キミ・ライコネンの2002-03年マクラーレンMP4-17、奇しくもF1引退発表日に売りに!落札予想価格は納得の…
キミ・ライコネンとデイビッド・クルサードが2002年及び2003年シーズンのFIA-F1世界選手権でステアリングを握ったマクラーレンMP4-17がRMサザビーズのオークションに出品された。
奇しくも出品がアナウンスされたのは41歳のフィンランド人ドライバーが2021年末限りでのF1現役引退を発表したのと同じ日で、その落札予想価格には200~250万スイスフラン(約2億4千万~3億円)が付けられている。
RMサザビーズで近年落札された他のF1マシンと比べるとこの金額はかなりの高額だ。1981年のマーチ811は33万5千ドル(約3,680万円)、1996年のジョーダン196は24万1,250ユーロ(約3150万円)、1992年のベネトンB192は81万5,000ユーロ(約1億円)で新たなオーナーの元へと向かっていった。
唯一の例外は今年7月に競り落とされたマクラーレンMP4-25だ。革新的な空力デバイス「Fダクト」を世に送り出した2010年型マクラーレンは、F1史上初開催を迎えたイギリスGPでのスプリント予選を前に行われたオークションで、473万ポンド(約7億2千万円)の価格が付けられた。
マクラーレンMP4-17は2002年のF1世界選手権に投入されたマシンで、空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイやマイク・コフラン、ニール・オートレイ、ニール・オートリー、ピーター・プロドロモウら豪華チームがシャシーの設計を手掛け、そのエアロダイナミクスは英国ウォーキングに完成したばかりの最新鋭の風洞施設を使って開発が進められた。
搭載されたのはイルモア・エンジニアリングがチューニングした3リッターV10エンジンのメルセデスFO110Mで、845馬力/18,500rpmという驚異的なパワーを発揮した。MP4-17は1997年のオーストラリアGPより導入された「ウエスト・マクラーレン・メルセデス」の特徴的なカラーリングを纏った6台目のマクラーレンだった。
エンジンにはマクラーレン自社設計の7速縦置きオートマチック・シーケンシャル・ギアボックスが組み合わされた。ダンパーはペンスキーとの共同開発品で、エンケイのホイールにミシュランタイヤを装着した。
マクラーレンMP4-17は2002年シーズンのF1全17戦に出場し、モナコGPでの優勝を含む10度の表彰台を手にしてコンストラクターズ選手権でフェラーリ、ウィリアムズに次ぐ3位を獲得した。
翌2003年シーズンには改良型となるMP4-17Dが実戦投入され、13回の表彰台と2回の優勝を飾ったものの、コンストラクターズ選手権ではウィリアムズに2ポイント差と、再び3位に終わった。
今回出品されたシャシーナンバー「MP4-17A-06」の個体は、2002年及び2003年シーズンの計12回のグランプリに出走。合わせて8回に渡ってテストカーとして使用されたもので、現在は2002年仕様のMP4-17Aの状態にロールバックされている。
「MP4-17A-06」のデビュー戦はドイツのニュルブルクリンクで開催された第9戦ヨーロッパGPで、ミカ・ハッキネンの後任としてザウバーから移籍してきたばかりのライコネンが3位表彰台を獲得した。
7回の出走を経て、2003年に向けてMP4-17D仕様へとアップグレードされた「MP4-17A-06」は、5回のレース出場と5回のテストカーとしての使用を経て役目を終えた。最高成績はデイビッド・クルサードがドライブした開幕オーストラリアGPでの優勝だった。