渋谷を歩くピエール・ガスリーcopyright Getty Images / Red Bull Content Pool

ピエール・ガスリー、日本の地でヨーロッパでは得難い経験…SF参戦で培ったサバイバルスキル

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「僕はこの三年間で、日本のチームからイタリアのチームへと移籍し、今年はイギリスのチームの一員になった。そのどれもが全く違うんだ」

ピエール・ガスリーは2013年にフォーミュラ・ルノー・ユーロカップ2.0でタイトルを勝ち取り、そこで得た50万ユーロ(約6000万円)の賞金を片手に門戸を叩いたフォーミュラ・ルノー3.5でチャンピオンシップ2位を獲得。レッドブル育成プログラムと契約を交わし、GP2での3年目に見事チャンピオンに輝いた。

王座獲得によって、本人を含めた誰もがガスリーのF1昇格を信じて疑わなかったが、当時のレッドブルはトロロッソにもシートの空きがなく、ガスリーは訪れた事もない東洋の島国へと送り込まれ、チーム無限から全日本スーパーフォーミュラに参戦する事となった。

「待つのは大変だったよ」とガスリー。母国フランスGPのオフィシャル・プログラムのインタビューの中で、日本で過ごしたF1浪人生活を振り返った。「でも、スーパーフォーミュラへの参戦は後退ではなく、もう一つの挑戦として捉えることにしたんだ。振り返ってみると、ホンダとの物語には本当に驚かされる」

「これからどうなるか全く分からないままに日本に行ったんだ。ホンダとの最初の顔合わせを終えて、僕らは関係を築き始めた。信頼を得るには少し時間がかかったけど、上手くいった」

2017年シーズンのスーパーフォーミュラは4月23日の鈴鹿で開幕し、同じ鈴鹿で行われる10月22日の第7戦でシーズンフィナーレを迎えた。言葉・文化・思考方法、自らが生まれ育った環境とは事なる別世界での生活。ガスリーはドライバーとして成功を収めるために、ドライビング以外のスキルに磨きをかけた。

「チームとの仕事や運営方法を学ぶために、僕は頻繁に日本に飛んだ。10日間から2週間位の旅行を頻繁に繰り返していた。日本の暮らしがどういうものなのかを知るために東京にも滞在した。すごく気に入ったよ。おかげで、チームの仕事のやり方や、彼らがドライバーとの関係で何を望んでいるのかを理解する事ができた」

望んでいたF1での契約が得られず失望のさなかに日本へ飛んだガスリーであったが、完全アウェーの地で生き抜くための方法を試行錯誤しながら自ら見出し、ヨーロッパでは得難い経験を得て一回りも二回りも大きく成長を遂げた。

「僕のチームには英語を話せる人が一人しかいなかったから、言いたいことはすべて彼を通して話さなきゃならなかった。もし彼が僕の言っていることを理解していなかったら、間違った情報が伝わっちゃうわけだけど、そういった事が何度か起こったんだ。そこで、言いたいことはすべて文字にして書き留めておく事にしたんだ。この方が確実だからね。」

「僕は日本で、技術的な部分にも関わっていたんだ。そのおかげで、チームに対して自分が何を必要としているのか伝える事ができるようになった。ヨーロッパでは、ドライビングやフィードバックを与えることがドライバーの主な仕事であって、技術的な部分に関わる事はあまり多くないんだ。技術的に多くの事を学べて、本当に素晴らしい経験だった」

一年間の武者修行を経てガスリーは、ホンダとの新しい旅路をスタートさせたトロロッソでF1フル参戦を果たし、2戦目のバーレーンGPで4位入賞の快挙を達成。十分な実績を引っさげて、ルノーへと移籍したダニエル・リカルドの後任として、新たにホンダエンジン搭載を決めたレッドブルへと昇格。この三年間、ガスリーはホンダと共に道を歩んできた。

レッドブルでの新シーズンは、僚友マックス・フェルスタッペンに大きく遅れを取る厳しい展開で始まった。世界屈指の大規模リソースを持つトップチームでの生活は、ガスリーにとって不慣れというだけでなく、全てが真新しく未経験。だが、ホンダとの関係によって日本で得たサバイバルスキルによって自分のペースとやり方を見つけ出し、徐々に”あるべき走り”を見出しつつある。

F1という土壌に立つこと自体が本来は偉業だが、9歳の時に志した「F1ワールドチャンピオンになりたい」という夢の実現に向けて、23歳のフランス人ドライバーにはまだ成し遂げるべき事が残っている。