マクラーレン

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チームデータ

チーム名 マクラーレン
国籍 イギリス
本拠地 ウォーキング
参戦初年度 1966年
WEBサイト www.mclaren.com
SNS x instagram

マクラーレン(英:McLaren)は、ニュージーランド出身のレーシングドライバー、ブルース・マクラーレンにより1963年に設立されたレーシングコンストラクターで、1966年からF1に参戦し続ける名門チームだ。

世界三大レースと称されるル・マン24時間レース、モナコGP、インディ500のすべてを制覇した、いわゆる「トリプルクラウン」を達成した唯一のコンストラクターでもある。F1チームの運営母体はMcLaren Racing Limited。

2016年にエグゼクティブ・ディレクター(執行役員)としてチームに加わったザク・ブラウンが2018年4月より最高経営責任者(CEO)を務めている。チーム代表はアンドレア・ステラ。2022年末、アンドレアス・ザイドルの後任として昇格した。

ブルース・マクラーレンCourtesy Of McLaren

ブルース・マクラーレン

企業体制

かつてマクラーレンは、レース部門、市販車部門、テクノロジー/応用技術部門を束ねる「マクラーレン・テクノロジー・グループ」という持株体制を採っていた。だが2018年4月、企業構造の簡素化を目的とした大規模な再編を実施し、以下の3事業体に分割された。

  • マクラーレン・レーシング(レース部門)
  • マクラーレン・オートモーティブ(市販車部門)
  • マクラーレン・アプライド・テクノロジーズ(応用技術部門)

当時の大株主であったマンスール・オジェと、バーレーン王国の政府系ファンドであるムムタラカトの統治体制のもと、上級委員会がグループ全体を監督していた。その後、オジェの死去(2019年)を経て、現在はムムタラカトが新たな持株会社「マクラーレン・グループ・ホールディングス」を通じてグループを支配している。

なお、アプライド・テクノロジーズ部門は2021年に売却され、現在は市販車とレースの2つを中核とする事業体制へと移行している。

第2期マクラーレン・ホンダ

2015年、マクラーレンはホンダ製パワーユニットを搭載し、1980年代に黄金期を築いた「マクラーレン・ホンダ」を復活させた。だが競争力不足により両者の関係は短期間で悪化し、2017年シーズン限りでパートナーシップは解消された。

レーシング・ディレクターのエリック・ブーリエは職に留まり、引き続きチーム運営の実務責任者を務めていたが、フレッド・ゲートや長年にわたる成績不振の責任を取らされる形で2018年7月4日、チーム離脱が発表された。

ブーリエ更迭直前の2018年フランスGPでは、フェルナンド・アロンソが16番手、ストフェル・バンドーンが18番手と2台揃ってQ1敗退を喫し、改善の兆しが見えないチームに対してファンから厳しい批判が相次いだ。

マクラーレンCEOのザク・ブラウンとチーム代表のエリック・ブーリエCourtesy Of Mclaren

マクラーレンCEOのザク・ブラウンとチーム代表のエリック・ブーリエ

2018年以降はルノー製パワーユニットを搭載し、エントリー名も「マクラーレンF1チーム」に改称。さらに2021年からはメルセデス製パワーユニットを採用し、2026年現在までこの体制を継続している。2024年と2025年にはコンストラクターズ選手権を連覇し、2025年にはランド・ノリスがF1ワールドチャンピオンに輝いた。

ロン・デニスの功績と別れ

ロン・デニス、2015年2月10日マクラーレン・ホンダ発足プレスカンファレンスにてcopyright Honda

ロン・デニス、2015年2月10日マクラーレン・ホンダ発足プレスカンファレンスにて

マクラーレンを語る上で欠かせないのがロン・デニスだ。彼はマクラーレンというガレージチームをF1界の巨人へと育て上げた最大の功労者として知られる。だが、時代とともに変化する企業統治や資本構成の中で、彼の強烈なリーダーシップは最終的に受け入れられなくなり、劇的な形で関係は終焉を迎えた。

1980年、デニス率いるF2チーム「プロジェクト4」が、低迷していたマクラーレンF1チームと合併。チーム代表に就任したデニスは、厳格な規律と完璧主義、技術革新を柱に再建を進めた。ニキ・ラウダ、アラン・プロスト、アイルトン・セナといった名だたるドライバーを擁し、F1を席巻する時代を築いた。また、カーボンファイバー製シャシーの導入など、技術面でもF1の進化を主導した。

事業の拡大(1990年代後半〜2000年代)

F1での成功を背景に、デニスはマクラーレンを単なるレーシングチームではなく、ハイテク・エンジニアリング企業へと発展させようとした。市販車事業では、伝説的なスーパーカー「マクラーレンF1」を世に送り出し、メルセデスとの協業による「SLRマクラーレン」も実現させた。

さらに「マクラーレン・テクノロジー・グループ」を結成し、F1由来の技術を他産業へ応用する取り組みを推し進めた。

確執と離別(2010年代〜2016年)

チームの成長とともに、デニスの独裁的な経営手法や、ホンダとのF1パワーユニット契約に端を発する成績低迷が問題視されるようになる。筆頭株主であったバーレーンの政府系ファンド、ムムタラカトや、他の株主との経営方針を巡る対立が深まり、2016年11月、デニスはグループ会長兼CEOの座を追われた。それは、人生の大半を捧げた組織からの事実上の追放だった。