佐藤琢磨、F1からインディカー転向で自己資金「身銭を切ってでも自分で扉を開く必要がある時だと思った」
スーパーアグリの撤退に伴いF1シートを失った佐藤琢磨は、北米最高峰のフォーミュラレース、インディカー・シリーズに転向する際に「最終的には取り戻せる」との自信を持って身銭を切っていた。
佐藤琢磨は2002年に7人目の日本人F1フルタイムドライバーとしてFIA-F1世界選手権に参戦すると、ジョーダン、BARを経て、2006年に元F1ドライバーの鈴木亜久里が立ち上げたスーパーアグリへと移籍した。
だが資金難から2008年の第4戦スペインGPを以てチームが撤退。一時はトロ・ロッソへの移籍の可能性も浮上したが、ファエンツァのチームはセバスチャン・ブエミとセバスチャン・ボーデを起用。佐藤琢磨は行き場を失った。
1年の浪人を経て佐藤琢磨が選んだのはインディカー・シリーズだった。
KVレーシングで新天地での活動を開始すると、以降の13年間で優勝6回、ポールポジション10回、表彰台14回を獲得。2017年と2020年には世界三大レースの一つと称されるインディ500でチャンピオンを勝ち取る成功を収めた。
キャリア通算215戦という経歴は現役ドライバーの中で6番目に多く、歴代22位の記録に相当する。
今やインディカーを代表するドライバーへと転身した佐藤琢磨だが、その成功の裏には身銭を切ってまで新たな環境でチャレンジするという強い情熱と信念があった。
F1の本拠、ヨーロッパでは当然、名の知れた存在だったが、アメリカでの活動の経験はなく、当時のインディカーのパドックには佐藤琢磨というレーシングドライバーがどういう人物で、どのような仕事ぶりをするのかを知る者はいないに等しい状況だった。
チップ・ガナッシへの2023年移籍発表を経て、ジャーナリストのマーシャル・プルートからインディカーへの転向の際にポケットマネーを使ったとの噂の真相について尋ねられた佐藤琢磨は「その通りです」と答えた。
「もちろん、ドライバーであれば誰もが常にプロフェッショナルでありたい、起用されたい、自分のパフォーマンスで認められたい、と思うものですが、そう簡単にはいかないこともあります」
「今こそ、自腹を切ってでも自分で扉を開く必要がある時だって思ったんです。その分は最終的には取り戻せると自信を持っていましたしね。時間はかかりましたけど(笑)」
「時には新しい挑戦に向けての意思と共にリスクを取る必要があります。僕はそういう風に生きてきましたし、それについて後悔したりはしません」
「簡単なことではありませんが、それによって物事は変わる可能性があるんです」
契約上、全てが懐に入るわけではないが、佐藤琢磨は日本人として初めて優勝を飾った2017年のインディ500で約2億7280万円(当時のレート)を、そして2度目の制覇を成し遂げた2020年には約1億4500万円の賞金を手にしている。