「シャルル、頼むからアントワーヌの為に勝ってくれ…」亡き友を想うガスリーの切なる願い
親友の悲劇的な死を乗り越えてレースに挑まなければならなかったのは、フェラーリのシャルル・ルクレールだけではなかった。トロロッソ・ホンダのピエール・ガスリーもまた、心が張り裂けそうな悲しみを必死に抑え、ステアリングを握った1人だった。
2019年F1第13戦ベルギーGP決勝前日、FIA-F2選手権のレース1でクラッシュが発生。BWTアーデンから出走していたアンソニー・ユベール(アントワーヌ・ユベール)が22歳という若さでこの世を去った。ルクレールとガスリーにとって、ユベールは幼少から知る親友だった。
© Getty Images / Red Bull Content Pool、決勝前には、故アンソニー・ユベールへの黙祷が行われた
「20歳そこそこの歳で、親友の1人を失うなんて…あんまりだよ」 古巣トロロッソでの復帰戦で9位入賞を果たしたガスリーはこのように語った。
「カート時代だった7歳の時以来、僕はアイツと一緒に成長してきたんだ。僕らはルームメイトで、同じアパートに6年間住んでいたし、クラスメートでもあった。13歳から19歳まで間、同じ学校で同じ先生に習い、一緒に勉強していた仲だった」
「ショックだよ。本当に恐ろしい出来事だった。明日アンソニーと一緒に、友人たちと会う計画を立ててたんだ。まさかこんな事になるなんて思ってもみなかったからね。心が張り裂けそうなほど悲しい」
「レース前にシャルル(ルクレール)に、”頼むから、アンソニーの為に優勝してくれ”って言ったんだ。僕とシャルルとアンソニーは、同じ年にレースを始めたんだ。2005年の事だ。あの時のフランスカップで優勝したのはアンソニーだった」
「僕らは長年に渡って共にレースをしてきた仲間で、お互いの事をよく知る間柄だった。数年前にはジュール(ビアンキ)が、そして今回はアンソニーだ。フランスのモータースポーツ界にとって本当に酷いニュースだ。二人とも素晴らしい性格で本当に良い奴らだった。この事実を受け入れるのは本当に難しい」
「実際にクルマに乗っている時は、何も起きやしないって思いながら走っているし、かなり安全だと感じているけど、時速200mとか300kmって速度域では何が起きても不思議じゃないんだって事を思い知らされる」
「いつ死んでもおかしくはないと思ってる。僕らドライバーはそれを受け入れてレースをするんだ」
この日行われた決勝レースでは、ポールポジションからスタートしたルクレールが終始レースをリード。ガスリーの想いを背負い、獲物を狩るが如き勢いで猛追するルイス・ハミルトンを0.981秒という僅差で退け、ユベールと同じく、志半ばでこの世を去った故ジュール・ビアンキがなし得なかった夢を叶えた。
ビアンキは2014年10月の日本グランプリの事故によって翌年に死去。ガスリーとルクレールは毎年、日本グランプリで鈴鹿サーキットに足を運ぶ度に、友が亡くなったあの場所に花を供えて手を合わせてきた。運命とはかくも残酷なものなのか。
トップ3インタビューに答えたルクレールは「遂に子供の頃からの夢が叶ったけど、その一方で昨日から非常に辛い時を過ごしている。僕らは友を失った」と語った。
「本当に辛い。この初勝利を彼に捧げたい。僕らは共に学び成長してきた。僕にとっての初めてのレースは、アンソニー(ユベール)とエステバン(オコン)、そしてピエール(ガスリー)と一緒だったんだ」
「心から勝利を喜べるような状況じゃないけど、今回の勝利は一生僕の胸に刻まれる事になるだろう」
レースを終えたガスリーとルクレールは、亡き友を想い肩を抱き合あって微笑んだ。