“30年の眠り”から覚めたF40。ハミルトン、全車売却後も抱き続けた「夢のクルマ」を遂に入手

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ルイス・ハミルトン(フェラーリ)が、長年「夢のクルマ」と公言してきたフェラーリF40を遂に手に入れたことを明らかにした。30年以上ガレージに眠っていた個体を見つけ、マラネッロのフェラーリの工場で数週間をかけて復活させたという。

ハミルトンは2025年、所有していた自動車コレクションを全て手放したと明かし、その際に「もし次にクルマを買うならF40だろうね」と語っていた。フェラーリ加入時から繰り返し示してきたF40への思いが遂に結実した。

30年の眠りから覚めた「夢の1台」

ハミルトンは2026年F1第13戦イタリアGPを週末に控えた8月31日(月)、自身のInstagramで「僕自身のF40だ」として複数の写真を公開した。写真には、エンジンを車体から降ろした状態とみられる写真を含め、レストアの過程が収められている。

「このクルマは、物心がついた頃からずっと夢に見てきた一台なんだ。子供の頃から、いつか自分のものにしたいと夢見ていた」

「昨年フェラーリに加入した時も、マラネッロで迎えた初日にF40を用意してもらった。それくらい、僕にとって特別な意味を持つクルマなんだ」

レストア中のフェラーリF40のV8ツインターボエンジンと並ぶルイス・ハミルトン(フェラーリ)、2026年8月31日(月)copyright lewishamilton@Instagram

レストア中のフェラーリF40のV8ツインターボエンジンと並ぶルイス・ハミルトン(フェラーリ)、2026年8月31日(月)

今回入手したF40は、30年以上にわたってガレージに置かれたまま、ほこりをかぶっていた個体だったという。その「希少」で「芸術作品そのもの」であるF40を見つけた時、「家に連れて帰らなきゃって感じたんだ」と振り返る。

その“帰宅”に先立って向かったのがマラネッロだった。ハミルトンによれば、フェラーリのエンジニアとメカニックが工場で「数週間」にわたって作業し、長い間眠り続けていたF40を復活させた。

「このプロジェクトに携わってくれたすべての人に心から感謝している。本当に夢が叶ったよ。これからもっとみんなに紹介できるのが待ちきれない。楽しみにしていてほしい……」

マラネッロのフェラーリ工場でF40のレストアを担当したスタッフと記念撮影するルイス・ハミルトン(フェラーリ)、2026年8月31日(月)copyright lewishamilton@Instagram

マラネッロのフェラーリ工場でF40のレストアを担当したスタッフと記念撮影するルイス・ハミルトン(フェラーリ)、2026年8月31日(月)

全車売却後も冷めなかったF40への情熱

ハミルトンは約1年前、自身の関心はアートへ移ったとして、所有していた自動車コレクションをすべて売却したと明かしていた。

ハミルトンがかつて所有していた自動車には、パガーニ・ゾンダ760 LH、メルセデスAMG One、フェラーリ・ラフェラーリ、マクラーレンP1、1966年式シェルビー・コブラ427などがあり、そのコレクションは総額約1,500万ユーロ(約28億円)と推定されていた。

この膨大なコレクションを手放した後でさえ、7度のF1王者が特別な思いを抱いてきたのがF40だった。

2025年1月にフェラーリでの初出勤日を迎えた際、ハミルトンは故エンツォ・フェラーリの自宅前で赤いF40と共に写真に収まった。さらに今年3月の第3戦日本GP前には、自動車愛好家が夜ごと集まる横浜の大黒パーキングエリアに赤いF40で現れた。

またハミルトンは昨年、自身がデザインに携わる形でフェラーリのロードカー「F44」を将来的に実現したいとの構想も明かしていた。その際に掲げたのは、「F40をベースラインに、本物のスティックシフトを備える」というアイデアだった。

F40は1987年に発表され、1992年に生産を終えるまでにマラネッロの工場から1311台が送り出された。エンツォ・フェラーリが生前に見届けた最後のロードカーであり、スタイリングはピニンファリーナが手掛けた。

排気量2936ccのV8にIHI製のツインターボを組み合わせ、最高出力は478hpを誇る。ボディパネルのほぼ全体にケブラーやカーボンの複合素材を採用した初の量産車でもあり、スーパーカーブームのさなか、1989年には100万ポンド前後で取引された。

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