ホンダのF1王座を喜ぶバトン、エンジン批判は「本当に安易だった」マクラーレンの決断を悔やむ
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目を覆いたくなるような悲惨な状況を経て7年越しに掴んだ王座、そして撤退。ジェンソン・バトンは、かつて所属していたマクラーレンが、ホンダとのパートナーシップを道半ばで解消した事について「残念」と評した。
ホンダのF1ワールドチャンピオン獲得を心から喜んだ一人がバトンであった事は疑いない。マクラーレン・ホンダ時代の2017年、2度目のタイトル獲得の夢半ばにしてキャリアに終止符を打った2009年のF1ワールドチャンピオンは、復帰初期のホンダの苦労を間近で見ていた。
ホンダは1.6リッターV6ハイブリッド・ターボエンジン導入2年目の2015年、パワーユニットサプライヤーという立場でウォーキングのチームと提携してF1に復帰した。1980年代のF1世界選手権を席巻した伝説の名、”マクラーレン・ホンダ”の復活に誰もが大きな期待を寄せたが4輪最高峰のレースは甘くはなかった。
マクラーレンはホンダに対し”サイズ・ゼロ”と呼ばれる厳格な設計コンセプトを要求。ホンダはこれに応えようとしたが、小型化を優先した事で信頼性に関わる無数のトラブルに見舞われ、特に初年度は走行すらままならない状況が続いた。
提携2年目には幾らか状況が改善するも表彰台争いには程遠く、バトンは現役引退を発表。マクラーレンとホンダはその翌年に早々と関係を精算する決断を下した。
パートナーを失ったホンダに手を差し伸べたのはトロロッソだった。良き友人と巡り合ったホンダはチームと密接なコミュニケーションを取る事で開発を邁進させ、2019年には強豪レッドブルと供給契約を手にした。そして3年目にマックス・フェルスタッペンと共にドライバーズチャンピオンシップを制した。
B・A・R(2003~2005年)、ワークス・ホンダ(2006~2008年)、そしてマクラーレン・ホンダ(2015~2017年)と、F1キャリアの多くを日本のエンジンメーカーと歩んできたバトンはマクラーレンについて、忍耐強くホンダと歩み続けるべきだったと考えている。
バトンはAutosportとのインタビューの中で「ハイブリッド時代、参入当初の彼らは悪戦苦闘していた。明らかに他のメーカーより2、3年遅れていたし、信頼性に関わる問題もたくさんあった」と復帰初期のホンダについて語った。
「マクラーレンが彼らと踏ん張れなかったのは残念だ。競争力を欠いていた時、彼らは最も信頼性が低いパーツ、すなわちエンジンを名指しで非難した。あれは本当に安易だった」
「でもホンダはその後、レッドブルのようなチームとタッグを組み、その経験を生かして本当に素晴らしいパートナーシップを築いた」
「ホンダが再び勝つ姿を見る事ができて良かった。何しろレッドブル時代以前にホンダが勝ったのは、僕が勝利した2006年が最後だったからね」
「もうずいぶん昔の事さ。だから、彼らが勝っている姿が見られて本当に良かった」
レース活動に「非常に情熱的」であるが故に、バトンはホンダがF1から撤退する事について「残念」だとする一方、第4期F1活動に投じた資金の大きさを考えれば、このスポーツから去るという経営陣の決断は理解できるものだとした。
「僕には彼らがどれだけの資金を費やしたのか何となく分かる。それは途方もない金額だ。だから彼らが去りたいと思った理由も分かる気がする」
「この旅が如何に困難であったかを思うと、ホンダが最後にこのスポーツで夢のような1年を過ごす姿が見られて本当に良かった」
ホンダは2021年の最終アブダビGPを以てF1から去った。だが、その技術は2022年以降もレッドブル・レーシング及びスクーデリア・アルファタウリを支え続ける。