死を受け入れた28秒間の舞台裏:僕の歩く姿を撮ってくれ…痛みに震えながらも担架を拒否したグロージャン
ロマン・グロージャンが強烈な痛みに震えながらも担架に乗らず、自分の足で歩いて救急車へと向かったのは、一刻も早くみんなを安心させたいという想い故だった。
F1第15戦バーレーンGPのレース1周目、グロージャンは53Gもの衝撃を受け、モノコックと共に鉄製ガードレールに打ち込まれた。その後、彼は28秒間に渡って巨大な炎に巻かれたが、自分の子を父無し子にするわけにはいかないという強い気持ちと愛情と、奇跡的にコックピットから脱出できた幸運が、彼を家族と再会させた。
炎に気付いていなかった
世界中のモータースポーツファンを震撼とさせたあの28秒間についてグロージャンは「クルマが止まった後、僕はまず両目を開けて、その後シートベルトを外したんだ」と振り返った。最初は自身が焼かれている事に気づいていなかったという。
「立ち上がろうとしたら頭に何かつっかえていたのでシートに座りなおした。バリアに対して逆さまの状態だったし、救助を待つ事にしたんだ。その時の僕は特に危機的なものは感じてはいなかった。火災が起きている事に気づいてなかったんだよ」
「でもその後、横を見たら炎が見えた。これはまずい。ここで待っている場合じゃないって思った」
© Formula 1
覚悟した死、子を想う父
マシンや設備、レーシングスーツやヘルメットなど、安全性の著しい向上によって、近年のモータースポーツはドライバーが飲み込まれてしまうような大規模火災とは無縁のスポーツだった。自身が炎に巻かれているという事実に気づいた時、グロージャンの脳裏に浮かんだのは3度のF1ワールドチャンピオン、ニキ・ラウダの事だった。
1976年のニュルブルクリンク。突如コントロールを失い激しいクラッシュを喫したラウダは、岩に当たってコース側に跳ね返されたところで後続車と衝突し、ヘルメットが脱げた状態で激しい炎に巻かれた。幸いにも一命は取り留めたが、顔の右半分に火傷の跡を残す事となった。
メルセデスAMGの非常勤会長を務めていた頃のニキ・ラウダ、2013年 / © Mercedes
「左右に体を振ってみたけど上手く抜け出ることができず、もう一度座り直した。ニキ・ラウダの事を、彼の事故のことが脳裏によぎった」とグロージャン。
「こんな形で終わるはずない。これが僕の最後のレースになるはずがない。そう思ってもう一度試してみたんだけど、抜け出る事はできなかった」
「そうしたら体がリラックスしてきて安らぐような感じがした。嗚呼、僕はこのまま死ぬんだなって思った。あまり気持ちの良いものじゃなかったね」
「靴が燃え始めているんだろうか?それとも足?それとも手?この痛みは更に増していくんだろうか? そんな事が頭をよぎった。それは実際にはほんの数ミリ秒だったと思うけど、僕にとっては2秒、3秒、4秒のように思えた」
「それから僕は子供達の事を想った。そして自分に言い聞かせたんだ。『あの子達を父親のいない子にさせるわけにはいかない』ってね」
「何故かは分からないけど、ヘルメットを左にして肩を捻ってみたら足がクルマに挟まっている事に気づいた」
「そこで一旦座り直して、今度は左足を思いっきり引き上げてみた。そうしたらシューズから足が抜けてね。その後もう一度同じようにやってみたら今度は肩が抜けた。僕はクルマから降りるためにコックピットから両手を出し、炎の中に突っ込んだ」
「グローブは赤色だったんだけど、みるみるうちに溶け出して真っ黒になっていくのが分かった。特に左手のグローブの変色が凄かった」
「火に晒されたことで手に痛みを感じたけど、それと同時にクルマから出る事ができたという安堵感に包まれた」
歩く姿を撮ってくれ
タヘル・アリ・タヘルとジョビー・マシューによる迅速な消火活動に続き、メディカルカーをドライブしていたアラン・ファン・デル・メルヴェとイアン・ロバーツ医師がグロージャンを助け出そうと、危険を顧みず炎に立ち向かった。
「バリアの上に這い出ると、イアンにオーバーオールを引っ張られている事に気づいた」グロージャンは続ける。
「その時、僕はもう一人じゃないんだって事に、側に誰かが付いてくれているんだって事に気づいた。地面に下りた僕の肩を彼らが支えてくれた。まるで自分が走る火の玉のように感じたよ」
「僕は手を震わせ、火傷を負っている事に気づいた。皮膚が泡のように溶けてグローブと付着しないようにしなきゃと思って急いでグローブを外した」
「手が焼けて足が折れていると伝えたら、彼らは僕の手に冷たい湿布を貼ってくれた。その後痛みがどんどん悪化してきて、特に左足が酷かった」
アラン・ファン・デル・メルヴェ、ロマン・グロージャン、イアン・ロバーツ医師 / © Haas
死の淵から生還したばかりのグロージャンは痛みに震えながらも冷静で、何よりもまず先に自分ではなく他人の事を考えた。彼は担架に乗ることを拒否した。
「メディカルカーの場所までたどり着いたら、イアンが『救急車が向かっているから担架に乗せるぞ』って言うもんだから『いや、それは駄目だ。自分の足で歩きたい。そうすれば皆にひと目で僕の無事を伝えられる。その様子をヘリコプターから撮影してほしい』って伝えた」
「確かに満身創痍ではあったけど、それでも何とか歩くことは出来た。その後、痛みは激しくなるばかりだったけど」
グロージャンが自らの足で立って歩く映像は、事故から数分後に国際映像で世界中に放映され、ファンや家族、関係者を緊張から解放した。
肩を借りて救急車に向かうハースのロマン・グロージャン / © Haas
妻は笑い、そして泣いた
メディカルセンターへと運び込まれたグロージャンは、同郷の友人であるジャン・トッドFIA会長に迎えられた。トッドはグロージャンに妻マリオンの電話番号を尋ねた。マリオンの番号はグロージャンが暗記している唯一の電話番号だった。
「僕は彼に番号を伝えた。電話を掛けたけど妻は出ず、ジャンは何度も何度も掛け直した。『マリオンか? ジャン・トッドだ。いま私はロマンと一緒にいる!』という声が部屋に響き渡るまで、彼は何度も掛け直した」
「彼がスピーカーフォンにしてくれた。『俺だ、ここにいるよ』って声を掛けた。電話の反対側でマリオンの笑い声が聞こえ、同時に泣いているのが分かった。父と子供たちの声を聞いた。こうして彼らに、僕に意識があって生きている事を伝える事ができた」