
パット・シモンズ
人物データ
名前 | パット・シモンズ / Pat Symonds |
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国籍 | イギリス |
出身地 | ベッドフォード |
居住地 | イギリス |
生年月日 | 1953年06月11日 / 72歳 |
パット・シモンズ(英:Patrick Bruce Reith Symonds)は、イギリス出身のF1エンジニアであり、2026年より新規参戦するキャデラックF1チームのエグゼクティブ・エンジニアリング・コンサルタントを務める。
英国ベッドフォードに生まれ、ノーフォーク州ホルトのグレシャムズ・スクールに学んだ後、オックスフォード・ポリテクニック(現オックスフォード・ブルックス大学)とクランフィールド大学で航空力学を専攻し、修士号を取得した。
悪名高いクラッシュゲートに関与したとして、ルノー時代に追放処分を受けたが、後にF1に復帰。2013年から2016年まではウィリアムズF1の最高技術責任者(CTO)を、その後は2024年5月までF1のCTOを歴任した。
主な経歴
1981年にトールマンでF1キャリアをスタートさせた。チームはその後、ベネトン、ルノーへと改称されたが、1991年の一時期を除き、シモンズはチームに留まり続けた。
1990年代半ばにはミハエル・シューマッハのレースエンジニアを務め、ロス・ブラウンのフェラーリ移籍後は、後任としてベネトンのテクニカルディレクターに就任。2001年にマイク・ガスコインが加入するとエグゼクティブ・ディレクター・オブ・エンジニアリングに昇進し、2002年のルノー改称後も職責を担い続け、2005年と2006年にはフェルナンド・アロンソとともにダブルタイトルを獲得した。
クラッシュゲート
2008年シンガポールGPで発生した「クラッシュゲート」において、マネージングディレクターのフラビオ・ブリアトーレとともに関与を問われ、2009年9月16日にルノーF1チームを追放された。ネルソン・ピケJr.は、チームメイトのアロンソを勝たせる目的で故意にクラッシュを命じられたと証言した。
その後シモンズは、9月21日に行われたFIA世界モータースポーツ評議会(WMSC)において「永遠の後悔と恥である」と自らの責任を認め、5年間のF1出場停止処分を受けた。
しかしながら、2010年1月5日にフランスの大審裁判所により処分は覆され、シモンズには5,000ユーロの補償金が支払われた。同年4月にはブリアトーレとともにFIAと和解し、2013年からF1復帰が可能となった。それまでの間はF1チームのコンサルタント活動が認められた。
F1復帰後
2011年にヴァージン・レーシング(後のマノーF1)のコンサルタントとしてF1に復帰。2013年7月にはウィリアムズF1のCTOに就任し、2016年12月まで在籍した。2017年3月から2024年5月までF1のCTOを務め、次世代技術規則の策定に深く関与した。
2024年5月、エグゼクティブ・エンジニアリング・コンサルタントとしてアンドレッティ・グローバルのF1参戦プロジェクトに加わることが発表された。