FIA会見に出席するハースF1チームのロマン・グロージャン

1986-87年組はトップチームに見放された”F1氷河期世代”、とロマン・グロージャン

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ハースF1チームのロマン・グロージャンは、自らを含む1986年-87年に生まれたドライバー達は、トップチームへの移籍のチャンスに恵まれなかった”F1氷河期世代”だと考えている。

1986年4月17日生まれのフランス人ドライバーはユーロF3チャンピオンを獲得した後、2008年のGP2アジア初代チャンピオンとして2009年のヨーロッパGPでルノーからF1デビューを果たすも、翌年はロバート・クビサとヴィタリー・ペトロフにシートを奪われる格好となり、その後の2年はGP2に出戻る事となった。

一時は引退すら考えたというグロージャンだが、腐ることなく腕を磨き続けて2011年にGP2シリーズチャンピオンに輝き、その功績が認められた事で2012年にロータスでF1復帰を果たした。

2007年のF1王者であるキミ・ライコネンをチームメイトにグロージャンは、時折光るパフォーマンスを見せた一方で、2012年のベルギーGPではスタート直後に多重クラッシュを引き起こして、1戦の出場停止と5万ユーロの罰金が科され、同年日本GPでも1周目にクラッシュ。一部からは「オープニングラップの狂人」とまで批判された。

とは言え復帰2年目は危なげない場面も減っていき、6度の表彰台を獲得するなどしてコンストラクターズ選手権4位に貢献したが、エンストンのチームの財政状況は芳しくなく、ジェームス・アリソンやエリック・ブーリエらキーマンが続々離脱。チームとしての競争力は削がれていき、グロージャンは2016年に小松礼雄エンジニアと共にハースへと新天地を求めた。

あれから5年。ハースは先月、34歳となったグロージャンとの契約を今シーズン限りで解消する事を発表した。11月23日公開のポッドキャスト「In The Pink」の中でグロージャンは、自分はF1トップチームから見放された世代のドライバーの一人であったとの考えを示した。

「振り返ってみれば、86年・87年世代はタイミングが悪い時代に生まれたのかもしれないね。ポール・ディ・レスタ(1986年4月16日生)やニコ・ヒュルケンベルグ(1987年8月19日生)、そして僕。セバスチャン・ブエミ(1988年10月31日生)もそうかもしれない」

「僕らは皆、ベテランドライバー達がF1を離れようとはせず、トップシートが埋まっている時期にF1デビューを果たした。その後は若手ドライバー達がF1にやって来て、僕らはチャンスを得る事ができなかった。それは仕方のない事で、どうしようもない事なんだけどね」

「10年間に渡ってF1でレースを続けられた事は本当に信じられない位に素晴らしい事で、僕自身としては自分が望んでいた事を達成できたと思っている。もちろん、いつだってF1ワールドチャンピオンを目指しているけど、適切なツールがなければチャンスはない」

「将来的にはこうした状況が変わることを願っている。1つのチームがチャンピオンシップを支配するというのは、そのチームの人々が最高の仕事をしたという事の表れだし、見事であるという事に間違いないはないけど、そういう状況が変わればF1は今よりも遥かに素晴らしい場所になると僕は思ってる」

「唯一心残りなのは、ロータスが2014年に破産したことかもしれない。2013年を輝かしい成績で締め括った後、僕らは良い方向に向かって歩みを進めていたけど、トップチームからのオファーはなかった」

「キミ(ライコネン)はフェラーリに行き、僕はロータスに残った。フィールド後方に沈むチームでレースをするようになると、巻き返すのは本当に難しい」

「その後、僕はハースに移籍した。本当に最高の経験を積むことができたけど悲しいかな、ここ2年は素晴らしいスタートを切ってもスピードが伸びなかったりして噛み合わなかった」

キャリアが頭打ちになってしまった原因の1つに環境的な要因を挙げるグロージャンだが、自身の過失による影響を否定しているわけではない。

「確かに僕は何度もミスを犯してきた。色々言い過ぎてしまう時もあるけど、それは僕がいつも自分の感じた事をそのまま表現するからなんだ。でも自分の過ちは認める」

「何度か優勝のチャンスがあったけど、レースに勝てなかった事に後悔はない。さっきも言った通り唯一心残りなのは、2013年以降、競争力あるマシンを手に入れるチャンスが得られなかった事だ」