フェラーリF1から移籍提案があったと明かすダニール・クビアト、ライコネンの後任として
ダニール・クビアトはかつて、キミ・ライコネンの後任としてスクーデリア・フェラーリに移籍し、セバスチャン・ベッテルとタッグを組むチャンスがあった事を明らかにした。
クビアトは2014年にトロロッソからF1デビューを果たし印象的なシーズンを経て、僅か1年で4度のF1ワールドチャンピオン、ベッテルの後任としてのレッドブル昇格を掴み取った。
レッドブルでの1年目には、その前年にベッテルを完全撃破したダニエル・リカルドを上回るドライバーズ・ランキング7位を獲得。パドックでの評価を更に上乗せした。
ただ、レッドブルでの2年目のシーズンは悪い意味でキャリアの大きな分岐点となった。第3戦中国GPでフェラーリ駆るベッテルに衝突すると、続く母国ロシアGPでもベッテルと接触しリタイヤに追い込んだ。
失態を受けレッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコはクビアトをジュニアチームへ降格させた。第5戦以降はマックス・フェルスタッペンがレッドブルを駆った。
ポッドキャスト「Track Limits」に出演したクビアトは当時を振り返り、自身のパフォーマンスは「かなり良かった」とした上で「キミ(ライコネン)の後任としてフェラーリに移籍する話もあったんだ」と語った。
「フェラーリから指名され、契約書も目にしていただけに出戻りなんて、あれは精神的にかなりきつかった。その後は、急に上手くいかなくなってしまった」
契約締結に至らなかった理由や、フェラーリからオファーがあった時期については現時点で明らかにされておらず不明だ。
降格を経てクビアトは古巣トロロッソで4ポイントしか獲得できず、2017年のシートこそ繋ぎ止めたものの、シーズン終了を待たずにレッドブルファミリーから解雇された。
シートを失った翌年はフェラーリと契約を結んだものの、それはレギュラードライバーではなく開発ドライバーとしてであった。
一方のフェラーリはシャルル・ルクレールがベッテルに代わってスクーデリア入りするまでライコネンを起用し続けた。アイスマンはこの間に19回の表彰台をマラネロにもたらした。