元FIA会長マックス・モズレー、闘病の末に拳銃自殺…検死法廷で明らかに
かつて国際自動車連盟(FIA)会長という立場でバーニー・エクレストンと共にF1を統治してきたマックス・モズレーの直接の死因は癌による病死ではなく拳銃自殺だったようだ。
BBCによるとロンドン・ウェストミンスター区の検死法廷で3月29日(火)、末期がんと診断された後、モズレーがロンドンにある自宅の寝室で自ら引き金を引いた事が明らかにされた。
モズレーは2021年5月に81歳でこの世を去った。家族は当初、癌との長い闘病の末に亡くなったと発表していたが、余命数週間との宣告を経て妻と最後の食事を共にし、遺書を残して自らの命を絶ったと言う。
審問によるとモズレーは、2019年にびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)を発症した。これは悪性リンパ腫の一種で、免疫機能の異常をきたしたり、増殖するがん細胞によって臓器が圧迫される等の症状が出る事で知られる。
モズレーは死の前日、長年の個人秘書であったヘンリー・アレクサンダーに、自ら命を絶つ意向を告げていたという。モズレーは説得に応じず、遺体からは銃槍が確認され、それが死の一因であると結論付けられた。
1940年4月13日にロンドンで生まれたモズレーは、大学時代にモーターレースに興味を持ち始め、法廷弁護士の資格を取得。F2ドライバーとしての活動を経て、1969年にマーチ・レーシング・チームの設立に携わり、ロニー・ピーターソンやニキ・ラウダなどのドライバーをF1に送り出した。
1970年代にはF1の前身であるF1コンストラクターズ・アソシエーション(FOCA)の法定代理人を務め、FOCAが商業権者として、後のFIAとなるFISAがルール統括者としてシリーズを支配するという今日まで続く構造を作り上げた。
10年後、モズレーはFIAの前身であるFISAの会長に就任。その2年後の1993年にFIAの会長に就任すると、1994年のサンマリノGPでアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーが事故死した事を受け、F1の安全性向上に尽力した。モズレーは2009年まで同職を務めた。