合理的に視認・把握・予測できた範囲とは何か
- その動きはコース上で完了可能だったか
- アンダーステア/オーバーステア/ロックアップの有無
- どちらかのクルマの位置取りや操作が、インシデントの原因になった可能性はあるか
- コーナーの種類が影響したか(例:バンク角、縁石、カーブ、エイペックス)
- 摩耗状態やグリップの差など、相対的なタイヤ状況はどうだったか
D:トラックリミット
トラックリミットの順守は、レースの公正性と安全性の両面から極めて重要であり、F1SR第33.3条は厳格に適用される。
「ドライバーは常にコース内に留まるための合理的な努力を行わなければならず、正当な理由なくコース外に出てはならない」「車両のいかなる部分もコースとの接触がない場合、その車両はコース外に出たとみなされる。なお、白線はコースの一部とみなされるが、縁石はそうではない」
補足
フリー走行では、そのリザルトがグリッド決定に影響する状況においてのみ、当該ラップが抹消される。
スプリント予選または予選での違反はラップタイムが抹消される。また、その違反によってアドバンテージを得たと判断された場合、次のラップも抹消される。
スプリントおよび決勝では、レースが動的であることを踏まえ、無効ラップは抹消され、白黒旗またはF1SR第54.3条のペナルティが科される前に通常は「3ストライク(3回違反で警告)」方式が適用される。例外は以下のとおり。
- 明確なコントロール喪失によるコースの逸脱
- 接触回避のためのコースの逸脱(例:1周目のターン1)
- 他車によって押し出されたとスチュワードが判断した場合
- アドバンテージを得た、または危険な再合流によりペナルティが科された場合のコースの逸脱
- 他の違反(例:接触原因)の一環として発生したコースの逸脱
E:進路妨害
F1SR第37.5条に加え、ドライバーはF1SR第33.4条も遵守しなければならない。
「いかなる時も、クルマを不必要に低速で走行させたり、不規則な運転を行ったり、他のドライバーや他の人々に対して危険と見なされ得る方法で走行させてはならない」
F:持続的なアドバンテージの返還
F1SR第33.3条に従い、下記の手続きが厳密に適用される。
「クルマがコース外に出た場合、ドライバーは再度コースに復帰することができる。ただし、それは安全に行える状況であり、かつ持続的なアドバンテージを得ない形でなければならない。レースディレクターの完全な裁量により、コース外走行によって得たアドバンテージの全てを返還する機会がドライバーに与えられる場合がある」
補足
ポジションを守る際にシケインをカットするなどして同じ順位で復帰した場合、スチュワードは通常「持続的なアドバンテージを得た」と判断する。その場合、規則に従い、基本的にはそのポジションを返還すべきである。なお、「ポジションを守っていたかどうか」の判断は、スチュワードの裁量に委ねられる。
G:ストレートでの進路変更
付則L 第IV章 第2項には以下の規定がある。
「順位を守ることを目的とした進路変更は1回のみ許される。ラインを外れて順位を守った後、元のレーシングラインに戻る際には、コーナー進入時に車幅1台分のスペースをトラック端との間に残すこと」
「ただし、他車の走行を妨げるおそれのある行為、例えば意図的に相手をコース外へ押し出す行為やその他の異常な進路変更は固く禁止されている。これらに違反したと見なされるドライバーは、スチュワードに報告される」
補足
この文脈においては、相対的な速度差やコース上での位置関係を踏まえ、後方車両が十分な安全距離を保っていると判断される場合に限り、スリップストリームを断ち切ることを目的とした進路変更が例外的に認められる場合がある。
H:ブレーキング中の進路変更
順位を守る側のドライバーは、一度減速動作に入った後に進路を変更することは原則として認められない。ただし、その進路変更がレーシングラインに沿ったものである場合は例外とする。
I:コースへの復帰
ランオフエリアでレーシングスピードを維持する行為は認められず、再合流の際には、コース上の他車に対して速度の調整や走行ラインの変更を強いるような形での復帰は禁止される。
J:セーフティーカー
セーフティカーがピットに戻る前に事故が発生するリスクを避けるため、F1SR第55.14条が以下のように適用される。
「セーフティーカーのライトが消灯された後は、急激な加減速や他車を危険にさらすような動き、リスタートを妨げるような動きを控え、安定したペースで走行しなければならない」
補足
特にラップをリードしているドライバーの挙動は、リスタート時の安全性に大きな影響を与える。リード車両にはペースおよび加速ポイントの選択権があるが、その選択によって、国際競技規則付則L章第IV条2(e)で定義されるような潜在的に危険な状況を引き起こしてはならないという責任が免除されるわけではない。
付録1:本ガイドラインの背景
2022年、F1ドライバーから、特定の状況下でのスチュワードの判断基準に関する明確化を求める声が上がったことを受け、ドライビングスタンダードをガイドラインとして整備することが決定された。
これはインシデントの調査およびペナルティ適用におけるガイドラインとして機能するものであり、2022年シーズンを通じて有効に運用された。翌2023年には、ドライバーやチームとの協議を経て、若干の修正が加えられた。
2025年シーズン直前には、2024年末にカタールで行われたF1スチュワードとドライバーの会議を受け、大幅な改定が行われた。その一方で、FIAドライバーズ・コミッションは、既存のF1ドライビング標準ガイドラインを、全てのレースカテゴリーに適用可能な包括的な文書へと統合する作業に着手した。
この取り組みにおいて、FIAドライバーズ・コミッションにとって重要なのは、下位カテゴリーに所属する若手ドライバーたちが、将来的にトップカテゴリーへとステップアップした際にも適用されるのと同じ基準に基づいて競技に臨むようにすることである。
FIAドライバーズ・コミッションが全カテゴリーに共通してこのガイドラインを公開する目的は以下の通り。
- 安全なレースの促進
- 激しく競争的なレースの推進
- 公平なレース環境の確保
- 競技的公平性の確立
- 全カテゴリー間での一貫性の確保
- ドライビングおよび競技運営の標準化
考え方
- オーバーテイクは奨励されるべき行為であり、不公平または危険な形で順位を守ることは容認されない。
- ジュニアドライバーがF1と同じガイドラインに基づいてレースを行うことは極めて重要である。ただし、経験の浅さから事故のリスクが高いため、より厳格な基準で運用されるべきである。下位カテゴリーで規則の適用を厳格にすることは、若手ドライバーの育成において不可欠である。
- このガイドラインはイベント全体を通じて適用されるものであることを改めて強調する必要がある。ガイドラインに関してドライバーやチームが抱く疑問には、レースディレクターおよびスチュワードが随時対応する。
- スチュワードおよびドライバーアドバイザーは、可能な限りドライバーズ・ブリーフィングに出席するものとする。
- ガイドラインの適用はイベント全体を通じて徹底されるべきであり、特に黄旗遵守およびトラックリミットの尊重に注力すべきである。
- トラックリミットに関しては、スチュワードが違反が明白であると確信できる場合にのみ処理が行われる。不明瞭な場合は、ドライバーに有利な判断が下される。
- なお、各カテゴリーまたはシリーズにおいてはドライバースチュワードまたはドライバーアドバイザーを任命すべきである。なお、これはF1において既に実施されている。