グロージャン、取り戻した「心の有り様」フェルスタッペンに共感…衝撃F1事故からのインディカー再起と”涙”の道程
バーレーンでの衝撃的な炎上クラッシュとF1からインディカー・シリーズへの転向を経てロマン・グロージャンは、自らのキャリアを再構築すると共に、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)に共通する”心の有り様”を取り戻した。
2020年の11月末、グロージャンは時速192kmという高速で3段構えの鉄製ガードレールバリアに衝突した。車体後部は引きちぎられ「VF-20」は出火し、グロージャンは27秒間に渡って大きな炎に包まれた。
事故発生から11秒を待たずにメディカルカーが現場に到着。グロージャンはヘリコプターでバーレーン国防軍病院に搬送され治療を受けた。両手の甲と足首に火傷を負ったのみで事なきを得たのは奇跡的だった。
3年前事故についてグロージャンはF1公式サイトとのインタビューの中で、その翌日に映像を見直した事を明かし、「『これは酷い』って感じでショックを受けた。どうしてみんながそんなに大騒ぎしているのか、その時まで理解できていなかった」と語った。
「彼らは僕にあの時の映像を見せたがらなかった。だから、お願いだから見せてくれって頼んだんだ。そうしたら『本当にいいのか?』って感じに返されてね」
「『ああ、頼むよ』って言ってそれを見た。如何に深刻な事故だったかに気付かされたよ」
「映像や写真を見るたびに驚いてしまう。もしもあの時、少しでも違う事をしていたら僕は死んでいたかもしれない」
事故の3日後に退院したグロージャンは、炎上クラッシュのレースが自身のF1ラストランになる事を望まなかった。最終アブダビGPでの復帰に向けて「出来ることは全てやった」とグロージャンは振り返る。
「クレイジーなまでにドクター達を説得したんだ。『クリームを塗った後にラテックス・グローブをはめて、その上からレーシング・グローブをするのはどうかな?」って伝えたら、『それでも構わないけど、もし感染症になれば君の手を切らなければならないかもしれない』って言われてね」
「それでこう思ったんだ…たぶん、やる価値はないってね。結局、最後尾だっただろうし。実際、ケビン(マグヌッセン、当時のチームメイト)とピエトロ(フィッティパルディ、代役としてアブダビGPに参戦)は最後尾フィニッシュだった」
179戦に渡ったグロージャンのF1キャリアはこうして終りを迎えた。
最終戦の出場を諦めたグロージャンは療養のために母国スイスへと戻った。不運にもそれはフランクフルト経由の飛行機で、「凍えるような寒さ」が手の痛みを増幅させた。曰く「ナイフを突き刺された」かと思うほどだったという。
翌年の2月、グロージャンはインディカー参戦に向けて初のテストに臨んだ。事故以前にデイル・コイン・レーシングと契約を結んでいた。当初は14日に予定されていたものの、回復状況を考慮して22日に延期された。
グロージャンは理学療法士の指示に従って懸命に「苦痛」のリハビリに取り組んだ。これが功を奏し、予想以上に早く回復していったものの、事故以来初のドライブとなったインディカーでのテストを経てクルマから降りると、「至るところから出血」している自らの手を目にする事になった。
「F1では大抵の場合、ガレージに戻るたびにグローブを外していたんだけど、テストの時は最初の走行後に外した後、1日を通して一度も外さなかった。だからどうなっているのか分からなかったんだ」
復帰戦は2021年4月18日にバーバー・モータースポーツ・パークで行われたアラバマGPだった。
前日の予選では同じデイル・コインのエド・ジョーンズを大きく上回る予選7番手を記録。それでもレースを完走できるかどうか不安に駆られていた。
「依然として疑問を抱えていたから、もし1周目に何か異変を感じたらピットインしてそれで終わりにする。そうなったらゴメン、ってみんなに伝えていたんだ」とグロージャンは語る。
「スタートまでの10分ほどの間は、クルマの中でバーレーンからここまでの旅のことを考えていた。ほとんど泣きかけていたけど、泣いている場合じゃない、集中しなきゃ! そう言い聞かせた」
「スタートを迎えると前方で大きな事故が起きた。僕はこれを交わしていった。なんてこったって感じだった」
優勝したアレックス・パロウから45秒遅れの10位でインディカーでのデビュー戦を締め括ったグロージャンは、初年度の活躍が認められて翌年に強豪アンドレッティに移籍。これまでに3回のポールポジションと6回の表彰台を獲得し、2024年に向けてフンコス・ホリンジャー・レーシングに移籍した。
グロージャンにとってインディカーへの転向は、キャリアの再構築と合わせて、失っていたレースへの情熱を取り戻すきっかけとなった。それは3度のF1王者に輝いてなお、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)が持ち合わせているレース哲学に通じるものだった。
「競争的な立場でレースをする事が如何に嬉しい事だったかを忘れていた」とグロージャンは語る。
「確かにインディカーにはF1ほどの露出はないし、スターシリーズでもないけど、それはあまり重要じゃない。だって僕がカートを始めた時に見つけたものを取り戻せたからね。ドライブすることの純粋な喜び、みたいなものだ」
「マックスがインタビューの中でこんな事を言っていたんだ。『僕は楽しむためにカートを始めたけど、今も楽しんでる』ってね。結局のところ、他人にどう思われるかは問題じゃないんだ。自分が満足していればね」
「僕は完璧な人間じゃないけど、完璧でないことを神に感謝している。だって誰もが完璧だと、とんでもなく退屈だろうからね」
「僕は扱いにくい人間だろうか? 多分そうだね。でも僕は競走馬なんだ。競走馬には導き手助けしてくれる人が必要だ。競走馬を遅く走らせることはできるけど、ロバを速く走らせる事は絶対にできない!」
グロージャンは2021年にマイアミに移住し、フェルスタッペンと同じ様にeスポーツチームを立ち上げ、幼少からの夢であったプライベートジェットの操縦ライセンスを取得。更に、IMSA耐久レースやル・マン24時間レースへの挑戦を含むランボルギーニのLMDhプロジェクトにも加わり、第2の人生を楽しんでいる。