一体幾らに…シューマッハの「F2000」競売に、フェラーリF1黄金時代の幕開け
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スクーデリア・フェラーリ黄金時代の幕開けを築いた2000年型F1マシン「F2000」が、香港で行われる4月3~12日のRMサザビーズのオークションに出品される。ミハエル・シューマッハの愛機として第2戦でデビューしたシャシー198だ。
この年、フェラーリは21年ぶりにF1ドライバーズ・チャンピオンを獲得。「F2000」は2004年までの5年連続でのタイトル連覇、そしてシューマッハをF1史上最多チャンピオンへと導く礎となった。
2000年以降、フェラーリがF1を席巻したのはシューマッハの一世一代の才能もさることながら、テクニカルディレクターを務めるロス・ブラウンの存在、そして「F2000」が当時のエンジニアリングとパフォーマンスの水準を根底から覆した事に依るところも大きい。
スクーデリアは前年途中で「F399」の開発を中止。リソースを「F2000」に注ぎ込んだ。驚異的なエアロダイナミクスだけでなく、クルマの重心を低くするために再設計されたV型10気筒エンジンを搭載した。
シャシー198は当初、スクーデリアのスペアカーとして使用されていたが、インテルラゴスでの予選中にダメージを負った前任車の代わりに急遽導入された。シューマッハは3番手からの逆転優勝を飾った。
スペインGPに続きモナコGPでもシューマッハにポールポジションをもたらした。これはシューマッハがフェラーリと共にモンテカルロで獲得した唯一のポールとなった。レースではプッシュロッドの破損によりリタイアを余儀なくされた。
シャシー198のラストレースはA1リンクだった。オーストリアGPでシューマッハは予選3番手を獲得。チームメイトのルーベンス・バリチェロと共に2列目に並んだが、スタート直後にBARホンダのリカルド・ゾンタに背後から接触されリタイアを強いられた。
幸いにもシューマッハに怪我はなくクルマのダメージも軽かった。マラネロへと戻されたシャシー198はメカニックにより修理され、残りシーズンの全グランプリに持ち込まれたが、再びコースを駆け抜ける事はなかった。
その後、198号車はスクーデリアでのキャリアを終え、2001年3月のジュネーブ・モーターショーのフェラーリブースで展示された後、テキサス在住のコレクター、ケビン・クラウダー氏に売却された。出品者が手に入れたのは2016年。これまでに幾つかのイベントでドライブされた。
予想落札価格は公表されていない。
ちなみにF1マシンのオークション最高落札額は「F2003」で約1,500万ドル、20億円近い値がついた。「F2001」は750万ドル(約9億8,400万円)、「F2002」も660万ドル(約9億円)という高額で落札されている。