ルノーPUの信頼性不足に激怒したトロ・ロッソF1、文書による異例の徹底抗議。最終戦出場不能のシナリオも
イタリアに本拠地を置くトロ・ロッソF1チームは、11月11日(土)、エンジンサプライヤーであるルノー・スポールに文書で講義した。ルノー製エンジンを搭載するトロ・ロッソはサマーブレイク以降、度重なるエンジントラブルに頭を抱えPUの信頼性不足に不満を訴えている。文書による抗議は異例中の異例とも言え、両者の関係が極めて悪化している事を裏付けている。
トロ・ロッソは前戦メキシコで2台共がエンジンペナルティを科せられ、今週末のブラジルGPでも両方のマシンがエンジントラブルに見舞われた。日曜の決勝ではまたも大量のグリッド降格が科せられる見込みであり、ブレンドン・ハートリーとピエール・ガスリーの好成績は一切期待できない状況となっている。
ルノーF1を率いるシリル・アビテブールは、エンジントラブルの原因はトロ・ロッソの車体側にあるとしてファエンツァのチームを非難している。ブラジルGPのFP3開始前のパドックでは、トロ・ロッソの親チームであるレッドブルのヘルムート・マルコ博士に対し、アビテブールが抗議する姿が国際映像に捉えられた。
トロ・ロッソによる抗議文書
「Toro Rossoがここ最近抱えていたMGU-Hおよびシャフトトラブルの全ては、我々のチーム運営方法やシャーシへのPUの組み込み方に関係していないことを明確にしたい。シリル・アビテブール氏がメディアに対して、トロ・ロッソが被った一連のパワーユニット故障はチーム固有の現象であり、我々のシャシーであるSTR12への組み込まれ方に問題があると示唆した事は大きな驚きだ」
「2017年シーズン中にエンジンの取り付け方を変更した事実はなく、夏休み以降トロロッソはパワーユニットに関連した連続トラブルに苦しんでいる。エンジン交換により科せられたグリッドペナルティによってポイントを失うことになり、コンストラクターズチャンピオンシップにおける順位に影響が及んでいる」
「我々が直面している最たる問題の1つは、新しいパワーユニット部品が利用できない事にある。チームは週末の間に何度もエンジンの載せ替えを強いられており、多くの場合、新しいコンポーネントが届かないため古い仕様のエンジンに変えざるを得ない状況にある」
「メキシコの最後のレースでは、6台のルノーエンジン勢のうち完走できたのは僅か2台であり、パワーユニットの信頼性の低さが強調された結果となった。ルノーチームがコンストラクターズチャンピオンシップで我々と争っている事実を強調しておきたい。この状況はアビテブール氏が指摘するように偶然の産物ではないであろうが、STRのクルマに起因するものでは断じてない」
ルノーの裏工作疑うトロ・ロッソ、危ぶまれる最終戦出場
トロ・ロッソはエンジントラブルの原因は同チームのシャシーにはないと主張すると共に、ルノーがコンストラクターズでトロ・ロッソよりも上位につけるために”何某かの裏工作を行ったのではないか”と仄めかし文章を締め括った。残り2戦となった今現在、ルノーは5ポイント差で6位のトロ・ロッソを追う立場にある。
両者の間には修復不能なレベルの溝が走っており、ルノーはトロ・ロッソへのエンジン供給をストップし、次戦アブダビGPでチームを出走不能に追い込む事すら検討していると噂されている。ジャーナリストのテッド・クラヴィッツによれば、ルノー首脳陣はトロ・ロッソと交わした契約書を精査し、ルノーに対する名誉毀損絡みの条項がないかを確認している程に憤慨しているという。
トロ・ロッソは来季よりホンダからパワーユニットの供給を受けることが決定しており、ルノーとのパートナーシップは今シーズン限りとなっている。とは言え、親チームのレッドブルは来季もルノー製パワーユニットを継続する事が決定しており、一連の騒動は来年以降も尾を引く可能性がある。
F1レギュレーションでは、2020年まで現行の1.6リッターハイブリッドターボエンジンの使用が義務付けられており、メルセデス・フェラーリ・ルノー・ホンダの4メーカーが供給を続ける事になる。レッドブルは来季のホンダエンジンの競争力を評価した上で、2019年以降にルノーからホンダへと乗り換える可能性が指摘されているが、ルノーとトロ・ロッソとの関係悪化がこれを強く後押しする可能性もある。
仲裁に介入したレッドブル
声明が発表された直後、レッドブルはヘルムート・マルコ名義のリリースを打って両者の仲裁に介入した。マルコは過去の蜜月時代に触れながらルノーによる不公平な扱いは存在していないと主張した。
「我々は過去10年間に渡って現在のエンジンサプライヤーと様々な感情を経ながら多くの成功を収めてきた。長いシーズンが終わりを迎えようとする今、感情が高まっているが、これは価値のある関係だ。エンジンサプライヤーに不公平に扱われているかもしれない等という疑問は一切ない。それは今でも真実である」