ニコ・ロズベルグ
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ニコ・ロズベルグ

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人物データ

名前 ニコ・ロズベルグ / Nico Erik Rosberg
国籍 ドイツ
出身地 ヴィースバーデン
ニックネーム ブリトニー
生年月日 1985年06月27日 / 38歳
身長 178cm
体重 67kg
F1デビュー 2006年
選手権優勝 1回
WEBサイト www.nico-rosberg.de
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ニコ・ロズベルグは、ドイツ出身のレーシングドライバー。父はF1ワールドチャンピオンのケケ・ロズベルグ。ケケはフィンランド人だが、レースにおいては母親の母国であり出身地であるドイツ国籍で参戦。ドイツ語・英語・イタリア語・フランス語・スペイン語を流暢に話すと言われるが、父親の母国語であるフィンランド語は殆ど話せない。2016年シーズン、チームメイトのルイス・ハミルトンを破って初のワールドチャンピオンに輝いた。

ハミルトンとは、マクラーレンのカートチームでコンビを組んでいた頃からの仲。度々レオナルド・ディカプリオとの兄弟説がささやかれるも血縁関係はない。ウィリアムズ時代のチームメイト中嶋一貴曰く「気持ち悪いくらい印象がそっくりですね!」

妻は幼少期からの間柄であるヴィヴィアン・シボルト(2014年に入籍)、2015年8月30日に長女アライア、2017年には第二子”ネイラ”を授かる。妻ヴィヴィアンはニューヨークとミラノでインテリアデザインを学び、小林可夢偉が在籍したケータハムの前身であるロータス・レーシングのモーターホームの内装デザインを担当している。

引退後はメルセデスAMG及びヒューゴボスのアンバサダーとして活動。2017年9月には、ウィリアムズからのF1復帰を目指すロバート・クビサのマネジメントチームの一員に就任した。ロズベルグ、ハミルトン、クビサはカート時代からよく知る間柄として知られている。

初のWC獲得後の衝撃引退発表

2016年、F1参戦11年目にして初のワールドチャンピオンを獲得。父ケケとともにF1史上2組目の親子チャンピオンとなったが、その5日後に電撃の引退発表。F1を退くことになった。

レースへの未練はなくドライバーとしての復帰はないと断言しているが、フォーミュラEへの強い関心を口にしており、2018/19年シーズンから同シリーズにワークス参戦するメルセデスのチーム代表を務める可能性も浮上している。参考:開幕香港ePrixを訪問「フォーミュラEに強い関心がある」

F1以前のキャリア

96年10歳の時にカートを始め、2006年にウィリアムズコスワースからF1デビューを果たす。カートからのデビュー後、2002年16歳の時ドイツのフォーミュラ・BMWに参戦。20戦中9勝をあげ、その年のタイトルを獲得。この年ウィリアムズで初のF1テストを行った。17歳でのF1ドライブは、当時の史上最年少記録。

翌年2003年は、父ケケのチームからユーロF3に参戦。2005年はGP2(前年までの国際F3000)にARTグランプリチームから参戦し、最終戦のバーレーンを制し、ヘイキ・コバライネンを逆転して同シリーズの初代チャンピオンに輝いた。

ウィリアムズ時代

2006年-不遇のデビューイヤー

ウィリアムズコスワースからF1デビュー。開幕戦のバーレーンGPで史上最年少でファステストラップを獲得し7位入賞。続く第2戦マレーシアGPでは予選3位を獲得、第5戦ヨーロッパGPでも7位入賞など、序盤は活躍を見せるものの、度重なるアクシデントで、全18戦中9戦でリタイアを喫し、結果的に序盤で獲得した4ポイントから前進できないままシーズンを終えた。

2007年~2009年

2007年からウィリアムズマシンはトヨタエンジンを搭載したことで信頼性が向上。リタイヤが減ったことで年間を通じて着実にポイントを重ね、最終戦ブラジルGPでは自己最高位の4位入賞。

チームメイトに中嶋一貴が加わった2008年。第15戦シンガポールGPで自己最高位となる2位表彰台を獲得。チャンピオンシップでは17ポイントを獲得し、9ポイント15位のチームメイトを抑え13位。

2009年、開幕戦オーストラリアGPでフリー走行の全てのセッションでトップタイムを記録するも、予選5位、決勝6位に終わる。第5戦スペインGPから第12戦ベルギーGPまで、8戦連続で入賞。第13戦イタリアGPで連続完走記録を25戦に伸ばし、翌年チームメイトになるミハエル・シューマッハの24戦を抜いて歴代2位となる。チャンピオンシップでは0ポイント20位に終わった中嶋一貴に対し、34.5ポイント獲得の7位でシーズンを終えた。

メルセデスAMG時代

2010年-皇帝シューマッハとの対決

ニコ・ロズベルグとミハエル・シューマッハ

2009年のダブルチャンピオン・チーム「ブラウンGP」を買収したメルセデスと契約。4年ぶりにF1への電撃復帰を発表したミハエル・シューマッハをチームメイトに迎え大きな注目を集めた。優勝候補と目されるマシンであったが、前年中に全く開発ができなかったこともありコンストラクターズ選手権は4位に終わる。

「復帰は間違いだった」とメディアからの厳しい論評が飛び出すこととなったシューマッハを予選・決勝ともに完全に抑え、ドライバーズチャンピオンシップは7位に終わる。

2011~2013年

冴え渡らないメルセデスマシン。最高位が中国GPとトルコGPの5位となった2011年、チャンピオンシップにおいてシューマッハに二年連続上回るも7位。

2012年、第3戦中国GPにてF1参戦初のポール・トゥ・ウィンでF1初優勝を飾る。デビューから7年目の111戦目のことだった。モナコGPでは2位入賞を果たしチャンピオンシップでは3年連続でチームメイトのシューマッハを上回ったものの、ドライバーズランキングでは前年を下回る9位。

シューマッハが二度目の引退を発表したことで、カート時代からの友人ルイス・ハミルトンをチームメイトに迎えた2013年、第6戦モナコGPでポール・トゥ・ウィンを飾り、通算2勝目を飾る。父ケケ・ロズベルグも1983年のモナコGPで優勝しており、史上初のモナコGP親子優勝となった。チャンピオンシップは6位となりハミルトンに敗れた。

2014年-メルセデスエンジン無双時代

ニコ・ロズベルグとルイス・ハミルトン・トト・ウォルフ・ロス・ブラウン

初戦オーストラリアGPにて優勝し、最高のシーズンスタートを切った。続く第2戦マレーシアGPも2位表彰台。